【お薦め本】『科学コミュニケーションの再構築 連帯志向の専門知へ』(内田麻理香著 勁草書房)

▼私が自らを「サイエンスコミュケーター」となのりはじめて15年目である。
◆サイエンスコミュニケーター宣言
実に遅々たる歩みである。
この間に幾度となく、サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を問い返してきた。この検証のためには6つの「座標軸」を用意していた。
この問い返しのもっとも根本にはいつも
「私はほんとうにサイエンスコミュケーターだろうか!?」
という疑問があった!!
この疑問に答えてくれているとてもうれしい本にこの春に出会った。
▼それが今回の【お薦め本】だ。
◆【お薦め本】『科学コミュニケーションの再構築 連帯志向の専門知へ』(内田麻理香著 勁草書房 2026.3.20)
まだまだその「なかみ」をよく理解できたわけではない。
十分な理解のためにはまだまだ反芻作業が必要だ。
しかし、「こんな本が欲しかった」という感動がうすれないまにこれを書いておきたかった。自らのための「覚え書き」としても。
いつものように3つのお薦めポイントをあげておこう。
(1)「望ましい科学コミュニケーション」をわかりやすく具体的に説いてくれていた!!
(2)サイエンスコミュケーターとしての「役割」を示唆してくれていた!!
(3)「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
いささか興奮している。
サイエンスコミュニケーターをかくも熱く語ってくれた本に出会ったのはじめてであった。思っていたことをコトバにしていてくれていたのがうれしかった。
だから、うれしさのあまりお薦めの文も支離滅裂になる可能性がある。
いやきっとなるだろう。
▼だから、ひとつずつ最初にあげた3つのお薦めポイントにしたがいながらすすめよう。
(1)「望ましい科学コミュニケーション」をわかりやすく具体的に説いてくれていた!!
著者は、科学コミュニケーションを「科学という液体を、社会に行き渡らせる営み」とイメージすることからはじめていた。
さらにくわしく続けていた。
科学という液体は暮らしに欠かせないもので、私たちを潤してくれる。科学は生活を便利にするだけでなく、私たちのものの見方を豊かにする役割を果たす。普段は意識していないけれども、料理をする、コーヒーを淹れる、天気を気にする、風邪気味の体調に対処するといった、どんな日常の場面にもその液体は流れている。
だがこの液体は、扱いが難しい。科学という液体は、自然に世の中に流れてくれないからだ。原液のままでは濃すぎて、誰にでも受け入れられるものではない。また、社会という地形にも段差がある。路が途切れている、岩や土砂がある、などの理由で流れを滞らせる。科学コミュニケーションとは、この流れにくい科学という液体を、社会の隅々まで行き渡るようにする営みにたとえられそうだ。(同書Pⅰより)
ナルホドうまい!!
全面的に賛成だ。
最初にもう少し引用させてもらっておこう。
本書の提案は、こうした個別の目標のあいだに架け橋をかけ、より包括的で共有可能な規範を提示することにある。すなわち、科学コミュニケーションは他者を排除し傷つける行為でなく、人びとが連帯を築き、ともに生きる社会の基盤を支える営みとして構想されるべきである。科学がしばしば他者に優越や差別を正当化する手段として用いられてきた歴史を踏まえるならば、科学コミュニケーションはその逆に、他者を尊重し、社会的な連帯を広げるための営みとして規範的に定義される必要がある。(同書Pⅳより)
この仮説を構築するためとして、本書を次のように構成していた。
第1章 科学コミュニケーションをめぐる前提条件
第2章 科学コミュニケーションにおける望ましい態度
――欠如モデル、低関心層諸問題をめぐって
第3章 「真理」の伝達から「物語」を共有するコミュニケーションへ
――リチャード・ローティの哲学より
第4章 科学コミュニケーションで何を共有するのか
第5章 誰が科学コミュニケーションを担うのか
第6章 教養としての科学コミュニケーション
――連帯をひらく学びへ
不勉強な私にははじめて出会うコトバ・概念も多かった。だから難解な本かと思ったがそんなこともなかった。
実に面白かった!!
私はあえて、この本のここの「文脈」だけに少しだけ異議を唱えておきたいところがあった。
なお、科学教育は独立性強い領域であり、本書は科学コミュニケーションの定義には教育は含めない立場とした。あえて欠如モデル/非欠如にあてはめて検討するならば、科学教育は子どもたちがまだ身につけていない科学的知識の充足、または子どもたちのもつ素朴自然理論から自然科学の知識への置換を目指す行為であるため、非欠如モデルに該当するといえるだろう。しかしながら、教育の場においては、教師対生徒という「教える者と教わる者」という約束された関係があり、ほかの多くの科学コミュニケーションとは異なる性質がある。(同書P42より)
納得できるところもあるが、やはりちがうと思うところがあった。
私の「文脈」のなかでは
・理科の授業はサイエンスコミュニケーションの最前線である!!
