「日本理科教育史」をプロットする!!(55) #プレートテクトニクス #付加体 #地球科学史

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▼正直に言うと、私にはまだまだ目の前にひろがる景と「プレート」「付加体」等とツナイデ考えることができなかった。
未だに「プレートテクトニクス」はアタリマエではなかったのだ。
 私の不勉強を棚に上げての話だが
 なぜなんだろう!?

「日本理科教育史」をプロットする!!というシリーズをきわめて間歇的であるが続けていた。
 この「プレートテクトニクス」についても、いつかはプロットしておきたいと思っていた。
 「いつかは」を思っている間に、機をのがしてしまいそうなので、不案内なのを承知の上でプロットを試みたい。

 

◆【お薦め本】『プレートテクトニクスの拒絶と受容 戦後日本の地球科学史』(泊 次郎著 東京大学出版会 2008.6.2)

 

 この本の「プレートテクトニクス関連年表」から、直接「理科教育史」に関連しそうなところだけプロットしてみる。

●1970年 文部省.高校指導要領改訂.地学で大陸移動・海洋底拡大説を教えることに(実施は1973年度から)
●1971年 上田誠也『新しい地球観』
●1986年 プレートテクトニクスにもとづく教科書出版

 

▼私は授業のなかで、どうあつかってきたのだろう。

◆【大地の動きをさぐる】

 ここで参考にしただろう文献をあげておく。
●1973年 『大地の動きをさぐる』(杉村 新著 岩波書店 1973.8.23)
●1985年 『変動する日本列島』(藤田和夫 岩波新書 1985.6.20)

 

▼さて、問題はその後である。

 「プレートテクトニクス」の理科教育における「現在地」は!?

 小中学校ではどんな授業実践があったのだろう!?
 詳しい先生方の話を聞きたいものだ。

(つづく)

 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(54) #天気の変化 #上がるとザアザア #理科教室 #中原正木

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▼「○○」を科学する シリーズと同様に、私にはどうしても続けて行きたい企画があった。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

 である。
 ずいぶん間欠的な取り組みになっている。でも、やっぱり続けたかった!!

▼「天気の変化」を 科学する シリーズを続けていて、気になるお気に入りのフレーズがあった。

「あがるとザアザア 下がるとカラカラ」

 である。自分の授業でも繰り返し使ってきたフレーズだった。
 「天気の変化」はこれ使えばきまりだとさえ思ってきた!!
▼そのルーツをさがしてみた。
 ここにあった!!

◆『理科教育の構想 小学校低学年から中学3年まで』(中原正木著 新生出版 1978.3.15)

 『雨ー上がるとざあざあ下がるとからからエレベーター形式雨の話ー』

雨はどうしてふるのだろう。世界じゅうで、雨がどしどしふるところもあるし、からからのところもあるのはなぜだろう。日本では、季節によって雨がうんとふるときもあるが、ちっともふらないときもあるのはどうしてだろう。地球表面上の大きな空気の塊が、何かの原因によって上へ上へとあがっていくと、空気の塊は冷えて水蒸気が水になって雨がふる。反対に、大きな空気の塊が上から下へさがっていくときは、雲は消えて晴天がつづく。上がるとざあざあ下がるとからからエレベーター形式のこの原理を知っていれば、お天気についてのおおよそのことは見当がつくようになる。
(同書P151より)

▼では、もっと以前の取り組みはないのかと、『理科教室』を調べてみた。
 あった!!
 あらためて「上がるとざあざあ下がるとからから」の歴史を時系列にならべてみると次のようになる。

●1975年11月 「お天気の話は地球儀を使って」(中原正木 『理科教室』1975年11月号P29より)
●1977年11月 「天気の変化」(中原正木 『理科教室』1977年11月号 P216~)
●1978年3月 『理科教育の構想 小学校低学年から中学3年まで』(中原正木著 新生出版 1978.3.15)

 今回わかった範囲では、「上がるとざあざあ下がるとからから」は少なくともおよそ半世紀(50年)の歴史をもつのである!!
 他の情報をお持ちの方はぜひぜひ教えてください。
 よろしくお願いします。

(つづく) 
 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(53) #科教協 #科学教育研究協議会 #全国研究大会のあゆみ #お楽しみ広場

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「科教協」のホームページより、繰り返し

◆ 科学教育研究協議会 全国研究大会のあゆみ

 を見せてもらっている。実に興味深い!!面白い!!
 それは戦後の「日本理科教育史」とも見えてくるのだった。
 
▼今年の全国研究大会の案内も出されている。

●科学教育研究協議会 第69回全国研究大会 埼玉大会・8月4日~6日

▼参加したときは、まずはいちばんの楽しみとしてきた「お楽しみ広場」の紹介もあるようだ。
 考えてみると実に多くことを、この「お楽しみ広場」より学んできた!!
 ここで手に入れた「教材」も多い!!

