【お薦め本】『科学コミュニケーションの再構築 連帯志向の専門知へ』(内田麻理香著 勁草書房)

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▼私が自らを「サイエンスコミュケーター」となのりはじめて15年目である。
 ◆サイエンスコミュニケーター宣言
 実に遅々たる歩みである。
 この間に幾度となく、サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を問い返してきた。この検証のためには6つの「座標軸」を用意していた。
 この問い返しのもっとも根本にはいつも
 「私はほんとうにサイエンスコミュケーターだろうか!?」
 という疑問があった!!
 この疑問に答えてくれているとてもうれしい本にこの春に出会った。

▼それが今回の【お薦め本】だ。

◆【お薦め本】『科学コミュニケーションの再構築 連帯志向の専門知へ』(内田麻理香著 勁草書房 2026.3.20)

 まだまだその「なかみ」をよく理解できたわけではない。
 十分な理解のためにはまだまだ反芻作業が必要だ。
 しかし、「こんな本が欲しかった」という感動がうすれないまにこれを書いておきたかった。自らのための「覚え書き」としても。
 いつものように3つのお薦めポイントをあげておこう。

(1)「望ましい科学コミュニケーション」をわかりやすく具体的に説いてくれていた!!
(2)サイエンスコミュケーターとしての「役割」を示唆してくれていた!!
(3)「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!

いささか興奮している。
 サイエンスコミュニケーターをかくも熱く語ってくれた本に出会ったのはじめてであった。思っていたことをコトバにしていてくれていたのがうれしかった。
 だから、うれしさのあまりお薦めの文も支離滅裂になる可能性がある。
 いやきっとなるだろう。

▼だから、ひとつずつ最初にあげた3つのお薦めポイントにしたがいながらすすめよう。
(1)「望ましい科学コミュニケーション」をわかりやすく具体的に説いてくれていた!!
 著者は、科学コミュニケーションを「科学という液体を、社会に行き渡らせる営み」とイメージすることからはじめていた。
 さらにくわしく続けていた。

 科学という液体は暮らしに欠かせないもので、私たちを潤してくれる。科学は生活を便利にするだけでなく、私たちのものの見方を豊かにする役割を果たす。普段は意識していないけれども、料理をする、コーヒーを淹れる、天気を気にする、風邪気味の体調に対処するといった、どんな日常の場面にもその液体は流れている。
 だがこの液体は、扱いが難しい。科学という液体は、自然に世の中に流れてくれないからだ。原液のままでは濃すぎて、誰にでも受け入れられるものではない。また、社会という地形にも段差がある。路が途切れている、岩や土砂がある、などの理由で流れを滞らせる。科学コミュニケーションとは、この流れにくい科学という液体を、社会の隅々まで行き渡るようにする営みにたとえられそうだ。(同書Pⅰより)

 ナルホドうまい!!
 全面的に賛成だ。
 最初にもう少し引用させてもらっておこう。
 本書の提案は、こうした個別の目標のあいだに架け橋をかけ、より包括的で共有可能な規範を提示することにある。すなわち、科学コミュニケーションは他者を排除し傷つける行為でなく、人びとが連帯を築き、ともに生きる社会の基盤を支える営みとして構想されるべきである。科学がしばしば他者に優越や差別を正当化する手段として用いられてきた歴史を踏まえるならば、科学コミュニケーションはその逆に、他者を尊重し、社会的な連帯を広げるための営みとして規範的に定義される必要がある。(同書Pⅳより)

 この仮説を構築するためとして、本書を次のように構成していた。
第1章 科学コミュニケーションをめぐる前提条件
第2章 科学コミュニケーションにおける望ましい態度
  ――欠如モデル、低関心層諸問題をめぐって
第3章 「真理」の伝達から「物語」を共有するコミュニケーションへ
  ――リチャード・ローティの哲学より
第4章 科学コミュニケーションで何を共有するのか
第5章 誰が科学コミュニケーションを担うのか
第6章 教養としての科学コミュニケーション
  ――連帯をひらく学びへ

 不勉強な私にははじめて出会うコトバ・概念も多かった。だから難解な本かと思ったがそんなこともなかった。
 実に面白かった!!
 
 私はあえて、この本のここの「文脈」だけに少しだけ異議を唱えておきたいところがあった。

 なお、科学教育は独立性強い領域であり、本書は科学コミュニケーションの定義には教育は含めない立場とした。あえて欠如モデル/非欠如にあてはめて検討するならば、科学教育は子どもたちがまだ身につけていない科学的知識の充足、または子どもたちのもつ素朴自然理論から自然科学の知識への置換を目指す行為であるため、非欠如モデルに該当するといえるだろう。しかしながら、教育の場においては、教師対生徒という「教える者と教わる者」という約束された関係があり、ほかの多くの科学コミュニケーションとは異なる性質がある。(同書P42より)
 
 納得できるところもあるが、やはりちがうと思うところがあった。
 私の「文脈」のなかでは
・理科の授業はサイエンスコミュニケーションの最前線である!!
・理科教師は最前線のサイエンスコミュニケーターである!!
という思いがあった。
 あえて、「理科の授業」を科学コミニケーションの地続きの地平でとらえることにより、より見えてくることもあるのではないかというのが私の考えだった。

 とてもうれしいことがいっぱいあった。
 はずせないところから引用させてもらおう。

 一方で、中谷宇吉郎は「科学を文化に」という言葉を異なる意味で用いた。彼は、自然科学が工業的方面にのみ利用されるのではなく、広い意味で文化の向上に役立つと考え、科学を文化にするための方法、主に科学的読み物のあり方を論じた。中谷は、科学の知識伝達は教科書に譲るべきだとしつつ、科学的な考え方を伝える方法として、(1)寺田寅彦のような随筆を通じて、日常生活における科学的精神の発揚を促す、(2)科学普及の通俗雑誌により多くの人々の興味を科学の方へ惹く、(3)一流の科学者に通俗科学の本を書いてもらう、(4)ある自然についての疑問を提示し、その探求の過程および明らかになった点、ならなかった点を科学者が解説する、の4つを挙げた。(同書P116より)
  
  なかでも(1)が「最も広く間違いなしに普及できる」とし、もっとも有効な方法であると推奨していた。このほかにも随所に我らが寺田寅彦が登場した。
 アリガタイ!!
 これぞ、「我田引水」風に言わせてもらえば
◆オンライン「寅の日」
 の意義を語ってくれているのだった。 

まだまだ「望ましい科学コミュニケーション」を熱く語ってくれていた。

 このような実践の意義は、単に科学への興味を喚起する点にとどまらない。人びとが自ら生活に重ね合わせながら科学に触れることで、科学は知識の体系ではなく、生活に根ざした文化として経験される。科学を「共に楽しみ、分かち合う」営みへと転換することによって、科学コミュニケーションは<人間の連帯の範>を広げる文化的実践として位置づけられるのである。(同書P137より)

 あげればきりがないほどに、このように示唆に富む文章が並ぶのである。
私などにはなかなかうまくまとならないところをコトバにして語ってくれていた。

(2)サイエンスコミュケーターとしての「役割」を示唆してくれていた!!
「私はほんとうにサイエンスコミュケーターだろうか!?」
 という自問を繰り返していた。
 それに答えてくれている箇所をさがしていた。
 5章では「5.3 科学コミュケーターの8分類」として、「政策に関与」「対話的専門知」「欠如モデル的」の3つの指標で科学コミュニケーターを8つに分類していた。
 私はどれがいちばん近いだろう!?
 これがなかなか面白かった。「サイエンスコミュニケーター」と一口に言ってもいろいろあるんだな、とわかって面白かった。
「⑧ 政策に関与しない、対話的専門知なし、非欠如」これが今の私にはいちばん近いかな。