・理科教師は最前線のサイエンスコミュニケーターである!!
という思いがあった。
あえて、「理科の授業」を科学コミニケーションの地続きの地平でとらえることにより、より見えてくることもあるのではないかというのが私の考えだった。
とてもうれしいことがいっぱいあった。
はずせないところから引用させてもらおう。
一方で、中谷宇吉郎は「科学を文化に」という言葉を異なる意味で用いた。彼は、自然科学が工業的方面にのみ利用されるのではなく、広い意味で文化の向上に役立つと考え、科学を文化にするための方法、主に科学的読み物のあり方を論じた。中谷は、科学の知識伝達は教科書に譲るべきだとしつつ、科学的な考え方を伝える方法として、(1)寺田寅彦のような随筆を通じて、日常生活における科学的精神の発揚を促す、(2)科学普及の通俗雑誌により多くの人々の興味を科学の方へ惹く、(3)一流の科学者に通俗科学の本を書いてもらう、(4)ある自然についての疑問を提示し、その探求の過程および明らかになった点、ならなかった点を科学者が解説する、の4つを挙げた。(同書P116より)
なかでも(1)が「最も広く間違いなしに普及できる」とし、もっとも有効な方法であると推奨していた。このほかにも随所に我らが寺田寅彦が登場した。
アリガタイ!!
これぞ、「我田引水」風に言わせてもらえば
◆オンライン「寅の日」
の意義を語ってくれているのだった。
まだまだ「望ましい科学コミュニケーション」を熱く語ってくれていた。
このような実践の意義は、単に科学への興味を喚起する点にとどまらない。人びとが自ら生活に重ね合わせながら科学に触れることで、科学は知識の体系ではなく、生活に根ざした文化として経験される。科学を「共に楽しみ、分かち合う」営みへと転換することによって、科学コミュニケーションは<人間の連帯の範>を広げる文化的実践として位置づけられるのである。(同書P137より)
あげればきりがないほどに、このように示唆に富む文章が並ぶのである。
私などにはなかなかうまくまとならないところをコトバにして語ってくれていた。
(2)サイエンスコミュケーターとしての「役割」を示唆してくれていた!!
「私はほんとうにサイエンスコミュケーターだろうか!?」
という自問を繰り返していた。
それに答えてくれている箇所をさがしていた。
5章では「5.3 科学コミュケーターの8分類」として、「政策に関与」「対話的専門知」「欠如モデル的」の3つの指標で科学コミュニケーターを8つに分類していた。
私はどれがいちばん近いだろう!?
これがなかなか面白かった。「サイエンスコミュニケーター」と一口に言ってもいろいろあるんだな、とわかって面白かった。
「⑧ 政策に関与しない、対話的専門知なし、非欠如」これが今の私にはいちばん近いかな。
ここには、科学館職員や広報担当者、科学メディアの制作者など科学コミュニケーションを職能として担う者がふくまれるが、それにとどまらない。生活の中で科学を楽しみ、表現し、日常的実践として科学を文化的に再解釈する人びとも含まれる。彼らは、科学の専門家でも職業的科学コミュニケーターでもないが、科学を他者を圧倒するためでなく、共感と連帯を築くために活用する。職業や年齢といった属性を問わず、科学を文化として享受しようとするすべての人がここに位置づけられる。そして、この層の拡大こそが、科学を通じて連帯を社会に根づかせる科学コミュニケーションを実現させるための鍵である。(同書P167より)
よし、これだ!!
これからも、私も末端の「サイエンスコミュニケーター」でありつづけよう。
▼最後のお薦めポイントに行こう。
(3)「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
どうもここまでで「蛇足」が過ぎてきたようだ。
過不足なく的確に、お薦めポイントを伝えることは難しい!!
これは伝えなければという思いが募れば募るほどに…。
そこで、お薦めポイントの3つ目はこうしよう。
「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
こうしておけば、私の読み解く力の不足で、汲み取れなかった部分も、「科学コミュニケーション」に関わる別の読者ならば、別の「価値」「意義」を見出されるかも知れないと思うからだ。
いや、きっと見つけられるだろう。
最後に著者の決意にも似た文を引用させてもらおう。
科学者であれ、社会人であれ、学生であれ、知識人であれ、誰もが狭量さに陥る可能性を抱えている。だからこそ、科学コミュニケーション教育は、一定期間学んで終わる知識ではなく、生涯を通じて「わたし」を作り替え、「わたしたち」の範囲を広げていく実践として位置づけられるべきななのである。(同書P186より)
とはいえ、科学コミュニケーションの実践とは、再帰性をもって自己を点検し続ける営みである。今後も、自分の態度や語彙の使い方をふり返りながら、終わりなき修業の旅としてこのテーマと向き合っていきたい。(同書P203より)
実にいい本です!!
しばし、反芻作業を繰り返したい。











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