 まさに、ここは「教材の宝庫」だった!!

▼そもそもこの「お楽しみ広場」とはいつごろ始まったものなんだろう!?
 参考になりそうな文献をひっぱりだしてきた。

◆『科学実験 お楽しみ広場』(本間明信・小石川秀一・菅原義一[編集] 新生出版 1992.8.10)

本間明信氏は「まえがき」のはじめに次のように書いていた。

 科教協「お楽しみ広場」の起源は1977年の岩手大会の開会行事にあります。10m以上もある北海道の昆布やスッポンの骨格などが紹介されました。
 以来「お楽しみ広場」は全国の教師たちを集めています。最も新しい実験が紹介され、普通のルートで手に入らない材料がその場で安く買えました。やがて、教科書会社・教材会社なども情報を集めに来るようになって、かつて「お楽しみ広場」でしか手に入らなかったものが、「おもての」ルートでも手に入るようになりました。学校だけの必要でなく、供給が需要をつくり出す日本全体の流通の大変化がその背景にあります。歴史のなかで、これほど情報の流れが速くなった時代もめずらしいのではないでしょうか。

 だとすると、私がはじめて参加した1978年の「松山大会」の前年ということになる。

(つづく)
 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(52) #科教協 #科学教育研究協議会 #全国研究大会のあゆみ

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▼大賀ハス「あこがれの4日間」【第5日目】2023/07/27 09:00
それはまるで電磁石のスイッチを切ったかのように、残っていた花ビラはパラパラと一斉に落ちた!!

 「あこがれの4日間」の【第5日目】とは変な話だ。
 【第4日目】2023/07/26 に落ちてしまうはずだった花ビラ・雄しべはまだ果托についていた。
 【第5日目】の07:06にもまだの状態だった。「ふしぎ!?」だ。
 この連日の猛暑の影響だろうか!?
 「水栽培池」の水不足と関係があるのだろうか!?

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▼「日本理科教育史」をプロットする!! を久しぶりに再開したいと思っていた。
 その「可能性」について述べたものの、どこから再スタートしたものかと迷っていた。
 まずは、私にもわかることからはじめようと思う。
 私は、ずいぶんたくさんのことを「科教協」から学んできた。
 「科教協 」=「科学教育研究協議会」にはホームページがあった。

◆科学教育研究協議会

▼そのなかに、「全国研究大会のあゆみ」というページがあった。
 それは、「科教協」の「歴史」そのものをよく語っていた。

● 科学教育研究協議会 全国研究大会のあゆみ 

▼私がはじめて参加した「全国研究大会」は「松山大会」だった。

●1978(昭和53)年 25回 愛媛・松山市 テーマ:自然科学をすべての国民のものに-たのしい授業で理科ぎらいをなくそう-

(つづく) 

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「日本理科教育史」をプロットする!!の可能性(3) #日本理科教育史 #等身大の理科教育史 #教材史 #現代理科教材発展史

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▼繰り返し「これまで」を見てみる。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

▼「日本理科教育史」のなかで、かなり大きなウェイトをしめているのが「教材史」である。
 さすがモノにこだわる「理科」である。
 自分でも、ひとつのモノ=「教材」にこだわった「現代理科教材発展史」を試みていた。

◆現代理科教材発展史「スライム」

◆現代理科教材発展史「究極のクリップモーター」

▼その他にもいくつかの教材についてふれていた。
#液体窒素
#過熱水蒸気
#立春の卵
#鉄と硫黄
等などである。

 もっともっと他にもいっぱい追いかけたいが、ひとりで取り組むには限界があった。
 「これまで」にも多くの人に協力してもらったが、「これから」もよろしくお願いします。
 また、多くの人で協力して取り組むからこそ、意味あるとも言えます。
 さあ、あなたもはじめてみませんか!?
 
 今こそ、その歴史をプロット(「記録」)しておかねば消失してしまうモノがいっぱいある!!

▼こんなこと考えていると、かならず思い出す一文があった。
 それは森山和道さんの「ネットワークと教育」のなかにあった。

 マルチメディア時代──とは、10年に一度しか閲覧されない資料を、どんどんどんどん蓄積していく時代なのかもしれない。

そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

(つづく)

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「日本理科教育史」をプロットする!!の可能性(2) #日本理科教育史 #等身大の理科教育史 #自分史 #サークル史 #理科の部屋30年史

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▼まずは、「これまで」をページ化してみた。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

 「これまで」に書き込んだ「記録」にリンクしながら、これまでの流れをふりかえって見た。

▼やっぱり、ぜひとも「記録」しておきたかったのは、等身大の「日本理科教育史」だった。
 そんな意味では、まず最初にくるのは、「自分史」だった。
 拙い歩みながら、自分がどんな「理科の授業」をやってきたのか。
 どんな「実践」に向き合おうとしてきたのか。
 その視点から見た「日本理科教育史」は!?