 ここには、科学館職員や広報担当者、科学メディアの制作者など科学コミュニケーションを職能として担う者がふくまれるが、それにとどまらない。生活の中で科学を楽しみ、表現し、日常的実践として科学を文化的に再解釈する人びとも含まれる。彼らは、科学の専門家でも職業的科学コミュニケーターでもないが、科学を他者を圧倒するためでなく、共感と連帯を築くために活用する。職業や年齢といった属性を問わず、科学を文化として享受しようとするすべての人がここに位置づけられる。そして、この層の拡大こそが、科学を通じて連帯を社会に根づかせる科学コミュニケーションを実現させるための鍵である。(同書P167より)
 
よし、これだ!!
 これからも、私も末端の「サイエンスコミュニケーター」でありつづけよう。

▼最後のお薦めポイントに行こう。
(3)「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
 どうもここまでで「蛇足」が過ぎてきたようだ。
 過不足なく的確に、お薦めポイントを伝えることは難しい!!
 これは伝えなければという思いが募れば募るほどに…。
 そこで、お薦めポイントの3つ目はこうしよう。
 「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
  こうしておけば、私の読み解く力の不足で、汲み取れなかった部分も、「科学コミュニケーション」に関わる別の読者ならば、別の「価値」「意義」を見出されるかも知れないと思うからだ。
 いや、きっと見つけられるだろう。
 最後に著者の決意にも似た文を引用させてもらおう。

 科学者であれ、社会人であれ、学生であれ、知識人であれ、誰もが狭量さに陥る可能性を抱えている。だからこそ、科学コミュニケーション教育は、一定期間学んで終わる知識ではなく、生涯を通じて「わたし」を作り替え、「わたしたち」の範囲を広げていく実践として位置づけられるべきななのである。(同書P186より)

 とはいえ、科学コミュニケーションの実践とは、再帰性をもって自己を点検し続ける営みである。今後も、自分の態度や語彙の使い方をふり返りながら、終わりなき修業の旅としてこのテーマと向き合っていきたい。(同書P203より)

実にいい本です!!
 しばし、反芻作業を繰り返したい。

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【お薦め本】『長岡半太郎』(板倉聖宣著 朝日新聞社)

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▼もうそろそろ本棚の本の断捨離に入らなければ、そんなことを考える時期になっていた。ところがこれがとても難儀な作業であった!!
 「いつかは役に立つことがあるかも」
 なんて考えはじめると、なかなか前にすすまないのである。
そんななかで、古びて色あせた一冊の本がたまたま目にとまった。
 奥付を見て驚いてしまった。
 「昭和五十一年(1976)四月十五日初版発行」
 と書いてあったのだ。なんとちょうど50年、半世紀前の本だ。
 わずかながら、少しだけ読んだ痕跡はあるが、記憶にはまったくなかった。
  
▼今回はこの本を【お薦め本】にあげてみることにした。
 そうすればまったく記憶から消えてしまっても、「記録」に残ることになるかもと考えたからである。
 今回もまた、自分のための【お薦め本】ということになる。

◆【お薦め本】『長岡半太郎 朝日評伝選〈10〉』(板倉聖宣著 朝日新聞社 1976.4.15)

 古本としては、まだ手に入りそうだ。
 まずいつものように最初に3つのお薦めポイントをあげておく。

(1)等身大の語り口調で、人間・長岡半太郎をわかりやすく魅力的に語っている。
(2)ひとりの物理学者の生き方を通して、近代日本の科学史を伝えている。
(3)日本理科教育史にツナガル<科学>の歴史がわかる。

▼ではひとつずついこう。
(1)等身大の語り口調で、人間・長岡半太郎をわかりやすく魅力的に語っている。
 「長岡半太郎」と聞いて、すぐさま思い出すのが「カミナリ親父」「土星型原子模型」「理化研」程度で、その実際をよく知らなかった。
 偉い「かたぶつ」の大物理学者というイメージだった。
 今さら、こんな本をというのが正直なところだった。
 そんな気持ちをいっぺんさせる一文があった。

 長岡半太郎は、日本では比較的よく知られている科学者の一人だが、それでも一般の人々は生涯や仕事のことをほとんど知らない。しかし、長岡の場合、日本の科学者としては珍しく一般人でも興味をひくような逸話に富んでいる。それは長岡が単なる官僚学者ではなかったことを物語るものである。長岡は生涯、日本特有の官僚科学者のわくから、はみでようともがき闘った。そのもがきは必ずしも効果をあげたとはいえないが、そこには、国家主義的な近代日本の社会の束縛をこえて科学者の創造の世界をひらこうという深い苦悩のあとをみることができる。だから、長岡の伝記は多くの日本人の興味をひきつける要素をもっていると私は思う。そこで私はこの本を書くことを思いたったのである。長岡半太郎の生涯と仕事とを描き出すことによって、近代日本の科学の性格を浮かびあがらせてみたい。というのが筆者の意図である。(同書P4より)
 
この著者の意図はみごとに成功していた。
それは、たぶんに著者のいつものようなわかりやすい等身大の語り口調の文体にも起因していると思う。
 近代的な研究のあり方を理解していない「封建的なボス」
 小学校のホンモノの「落第生」
等など 人間・長岡半太郎は逸話にことかかない魅力的な人物なのである!!
 シロウトの私には、それを知っただけでも身近に感じ面白いと思った。

(2)ひとりの物理学者の生き方を通して、近代日本の科学史を伝えている。
 自分が生きてきた時代の「科学史」すらおぼつかないのに、それ以前の明治・大正・昭和時代の近代日本「科学史」などまったくわかっていなかった。
 長岡の科学者人生を通して、その具体を学んでみよう。

 明治以後の日本の科学の発展とは、欧米における科学技術の進歩にたえず目を見張って、いつもそれからたちおくれないように紹介・摂取する官僚的な科学者群の増大以上のものをほとんど意味しないようになるのである。
 長岡はそういう社会的条件のなかで物理学者として一人だちしていくのである。
(同書P51より)

 ぼんやりとしたイメージはあるもののあまりにも遠い世界でのことと感じてしまっていたのである。
 おそらく長岡はそれが大いに不満だったにちがいない。かれの官僚や軍、封建的な秩序に対するはげしい嫌悪は、このころ一層はっきりと自覚されてきていたにちがいない。自分の能力に自信をもった人間が、その能力の発揮をいろいろなところで拒まれたと自覚するとき、その障害に対して強い嫌悪の情をいだくようになるのはごく自然ななりゆきだからである。とくに長岡の場合は国を背負っているという自負があり、明確な大義名分にことかかない自信があったから、その感情が無遠慮なものになったとしても当然のことであったろう。
(同書P170より)

 いかなる状況の下でも長岡の研究三昧な生活はつづいていた。
 しかし、長岡はそういった自分の研究の現状に決して満足していたわけではなかった。かれは世界の物理学の主流にのりだす機会をねらっていたのだ。そして明治三十六年(一九〇三)、ついにその機会がやってきた。いそがしい実験物理学の仕事から手をひいた長岡に新しい研究領域が開けてきたのである。
(同書P174より)

▼では最後のお薦めポイントにいく。
(3)日本理科教育史にツナガル<科学>の歴史がわかる。
 私たちは勝手に明治・大正期、戦前の<科学>と今学校で教えている<科学>とはちがうものだと思い込んでいるふしがある。
 でもそれはちがう!!
 ふたつの<科学>は地続きである!!
 長岡が明治三十六年(1903)に発表したあの有名な「土星型原子模型」は、世界に通用し、現在も教室で有効な「原子論」なのである。

 長岡の原子模型がトムソンのそれとくらべて物理学的にすぐれているところといえば、結局電子が陽電荷粒子の外側にあるはずだということに固執しただけしかなかった。ところが、長岡はのちに、まさにこの点において決定的に勝利することになった。J・J・トムソンの門下であったラザフォードが一九一一年のPhil.Mag.五月号に発表した論文「物質によるα粒子とβ粒子の散乱と原子の構造」によって「原子は、大きな質量をもち陽電荷をもったごく小さな原子核と、そのまわりをまわる多数の電子群とからなる」ということが、実験的に明らかにされたからである。長岡の素朴な機械論的な自然観が勝利したのである。(同書P189より)

 そんな長岡も今から考えると、とんでもないミスをおかしてしまったことがある。
 「水銀還金実験」である。
 周期表みればよくわかるように金(Au)は水銀(Hg)のすぐ隣にある。だからなんらか手をほどこせば、水銀から金をとりだすことができるのではないか。「発見」の功をあせって実験ミスをおかしてしまったのだ。
 これとて、授業に使えるエピソードかもしれない。そのとき、このこともさりげなくつけ加えたいものである。
長岡の水銀還金実験は結局のところ、かれの敗北におわった。しかし、だからといって、長岡の実験すべていいかげんだったということはできない。かれの水銀還金実験を認めない人でも、かれの分光学実験の精密さには驚いていたのである。長岡の水銀還金理論を導いたその分光学のデータから、核スピンの発見という大きな成果が生みだされもしたのである。(同書P249より)
 
 そうだやっぱり<科学>はどこまでも地続きなんだ。
 
 戦後の1949年の十一月四日、八十四歳の長岡にとてもうれしいニュースが飛び込んだという。湯川秀樹のノーベル物理学賞のニュースである。長岡は戦前からスウェーデンのノーベル賞委員会にあてて湯川氏を推薦していたからなおさらうれしかったのであろう。
 受賞の翌年、帰国した湯川氏の「歓迎講演会」のとき、来賓として招待された長岡は檀上にあがらず、「湯川の話がききたい」とダダをこね、最前列の記者席で聴いたという。
 うれしそうな「カミナリ親父」の顔が目に浮かぶようだ。
 その4ヶ月の十二月十一日、長岡は満八十五歳でなくなった。
 最後の最後まで、机上には研究発表のためのに読んでいた本を開いたままであったという。
 
 長岡の<科学する>は時代を超えて貫かれていたのである。
 
<おまけ>
 付録につけられた「長岡半太郎年譜」がとても興味深い!!
 時代背景、社会背景と物理学(科学)史!!    

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【お薦め本】『物理学者の自由研究』(村田次郎著 岩波書店)

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▼私は長きにわたって勝手気ままに「自由研究」を語ってきた!!

◆「理科の自由研究」の研究

 このとき最初に頭にあったのは、生徒たちといっしょに取り組んできた「夏休みの自由研究」であった。
 そこから少し発展して、大人の「自由研究」であり、さらには私自身が科学を楽しむ「自由研究」までであった。
 そんな私の「自由研究」の概念をまったく変えてしまうような本にであった。
 
▼今さらですが、「自由研究」って何!?
 そんなこと考えはじめたのは、この本に出会ったからだった。

◆【お薦め本】『物理学者の自由研究』(村田次郎著 岩波書店 2026.1.20)

「自由研究」のタイトルに惹かれて手に入れてしまった。
 ページをパラパラとめくった。「面白そうだ!!」そこまではよかった。
 タイトルの「物理学者の」をすっかり見落としてしまっていた。
 その顛末の行方はあとで…
 まずはいつものお薦めポイント3つ

(1)「バイアス」を科学するとは!?
(2)「バイアス」を楽しむためには!!
(3)あらたな「自由研究」観と出会える!!

▼ではそのひとつずつを少しだけ詳しく。
(1)「バイアス」を科学するとは!?
 ちょうど冬季オリンピック中だった。
 TVでカーリングの競技を観戦しながら、その「ふしぎ!?」をわかろうとした。

 カーリングでは、図1のように反時計回りに回転させて石を投げ出すと、石が進行方向に対して左側に曲がる。石が曲がるこの現象に対しても、なんらかのメカニズムがすでによくわかっていると思われるだろうが、これがなんと未解決問題どころか「世紀の謎」だったのだから驚きだ。偶然の出来事が重なり、筆者はとびきりの謎解きを楽しむ機会を得た。 
 筆者のたどり着いた結論を端的にいうと、カーリングの石は底がザラザラしており、その突起が氷に引っかかて振り子のように振られて曲がるという、至極単純なしくみであるというものである。(同書P2より)

 この結論にいたるまでの研究の顛末がくわしく紹介されていた。
 「ヘエー、すごいな!!」とは思ったが「それで…!?」という違和感があった。
 「これが自由研究!?」
 この違和感は、私の大の「物理苦手意識」、理解力不足だけからくるものだろうか。
 どうも私の考えてきた「自由研究」とはレベルがちがいすぎるのではと思った。
 それは次の章でも同様な思いだった。
2 曲がるもの大研究!
3 滑り台は大人の方が速い!?
 しかし、このコトバにであって事情は一変してしまった。
 そのコトバとは 「バイアス」だ!!
著者もズバリこう語っていた。
 バイアス
 バイアス、つまり思い込みついて考えるのか本書の目的の一つだ。
曲がるもの研究会の活動を通して気づいたことの数々は、実にバイアスに満ち満ちている。(中略)
一事が万事。ささいなことからも、どれだけ教訓を得られるかが私たちの成長を左右するだろう。自分がバイアスに陥っていたと気づいたとき、それは自分の愚かさに気づくとき。しかし落胆は一瞬であり、すぐに大きな興奮に変わるのが常である。「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだ!」と自分自身を幸せそうに責める。そんな泣き笑いを子どもたちとともに経験できて、この研究は忘れられない自由研究になった。
(同書P38より)

 ここまできてやっと違和感は同感!!にかわった。
 私のこれまで思ってきた「自由研究」と本書の「自由研究」がやっと交叉した!!

 「バイアス」を科学する=「自由研究」!! 

 これなら、納得できる。
この書を読み解く最大のキーワードは「バイアス」である。

(2)「バイアス」を楽しむためには!!
正直に言うと、私がほんとうにこれは面白い!!と思ったのは
4 鏡の世界が左右反対なのはなぜか
 からであった。
 私の勝手なお薦めはこの4章から読み始めることだ。
 あの朝永振一郎先生のコトバを引用してこう言っていた。
 「ふしぎだなと思うこと 
これが科学の芽です」
全面的に同感です。この「ふしぎ!?」を追求していく展開が実に面白い。
 これなら家でも、今すぐ自分でも実験をやりながら、話についていける。
 アタリマエをなんの疑いももたずアタリマエと思い込んでしまっている。
 その「バイアス」に気づき解放されるのは実に楽しい体験だ。
 あとは、この本の4章を各自で楽しんでみよう。
 4章最後の文もなかなか示唆的である。

 バイアスは悪か?
科学が客観性を追求するのは、主観の混入による混乱をできるだけ避ける智慧である。逆に客観的、科学的な事実と思われていることにも、意外と自分自身の行動や意志が決定的な役割を果たしていることもある。思わぬ形で誰も気づかぬうちにそっと入り込む主観、これがバイアスである。自分では正しい測定をしているつもりでも、メジャーの持ち方のせいでいつも値がずれてしまう。このような誤りが科学研究の宿敵、「系統誤差」でありこれもバイアスである。
 ではバイアス常に悪なのか。引き続き議論していこう。 
(同書P86より)

▼では最後のお薦めポイントにいこう。
(3)あらたな「自由研究」観と出会える!!
5 時間は流れているのだろうか?
6 <わたし>は存在か、現象か?
 と続く。なんと読み続けながら、私は唖然としてしまった。
 これ哲学の書!?
 これが「自由研究」とどう関係するの!?
 ポンコツ頭の私はすっかり迷子になってしまった。
 そこで思い出すのがこの本のタイトルだった。
 『物理学者の自由研究』!!
 そう最初に「物理学者の」とことわり書き(?)があったのだ。
 「自由研究」というバイアスに嵌まってしまっていたのは私自身なのかも知れない。
 「自由研究」観などというコトバがあるのか私は知らない。
 あるとするならば、この本は
 まったくあらたな「自由研究」観を提唱しているとも言えるでは!?
 本書の最後の一文を引用させてもらおう。

 本書を通して考えてきたバイアスとは、ある見方の一方的な選択でもある。これしかない、と思い込むことは執着を生み、混乱や悩みを生む原因となりがちである。しかしリスクや限界を認めつつバイアスを選択するならば、摩擦力のようにそれは智慧である。そしてメリットがなく不要と思えば棄てればよい。筆者は確信をもって、バイアスとして自分と宇宙の時間の流れを音楽のように楽しみ、かつ、根を同じくする無数の竹の一本のように、一人の独立した人間である歓びを称えつつ、宇宙の一部であり続けたいと考えている。
 (同書P124より)

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【お薦め本】『地質学者のように考える タイムフルネス、新たな時間認識』(マーシャ・ビョーネルード著 江口あとか訳 築地書館)

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▼今、私はゆっくりと
◆「動く大地」を科学する
 をすすめている。いつもきまって立ち止まり、混乱してしまう「暗礁」がある。
「時間」「時間のスケール」である。
 一度わかったつもりになっていても、すぐ「暗礁」にのりあげ、頭の中で混乱してしまうのだった。
 「あの山の石灰岩は、ペルム紀、南の海の海山の周りできたもので、海底に連続して堆積した放散虫とともにプレートにのってゆっくり北上し、ジュラ紀の終わりに大陸から運び込まれた泥(頁岩)に混じって付加したものです。」
 「へー、すごい!!」
 「感動である。そんな動く大地の物語があったなんて!!」
 地質時代の年表をみながら、遠い昔の「時間」を理解しようとする。
 わかったつもりになっていても、やがてその「時間」は、「大昔」のなかに融け込み混沌としてしまうのだった。

 この「時間」の問題をなんとかしたい。 
 そんな思いをもっているなかで出会ったのが今回の【お薦め本】だった。

▼本のタイトルからして、なかなか興味深いものだった。
 そのタイトルに惹かれて手にしたものだったのだが。

◆【お薦め本】『地質学者のように考える タイムフルネス、新たな時間認識』(マーシャ・ビョーネルード著 江口あとか訳 築地書館 2025.11.13)

 最初にことわっておく、最後までこの本を【お薦め本】にあげることを迷っていた。
 なぜなら正直言ってシロウトの私は、この本の内容をよく理解していなかった。
 私には少しムズカシイ!?
 ところが今なお多々あるからだ。
 最初に言い訳までして、これをなぜ書く気になったのか。
 それは、これを書くことで少しでも自分の理解を深めようという「コンタン」があるからだ。
 
 その「コンタン」が拡散してしまわないうちに、いつものように3つのお薦めポイントをあげておこう。

(1)新たな時間認識を学ぶ!!
(2)地質学を学ぶ意義を問う!!
(3)「これから」の「時間」をみつける!!

▼ではひとつずついこう。

(1)新たな時間認識を学ぶ!!
まず著者はこんな独白からはじめていた。

 地質学者であり大学教授として、私は地質時代の代(五億年以上)や累代(数億年程度) について、あまり注意を払わずに話したり書いたりしている。普段から教えているコースの一つに「地球と生命の歴史」というものがあるが、これは四五億年にわたる全地球の物語を一学期、一〇週間で一通り概説するものだ。しかし、一個人として、特に娘であり、母であり、配偶者と死別した女でもある私にとっては、他の人々と同様に、「時間」というものに正直に向き合うことは、やはり難しい。つまり時間に対して、私には、少しばかり偽善的なところがあることを認めざるを得ない。
時間に対する嫌悪感は、個人や集団の思考を曇らせる。
 (同書P14より)

えっ!?
 私はいきなり不安になってきた。ここで著者の言っている「時間」と私が「時間」と思っているものは同じものなんだろうか!?
  なんとも困惑からはじまってしまったのだ。
 
 そもそもこの本の副タイトルともなっている「タイムフルネス、新たな時間認識」とは どんなことなんだろう。
 タイムフルネスとは、私たちが存在するよりもはるかに昔から続く過去と、私たちの存在なしに過ぎていく未来の両方を見据え、「時間」の中の自分たちの位置をはっきり認識し、冷静で明晰な時間観を持つ習慣を身につけることである。
 タイムフルネスには、地理的な近さや遠さに似た深い時間の感覚が含まれている。
(同書P27より)

なんとなく「タイムフルネス」が見えてくる気もするが、道はまだまだ遠い。

 本書の意図を次のようにも語っていた。

 より多くの人が、地球の住人として共有する歴史や運命を理解すれば、私たちはお互いを、そして地球をもっと大切にできるのではないかという(少しナイーブかもしれない)信念に基づいて私はこの本を執筆した。
 … (中略)…
 しかし、地質学という共有の遺産をよりどころにすれば、まったくあたらしい方法で、これらの問題に対する私たちの考え方を再構築できるのではないだろうか。
(同書P29より)


(2)地質学を学ぶ意義を問う!!
 未消化のままだが次にいこう。
 とてもお気に入りのフレーズが出てきた。引用ばかりになるが、引用させてもらおう。

 地質学の入門コースを受講すると、学生は早い段階で、岩石は名詞ではなく動詞であることを理解し始める。すなわち、岩石は、目に見える地質学的なプロセスの証拠であり、火山の噴火やサンゴ礁の形成、山脈の成長などを示している。どこに目を向けても、岩石が長い時間をかけて起こった出来事を証言しているのだ。
(同書P17より)

 「岩石は名詞ではなく動詞である」っていいですね。
 もうひとつつづけよう。
 ディープタイム、つまり深い時間を探って理解することこそ、おそらく地質学が人類にもたらす最大の貢献だろう。かつて、顕微鏡や望遠鏡が、小さすぎたり大きすぎたりして人間には見えなかった空間の領域を私たちの視野に入れてくれたように、地質学は、人間の経験の限界を超えて時間を見ることのできるレンズを私たちに与えてくれる。
(同書P26より)
 
 地質学は「時間みることのできるレンズ」!! ナルホド!!
 これもいいですね。
 「時間」の可視化!!

▼最後のお薦めポイントにいこう。

(3)「これから」の「時間」をみつける!!
2章以下では「時間をみることできるレンズ」をどのように研きをかけ、進化させてきたかを詳しく語っている。
第2章 時間を捉える道のり
第3章 地球の歩み
第4章 空気が変わる
第5章 グレート・アクセラレーション(人類活動による大変動)
とつづき、そして最後に主文脈へとつないでいた。 

第6章 タイムフルネス─つながる過去と現在と未来

 ここにこの本の本意が集約されていた。
私にはこの章がもっと面白くわかりやすかった。
 だから、個人的には第6章を最初に読まれることをお薦めしたい。
 また、最後についている。
●[特別付録]読書会や感想整理のための10の質問(同書P252より)
 を前に目を通しておき本文を読むのもひとつの方法かも知れない。
 
 では最後に第6章の最後の一文を引用させてもらう。

 しかし、地球は常に私たちに語りかけている。すべての石の中には、永遠の真実や役立つ確かな経験則が示されている。すべての葉の中には原型となる発電所があり、すべての生態系の中には健全な経済の手本がある。アルド・レオポルドの言葉を借りれば、私たちは「山のように考える」ことから始めるべきだろう。心の迷いを取り去り、この古くて複雑で、絶えず進化し続ける惑星のあらゆる習性とその住人にしっかり目を向けながら。
(同書P219より)

 これからも、「これから」の「時間」をみつける旅をつづけたいものだ。

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【私の読んだ本・ベスト8】2025!! #2025年 #お薦め本

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▼これまた恒例としてきた【私の読んだ本・ベスト〇】をリストアップしてみる。
 今年は少し少なめである。
 もともと本を読むのがゆっくりなうえに、眼が悪くなりより遅読になってしまったのである。
 途中まで読んだが、「つん読」になってしまったものも多い。

 順番はあくまでここに【お薦め本】としてあげた順番である。


【その1】【お薦め本】『みんなの高校地学』(鎌田浩毅・蜷川雅晴著 講談社)
・防災・減災対策としての「高校地学」の提案に注目だ。


【その2】【お薦め本】『すばらしい空の見つけかた』(武田康男[写真・文] 草思社)
・空の探検家の「すばらしい空の写真展」に行った気分になる。お気に入りの一枚の前で立ち止まってみよう。


【その3】【お薦め本】『大人のための 地学の教室』(鎌田浩毅著 ダイヤモンド社)
・暮らしに役立つ「地学」の基礎・基本を学び直すのに最適!!


【その4】【お薦め本】『動的平衡は利他に通じる』(福岡伸一著 朝日新書)
・科学エッセイのヒントがここにあるのかも。


【その5】【お薦め本】『「科学知」と「人間知」を結びつけるために わたしの最終講義』(池内 了著 青土社)
・著者の最終講義をじっくり聴く気分で。「新しい博物学」はどこへ!?


【その6】【お薦め本】『生命と時間のあいだ』(福岡 伸一著 新潮社)
・今さらながらやっぱり問いたい、「生命とは!?」。


【その7】【お薦め本】『20世紀科学論文集 プレート・テクトニクス革命』(木村 学編 岩波文庫)
・プレート・テクトニクス確立・発展の科学史を知るために手元においておきたい一冊。


【その8】【お薦め本】『お天気よそうカード そらよみ』(武田康男 菊池真似 著 幻冬舎)
・お正月の「カード遊び」に使えないかな!?授業づくりにも絶対有効!!


さあ、来年はどんな本に出会えるかな。

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【お薦め本】『お天気よそうカード そらよみ』(武田康男 菊池真似 著 幻冬舎)

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▼毎日の「雲見」は究極の自然観察だと思っている。
 子どもも大人も、「自然観察」事始には最適だ。
 誰でも、いつでも、今すぐはじめることできる安直・安易・安価な「観察」だった。
 そして、「空を楽しむ」は一生モノの「科学する」だった。
 そんな「雲見」をはじめるのに、とても役立ちそうなグッズにまた出会った。

▼それが今回の【お薦め本】である。

◆【お薦め本】『お天気よそうカード そらよみ』(武田康男 菊池真似 著 幻冬舎2025/09/25)

 いつもの【お薦め本】のように、3つのお薦めポイントをあげてみよう。
 
(1)「天気の変化」の授業づくりに役に立つ教材!!
(2)家庭で「雲見」をはじめるのに最適なガイドブック!!
(3)子どもも大人も空を楽しむためのサイエンスカード!!

▼では、そのひとつずつ少しくわしく
(1)「天気の変化」の授業づくりに役に立つ教材!!
  どうしても、この視点でものを見てしまうだ。まあ一種の職業病のようなものだ。
 「授業づくり」の視点で見ると、付録についている「そらよみ ガイドブック」が最高の「指導書」だ。スバラシイ!!
 さすがプロ達の仕事である。カードの使い方のガイドブック仕様(トリセツ風)に書かれているが、私には「雲見」の「授業づくり」ガイドブック(指導書)に見える。
“もくじ”を引用させてもらおう。

・きほんの「十種雲形」をおぼえよう
・雲の名前をあてよう
 雲の「高さ」を知ろう 
 雲の「形」をよく見よう
 雨が降る雲かどうか
 似た雲どっちでしょう
・天気をよそうしよう(ここが最高にいい!!)
・雲の写真をとっておこう
・レアな空をみつけよう
・見つけた空のチェックリスト

  特に「十種雲形」の導入から「天気のよそう」への展開が最高にいい。
それも具体的なカードを使用しての話であるから、具体的な「授業展開」が見えてくる!!

(2)家庭で「雲見」をはじめるのに最適なガイドブック!!
 家族で「雲見」をはじめるための「授業」をやってみよう。
そのときも、先のガイドブックは最高の「指導書」だ。
 カードは最適の資料だ。ガイドブックの順序に従ってカードをならべてみればよい。
 家族がかわりばんこにチューターになって、「雲見」「天気のよそう」の「授業」をすればいい。
 あらたな展開のアイデアがうまれると面白いだろうな。
 ゲーム感覚でカードを楽しめばよい。
 
▼そして、最後のお薦めポイントだ
(3)子どもも大人も空を楽しむためのサイエンスカード!!
 カードは50枚ある。
 カードの表は、プロ中のプロである「空の探検家」「空の写真家」=武田康男さんが撮ったみごとな写真だ!!
裏にはわかりやすいその雲(空)の解説がついていた。空を読み解くプロである「気象予報士」「気象キャスター」=菊池真衣さんの解説はとてもわかりやすい。
 誰もが読みやすいようにすべて「ふりがな」がついていた。アリガタイ!! 
初学者にとってはこの「読み方がわからない」ということは、けっこうつまづきやすいところなのだ。
レア度の明示も、「私も見てみよう」という気持ちにさせてくれる。
 ・レア度1(週に一回ぐらい)
 ・レア度2(月に一回ぐらい)
 ・レア度3(年に数回ぐらい)
 ・レア度4(年に一回ぐらい)
 ・レア度5(一生に一度かも!)
 コンパクトサイズ(10×7㎝)のカードだから、いつも携帯していて空にかざしてみて、「同定」すればいい。
 ともかく
 空を「科学する」、「雲見」を楽しむためのうれしいグッズだ。

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【お薦め本】『20世紀科学論文集 プレート・テクトニクス革命』(木村 学編 岩波文庫)

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▼いつものように少しオオバーな話からはじめる。
 「プレート・テクトニクス」!!
 この言葉を聞くと、私の中学理科教師としての「歴史」と重ねて考えてしまうんだ。
 不勉強な私がエラそうなことは言えないが、中学校で教える「全分野」が、はじめて知ることでも、生徒たちといっしょに学びながら楽しめた!!
 ところが、ここの分野だけはちょっとちがっていた。
 「こんなこと私自身勉強したかな?」
 不安と不満がずっとあった。後で知っていくことになるのだが、
 これはまだまだ進行形の「科学」だったのだ。
 だから、自分でも少しずつ少しずつ学びながら教えることとなった。
 それもまた楽しいのだが、悲しいかな「根っこ」のところでよくわかっていないというのは苦しかった。
 根本のところで一度つまづくと、なかなか「動く大地」のほんとうの理解がすすまなかった。
 現場をはなれて久しくなり、今、「動く大地」を科学するシリーズ をすすめていても事情は同じだった!!

▼こんなとき、この「根っこ」のところをよく理解するために、この夏、とても面白そうな本と出会った!!

【お薦め本】『20世紀科学論文集 プレート・テクトニクス革命』(木村 学編 岩波文庫2025.8.8)

 「根っこ」のところがよくわかっていない人間に「論文集」なんてとんでもない、という思いだった。
 しかし、読み始めるとそうでもなかった。
 もちろん、まだこの「科学論文」を読み解いたわけではなかった。
 だが手元に置いておき、いつでも参照したい本だと思った。
 そこで、よくわからぬまま【お薦め本】にあげてみることにした。
 これからの私自身の理解を深めるためにも。
 いつものようにお薦めポイントは3つである。

(1)プレート・テクトニクスの基礎・基本を理解するために!!
(2)プレート・テクトニクス確立・発展の科学史を理解するために!!
(3)ふるさとの「あの山」の形成史を知るために!!

▼では3つのポイントをひとつずついってみよう。
(1)プレート・テクトニクスの基礎・基本を理解するために!!
 いきなりこちらの質問に答えてくれていた。さすがである!!

「なぜいま、プレート・テクトニックスの古典を読むのか」と問われたときに、まず変化球的に、「科学における古典とは何か」と問い返してみよう。古典論文とは、重要な科学的知見を最初に明確な形で記した論文で、初心の知恵が盛り込まれ、繰り返し読み返す価値ある著作と定義してみたい。(同書P5より)

・最初の重要な科学的知見
・初心の知恵
・繰り返し読み返す価値
ナルホド!!
 思わず納得してしまうのだった。
 さすが私のようなシロウトのこともよくわかっておられる。
 そして、プレート・テクトニクスの古典論文(!?)9本が紹介したあった。
 9本の「論文」のそのものの価値もさることながら、その「論文解説」がまったくわかっていない私にはありがたかった。
 「プレート・テクトニクス」こそが「遅れてやってきた科学革命」であり、地球科学のパラダイムシフトであると、熱く語りかけてくれていた。
 プレート・テクトニクスは、地球上の地殻変動は鉛直方向の上下運動で起こるという従来の造山運動論を見かけのものとして覆し、地球表層を覆う岩盤(プレート)の水平方向の相対運動こそ地殻変動の本質であるとした点で、地球科学にパラダイムの転換をもたらしたのである。(同書P6より)


(2)プレート・テクトニクス確立・発展の科学史を理解するために!!
 著者はプレート・テクトニクスの確立・発展の過程を「4幕劇」として語ってくれていた。これがとてもわかりやすく面白かった。
「4幕劇」の概要をあげてみるとこうだ。
・序幕 「大陸移動説の提案と頓挫」(1910年代~1930年)
・第1幕「大陸移動説の復活と海洋底拡大説」(1950年代末~1960年代前半)
・第2幕「プレート・テクトニクスの提案と検証」(1960年代末~1970年代初頭)
・第3幕「稠密観測とダイナミクスへの発展」(1970年代後半~現在)
 うまい!!
 再び私自身の「理科教師時代」をあてはめてみた。
 私は1975年に理科教師になった。
 まさに「第3幕」にピッタリだった。
 これまた繰り返しになるが、自分の不勉強を棚にあげて言うなら、
 学生時代に「第1幕」「第2幕」を、現在進行形の「科学」として、本格的に学ぶことなく、教師になってからも「教科書」に定着していくのには時間を要した。
 「授業」のなかで扱うのにも苦労した。でもそれもまたなかなか楽しい作業でもあったが。
 
 「科学論文」の話にもどって、第一章から第七章に割りふられた9本の「論文」は、すべて、1961年~1970年に発表されたものばかりだった。
 つまり、私たちが生きた時代にもっとも近い時代の「科学革命」劇の「第1幕」「第2幕」 のシナリオ集がここにあるというわけだ。
 今やアタリマエになった「科学用語」「ダイナミックな知見」もここからはじまっていた。
 エラそうに言うことではないが、もちろん私はこれらの「論文」を読んでしまったわけではない。錆び付きはじめたポンコツ頭には到底無理な話だ。
 でもこの本を手元に置いておき、「たしか、あそこにこんなことが書いてあったような!?」と、思うことがあったら読み返してみたいと思う。「ふしぎ!?」の「根っこ」を確かめるために。

▼最後のお薦めポイントにいこう。
(3)ふるさとの「あの山」の形成史を知るために!!
 私は「動く大地」を科学する シリーズをつづけながらどうしてもやってみたいことがあった。遠く離れた「有名な山」のことはともかく、私は今暮らす地域の「あの山」ことが知りたかった。
 「あの山」がいつごろ、どのよにしてできたのかそれが知りたかった!!
 著者はこう書いています。

 「動かざるごと山の如し」の喩えにもあるように、高く聳える山々は古来より畏怖と崇拝の対象であったが、同時に「山はなぜそこにあるのか、どうしてできたのか」といった知的好奇心の対象でもあった。やがて知的好奇心が探究心に変わり、山が地質学という学問の対象となったとき、最重要テーマとして研究されたのが山脈の形成メカニズムであった。(同書p285より)

 では「プレート・テクトニクス」は、今もっとも知りたいことにどう答えてくれているだろう!?
 「科学論文」はどんな考えるヒントを教えてくれているのだろう。
 ゆっくり 急ごう!!

 ※『図解 プレートテクトニクス入門』(木村学/大木勇人著 ブルーバックス 講談社)
もあわせてもっておくと図を参考にしてわかってくることも多かった。

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【お薦め本】『生命と時間のあいだ』(福岡 伸一著 新潮社)

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▼ここのところずっと大賀ハスの「あこがれの4日間」の「時間」のことにこだわっていた。
大賀ハスは花は、4日間だけ開閉をくり返す。
 第一日目の朝、5時30分ごろを定刻として開き始める。
 開き始めるとき花びらの順番までも決まっている。
 第四日目の午前10時ごろ、それまで強い風にも耐えていた花びら・雄しべは一斉にバサッと落ちた!!
 大賀ハスの花はどうして「時間」を知ったのだろう!?
 大賀ハスの花の「生命」とどんな関係があるのだろう!?

▼そんなシロウトの「ふしぎ!?」を考えているとき、とても興味深いタイトルの本と出会った。著者は「動的平衡」の福岡伸一氏だ。

◆【お薦め本】『生命と時間のあいだ』(福岡 伸一著 新潮社 2025.07.30)

 これが今回の【お薦め本】である。
 あまりに面白く、どうしてもこれを書いてみたくなった。
 面白さの余韻を少しずつ楽しみがら書いていきたい。
 いつもように、お薦めポイントは3つしぼっておく。

(1)自らの「生命観」「時間論」に向き合うために!!
(2)「動的平衡」を鍵に、多くの人の「世界観」を読み解くために!!
(3)「記憶と時間」を基軸とする文学の世界に誘ってくれている!!

▼それではひとずついってみよう。
(1)自らの「生命観」「時間論」に向き合うために!!
 いつものことながら、冷静になって考えてみると大げさなこと言い出したものだ。
 これもこの本があまりに面白く感動してしまったので、そのノリでついついこう書いてしまったのだ。
 「時間論」なんて普段そんなに深く考えているわけではなかった。
 この本に、少し触発された感じだ。
 著者はまずはじめに「私の時間論」として、「生命体」「時間」に次のように述べていた。

 生命体はエントロピー増大の法則にしたがって、その要素に分解され、時間とともに空間の中を拡散していく。だから要素の拡散運動を観察すると、時間の経過が観察されることになる。時間が空間に置き換えられている。この点において、時間は空間(の広がり)といえる。西田のいうところの「時間即空間」である。(同書P14より)

 また、少し表現を変えてこうとも言っていた。
 客観的な“時間”は実存しない。均一に一秒一秒、線形に経過していく“時間”とは、ヒトの脳が作り出した人工的な虚構にすぎない。もちろん、形あるものが壊れ、熱が拡散し、ゴミが散らばる、という意味での、ものごとの流転はある。しかしここにあるのは“時間”ではなく、エントロピー増大でしかない。エントロピー増大は時間の関数ではない。エントロピーの増大をどう感じるかは、受け取る者の感覚に依存する。さらにいえば、この流転を感じ取れるのは、私たち生命体が、エントロピー増大の法則に抗いながら、生命活動を行っているからだ。つまり、生命が存在するがゆえに、“時間”感覚が生まれる。ゆえにそれは極めて可変的・相対的なものだ。(同書P18より)
 
 Ⅰ部「時間論の土台」と題されたこの後の展開がすごかった。
・ダ・ヴィンチ
・ダーウィン
・ガリレオ・ガリレイ
・レーウェンフック
次々と展開される科学史のなかの「時間」に引き込まれていくのだった!!
 そして、私にとっての「時間」とは!?
 に向き合ってみたくなるのだった。

 次に行こう。
(2)「動的平衡」を鍵に、多くの人の「世界観」を読み解くために!!
 Ⅱ部「時間を探求した冒険者」の展開も実に面白かった!!
・坂本龍一の時間論、または記憶
・『火の鳥』で手塚治虫が描いたもの
・生命とは何か
・シュレーディンガーの猫の先
・村上春樹に読む自己と他者のあいだ
・「頼りない」ものに心奪われるカズオ・イシグロ
 私にとっては、まったくの未知なる分野の展開であった。
 一話ごとに、次なる話の展開が楽しみであった。
 私などの予想をはるかに超えたところで「時間論」が語られていく。

 では、いったい時間の感覚はどこから来るのだろう。坂本龍一とわたしの対話の中での結論はこうだった。わたしたちが生きているからー生命現象こそが時間を生み出している。ベルクソンがいうとおり、生命は、物質の下る坂、つまりエントロピー増大の法則に絶えず抗って、秩序を維持しようと努力している。そのとき生命は、エントロピー増大の法則に先回りして、自身の秩序をあえて破壊し、その上で秩序を作り直している。
 つまり生命は、エントロピー増大の法則に対して自ら加速し追い越している。この加速感が、未来を巻き込み、同時に過去を回収する。つまり現在というものに、未来と過去という厚みを加えた連続的な渦を作り出している。(同書P73より)

 そして、あの名著『生命とは何か』の著者シュレーディンガーにふれて次のように語っていた。
 シュレーディンガーが慧眼だったのは、ここに「エントロピー」の概念を導入したことだった。宇宙の大原則として、エントロピー増大の法則がある。エントロピーとは「乱雑さ」のことだ。宇宙のすべてのものは、乱雑さ増大する方向にしか動かない。秩序は無秩序へと推移する。ピラミッドのような壮麗な建築物も徐々に風化し、砂塵に帰す。金ピカの宝飾も錆びて色あせていく。整理整頓された部屋も乱れていく。熱いコーヒーはぬるくにり、熱烈な恋愛も冷める。そしてそれが“時”の流れる方向である。これがエントロピー増大の法則だ。この法則から免れることのできるものはない。
 ところが生命だけは、このエントロピーの法則から免れているように見える。もちろん完全に打ち勝つことはできない。生命には必ず死があり、それはエントロピー増大則が、秩序を凌駕した状態である。(同書P101より)

 こと左様に著者の「生命観」の本命=「動的平衡」を鍵に異次元の「世界観」に共鳴していく展開は、読者の「世界観」をも大きく拡げてくれる。

▼最後のお薦めポイントにいこう。
(3)「記憶と時間」を基軸とする文学の世界に誘ってくれている!!
 正直に告白しておくと、ここからは私のまったく想定外の展開だった。
 だからこそ、ここからがほんとうのお薦めポイントかも知れない。
 著者はこんなことを語っていた。

 新しい作家・作品を求めるのもよいだろう。しかし、過去の名著を読んでみること、あるいはもう一度、読み返すことにも大いなる意味がある。とくに自分が若い頃によんで深く心に残った物語を年を経て、再度、読み直すことは、自らの人生を生き直すことでもあ
ると思う。(同書P140より)
 
 と言われても、若い頃からあんまりたくさんの本を読んでこなかった私などには「自らの人生を生き直す」ことに該当する本もにわかに思いつかないのが実情だつた。!!
こんな私にはアリガタイ、「記憶と時間」を基軸する「文学」の実例が紹介してあった。 オモシロイ!!
 「文学」ってそんなに面白いのか!!
・丸谷才一著『笹まくら』  
・安部公房著『方舟さくら丸』
・津島祐子著『ジャッカ・ドフニ』
・ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』
・バージニア・リー・バートン『せいめいのれきし』
・レイチェル・カーソン『沈黙の春』

 どれもこれも目からウロコである。
 みごとな紹介に誘われて、ぜひ自分でも読んでみたくなるのだった。
今度、図書館に行ってみようかな。

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【お薦め本】『「科学知」と「人間知」を結びつけるために わたしの最終講義』(池内 了著 青土社)

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▼最近いろんな事情が重なり、人の講演(講義)を聞く機会が少なくなってきている。
 とても残念である。
 元々不勉強な私はそのような講演(講義)との出会いをきっかけにその方面の学びをはじめるということが多かっただけに、「エネルギー源」をたたれたようで哀しい。
 今の時代だから、YouTubeなどを利用していくらかは補完することもできるかもしれないが、やっぱり生がいい!!
講演者の息づかい、表情、間合い等々を含めた生のお話は、聴かせてもらったものにとっては貴重な「財産」となる。

▼いつかはぜひ生のお話を聴かせてもらいたいと思っている人のひとりに池内了さんがおられた。著書を通じて多くを学ばせてもらってきた。とりわけ「寺田寅彦」についての著作からは実に多くを教えてもらい、勝手にオンライン「寅の日」への「案内人」のように思ってきた。
 その池内氏が副題に「わたしの最終講義」とした本が出た!!
 それが、今回の【お薦め本】だ。

◆【お薦め本】『「科学知」と「人間知」を結びつけるために わたしの最終講義』(池内 了著 青土社 2025.5.28)

 さっそく手に入れ読んでみた。実に面白かった!!
例によって3つのお薦めポイントをあげておく。

(1)多種多彩なる九つの講演・講義(お話)を自由自在に楽しめる!! 
(2)著者の主文脈=「新しい博物学」が豊かに読めてくる!!
(3)読者自身の「これから」に示唆を受ける!!

▼ではポイントのひとつずつを少しだけくわしく語っておく。
(1)多種多彩なる九つの講演・講義(お話)を自由自在に楽しめる!!  
今回は、いつもとちょっとちがった本の読み方をした。
 あくまで講演・講義を想定して「一日一話」を原則として読んでいった。
 たとえ面白そうに思えても、この原則をはずさなかった!!
 ダカラ アリガタイことに 
 九日も池内了氏の「講演会」を楽しめたのだ!!
 この「講演会」はラッキーだった。メモを取る必要もなかった。だってもうそこに「書かれて」いるのだから。
 理解力の落ちてきている私は、「音読」を原則として声に出しながら読み進めた。
 頭の中で整理できにくくなると、スローになったりストップをかけたりした。
 たったひとりの「聴講者」である私の自由自在であつた。
 九つの「講演会」のテーマは、多種多彩であった。
 それは、そのお話が誰を「対象者」(「聴衆」)としていたかを物語るものだった。
 初出は、いつどんな場での講演・講義かはあげてある。
 それにしても驚いてしまう。
 著者の「守備範囲」の広さに!!
 こちらも変化自在に、そのときの「受講者」になって楽しんでしまおう。

次にいこう。
(2)著者の主文脈=「新しい博物学」が豊かに読めてくる!!
 九つの話はバラバラのようにも見えた。
 しかし、底部でしっかりツナガッテイタ!!
 それは、まるで連句のように(「連句」とは何であるかをくわしくは知らないくせに)別個に見えて、ツナガリ全体で1個の「作品」に見えてくる。
 全体の底部に流れる著者の主文脈(提言)、それは
 「新しい博物学」!!
 だと思っていた。ここは著者のコトバを借りよう。

 「新しい博物学」とは、単純に言えば、文系の知恵としてさまざまに展開されてきた諸々の「人間知」と、理系の知識として発見されてきた自然界の構造や運動についての「科学知」とを対等に盛り込んだ物語を楽しむことを目的としています。つまり、文系知と理系知を結び付けた物語を創る試みのことです。(同書P9より)

 その試みは、みごとに成功していました!!
 ここに豊かに語られた九つの「新しい博物学」物語があります。

▼3つ目のポイントにいきます。
(3)読者自身の「これから」に示唆を受ける!!
 3つ目はかなり個人的なことです。
 私にはとりわけ最後の2つの話が興味深かったです。

●第8話 科学者の「歴史の見方」とは?――播磨国の歴史から私の歴史散歩を試みる
●第9話 三〇〇年前の天の河は特定できるのか?――芭蕉と越後と天球の回転

第8話の「播磨国」とは私の「ふるさと」のことです。
 なんとこの講演は我が町でおこなわれたものなんです。残念ながらせっかくのこのチャンスを逃してしまいました。しかし、アリガタイことに、そのときの「記録」がここにあるというわけです。
 「科学と歴史を考える」では、具体的な提言もされています。
 それは、私自身の「これから」についても示唆的で、とても参考になりました。
 私にもできることから少しずつ少しずつはじめたいと思います。
 第9話についても同様です。
 私にとってのあらたな「新しい博物学」の楽しみ方を教えてもらっているようだった。
まだまだ勉強ですね。
 
 “最終講義”となっていますが、ご本人も“挑戦”すると言われいますので、どこかで 生でお話を聴く機会があることを楽しみにしていたいと思います。

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【お薦め本】『動的平衡は利他に通じる』(福岡伸一著 朝日新書)

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▼ゆっくりで、あんまりたくさんの本を読んでこなかった私にもシロウトなりの独特の読書術があった。
 “イモズル式読書術”!! デアル。
 不勉強で多くの分野での手がかりとなる“つる=キーワード”のことをよく知らなかった。そんななかひょんなことから出会ったのが
 「動的平衡」!!
 「動的平衡」「福岡伸一」をイモズルにして、ひっぱり出せる本はかたっぱしから読もうとしていた時期があった。
 なかみがどこまでわかっていたかは別にして、ともかく嵌まっていた。
 面白いと思っていた!!

▼久しぶりに「動的平衡」「福岡伸一」の本に出会った。
 それが今回の【お薦め本】である。

◆【お薦め本】『動的平衡は利他に通じる』(福岡伸一著 朝日新書 2025.3.30)

やっぱり面白かった!!
 感動がうすれぬうちに、書き留めておきたかった。
 例によってお薦めポイントは3つだ。

(1)“動的平衡”の「今」を読むことができる!!
(2)守備範囲の広い名エッセイを読むことができる!!
(3)自分でもエッセイに挑戦してみたくなる!!  

▼ではさっそく少しだけくわしくみていこう。
(1)“動的平衡”の「今」を読むことができる!!
 この本は2015.12.3~2020.3.19に「朝日新聞」で連載された「福岡伸一の動的平衡」を改題し書籍化したものを、さらに適宜加筆修正した新書版です。
私の嵌まってしまった“動的平衡”を著者のコトバを借りながら今一度その文脈を追ってみよう。

 動的平衡は、私の生命論のキーワードである。生命とは何か?この問いに対して、細胞からなるもの、呼吸しているもの、代謝しているもの、増殖するもの……というふうな形で答えを得ようとしてすると、いつまでたっても生命の周りを回るだけで、生命の本質に到達することができない。それは生命の特性を、生命の外部から列記しているだけだからだ。生命の本質に到達するためには、生命の外部からでなく、生命の内部から生命のあり方を捉える必要がある。そう考えて思考を深めていった結果、行き着いたのが動的平衡である。(同書 P3より)

 続けよう。
ところが生命だけは、この方則にあらがっている。なんとか“坂”を登り返そうとしている。無秩序になることに抵抗して秩序を作り出し、形のないところに形を作ろうとして、部分的に濃度の高い場所を生み出し、熱を産生する。酸化に抵抗して還元を行う。つまり宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則に抵抗を試みている。崩れることがわかっているのに石を積むことを諦めないギリシャ神話の英雄シーシュポスのように、あてどない営みにあえて挑戦している。これが生命の“努力”なのである。(同書 P5より)

そして、もっとも端的に“動的平衡”を語るものとして鴨長明「方丈記」の冒頭をくりかえしとりあげていた。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。

 これは彼の当時の世情に対する諦観であるが、これほど見事に動的平衡の生命論を歌い上げた一文もない。生命はまさに流れに浮かぶうたかたである。特に優れているところは、かつ消えかつ結びて、というところ。分解を合成に先んじて詠んでいることである。分解を「先回り」することによって流れにあらがうこと、まさに動的平衡そのものである。
(同書P7より)


 ここまでだけでは、“動的平衡”の「今」を語ることになっていなかった。
 次なる一文が必要であった。
 生命の基本原理は、基本原理は、絶えず他者に何かを手渡し続けること、ストックではなくフローをし続けることによって支えられている。他者のエントロピー排出を、もういちど秩序あるものに作り返すことによって成り立っている。これは利他性、あるいは相補性といってよい互恵的な関係性である。つまり動的平衡は利他性によって支えられている。(同書P9より)
 
これらの主文脈が、長年の定期連載のなかでみごとに貫かれているのである。
 
(2)守備範囲の広い名エッセイを読むことができる!!
 私は福岡伸一の文章が大好きである。
 読んでいるとあれよあれよと言う間に、まったく知らぬ世界に連れて行ってくれる。
 それは、オンライン「寅の日」で読み続けている科学者・寺田寅彦の随筆に通ずるものがあると勝手に思っていた。
 著者自身は、この名エッセイ群についてこう語っていた。
 ひとつひとつはごく短いエッセイである。短いがゆえに、それは論考というよりもちょっとした感慨であり、叙述というよりもスケッチに近い。あるいは、どちらかいえば詩や短歌に近いものかもかもしれない(詩や短歌ほど整った言葉でもないけれど)。そんな言の葉が、読者に、何らかの気づきや共感を、わずかでももたらすことができれば幸いである。時系列に並べてあるが、どこから読んでいただいてもかまわない。(同書P18より)

 そう元々が新聞のコラムだけに字数制限のなかで書かれたものなんだろう。
 それがまたこちらしてはアリガタイ!!
 新書版ではちょうど一ページ一エッセイだ。
 タイトルがつけてあるので、気になるページがあればそこから読めばいい。
 携帯しておいて、「すきま時間」に楽しむことも可能だ!!
 どのページがあなたの知らないどんな世界に連れて行ってくれるかな!?
 
▼3つ目のお薦めポイントだ。
(3)自分でもエッセイに挑戦してみたくなる!!  
 実はこれは書こうか躊躇した。
 これはお薦めポイントと言うより、私自身の独白(「ひとり言」)だ!!
 著者の名エッセイを読むうちに不遜なる思いが生まれてきた。

 私も自分でエッセイを書いてみたい!!

 ポンコツの「たわごと」だ。それはわかっている、しかし…
 著者は、ときどきうまい「文書作成術」を指南してくれていた。
 例えば

 「文章がとてもお上手ですね」と言われることがある。自分の文章がうまいのかそうでないのかは自分ではよくわからない。でも、できるだけ伝わるよう、理解されやすいように心がけていることがひとつある。
 なるべく「とはもの」を使わないようにする、ということ。DNAとは?この言い回しで始まる説明が、“とは”もの。たぶんマスコミの業界用語だ。「とはもの」で始めた時、語り手は、そのことを熟知した者として、不可避的に上から目線となり、啓蒙的な口調になる。(同書P40より)

 もうひとつだけあげてみよう。
 昔、天声人語を読めば受験勉強になる、と言われた時代があった。文章力向上をうたって、天声人語を書き写すノートも売られている。本紙の看板コラムサマと張り合うつもりなぞ大それた気持ちはみじんもないが、いまや私も小なりとは言え、入試問題頻出著者。今年も北大や法政大などで拙文が出題された。思うに、文章力・国語力のエッセンスとは、文脈のリズムに沿って、適切な言葉を選び取るセンスではないだろうか。つまり言葉を探し、言葉を削ること。短歌や俳句を作ることに似ているかもしれない。(同書P185より)

 である。
 これ以上は蛇足である!!
 実はこの名エッセイ群を読みながら、紹介したいこと他にもいっぱいメモしていたが、書けば書くほど蛇足の上書きのような気がしてきた。
 読者になるあなたが、自分風にカスタマイズして読めばいい!!
 きっとこの エッセイ 最高!!
 と言えるものをみつけることができるハズ!!

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