▼やがて、小さな小さなサークルから、多くを学んでいた。
 私のは場合それは

◆地下茎舎(ひめじ理科サークル)の歩み

 であった。

▼その歩みは、やがて次なる【理科の部屋】へとツナガッテいった。

◆【理科の部屋】30年史年表

 今、ゆっくりゆっくりふり返りながら、「これから」をみつけていきたい!!

(つづく)

 

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「日本理科教育史」をプロットする!!の可能性(1) #日本理科教育史 #等身大の理科教育史 #自分史

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▼私には、相矛盾する2つの「持病」があった。
・「ばっかり病」
・「あれもこれも病」
 である。「ばっかり病」を発症すると、自分ではコントロールできないまでに「○○ばっかり」になってしまう。
 無手勝流でモノ・コト・ヒトを追いかける。
 そうかと思うと、まったく別のモノ・コト・ヒトに興味が出てきてしまう。
 もうここまできてしまうと、この「持病」とうまくつきあっていくしかない!!
 その「持病」発症の一例として、とんでもない一大プロジェクトがあった。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

 である。

▼この「持病」は、間欠的に発症することが多かった。
 このプロジェクトはどこまできていたのだろうか!?
 最近話題にもなった「鉄と硫黄の化合実験」についてプロットしていた。

・「日本理科教育史」をプロットする!!(48) #鉄と硫黄 #化学変化 #舎密開宗 #宇田川榕庵 #田中実
・「日本理科教育史」をプロットする!!(49) #鉄と硫黄の化合実験 #化学指導ノート #三井澄雄 #田中実
・「日本理科教育史」をプロットする!!(50) #鉄と硫黄の化合実験 #三井澄雄 #ファーブル #化学の学校 #オストワルド #光学 #ニュートン
・「日本理科教育史」をプロットする!!(51) #鉄と硫黄の化合実験 #大竹三郎 #理科教室 #理科実験法の再検討 #教材論

 (51)の最後に、「さて、次はどんな定番実験をプロットしてみるかな。」と書いたのは2021/08/07であった。
 それからほぼ二年の時間がすぎてしまったことになる。

▼そもそも、こんな大風呂敷のプロジェクトにはどんな「ねらい」があったのだろう。
 少し、あとづけの部分もあるが こんなところであろうか。

(1)等身大の「日本理科教育史」DBをつくること!!
(2)「これから」に参考になる「歴史」を編むこと!!
(3)できるだけ多くの人の共同作業として取り組むこと!!

▼ひとりが取り組む作業としては、限界がある。
 それよりなにより、それでは面白くない!!
 遠大すぎると最初からあきらめてしまうのは モッタイナイ!?
 今、自分にも可能なことこからはじめたいものだ。
 キーワードは「自分史」!!

●「日本理科教育史」をプロットする!!(1) #日本理科教育史 #自分史

(つづく)


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「日本理科教育史」をプロットする!!(51) #鉄と硫黄の化合実験 #大竹三郎 #理科教室 #理科実験法の再検討 #教材論

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▼今一度、ふりだしにもどって「鉄と硫黄のダンゴ」実験は、日本理科教育史のなかでいつごろどのようにはじまったのだろう!?
 その「記録」が『理科教室』(当時新生出版刊)に残っていた。

●1974年10月 「鉄・いおう反応の新しいやり方とその意義について」(大竹三郎 『理科教室』1974年10月号 P68)

 その記事によれば、大竹三郎先生たちは1962年に今も教科書にある「鉄といおう反応のやり方」をすでに提案していた。
 そして、それから12年ほどたっていた。
 たいへん興味深い記述があるので少し引用させてもらう。

  しかし、12年ほどたってその間、わたしが見聞きしたことを整理してみると、つぎの2つの点で、なお現場の先生方には不満があるらしい。   1つは、生成物の硫化鉄が、塊状のままでは磁石に吸引されないが、粉状にくだいてしまうと、やはり吸引されてしまうということ。もう1つは、たしかに自発的な発熱は顕著だが、はじめにバーナーで加熱することで何人かの子どもは、発熱がそのためだと主張し、なかなか先生の説明に納得しないということ。 

そして…!!


▼これらの取り組みをまとめたとても参考になる本が出ていた。

●1980年10月『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5)

 ここに、これまでの「鉄と硫黄の化合実験」の歴史、教材としての意義等のすべてが語られていた。

▼実に教えられることの多い、名著中の名著だ!!
 特に感銘をうけ、しばしば引用させてもらう部分を今一度あげてみる。

 わたしは、現在、学校で実施されている多くの実験が、なお教材として仕上げられていないと考えます。これらの実験が授業の課題にピタリ答えられるように、その内容、形式ともに仕上げられなくてはなりません。ところが、わたしたちは、もうこれ以上、変えようとしても変えられないものと受けとめています。とくに長い歴史をもった伝統的な実験に対してそうです。(同書 P119より)

 なんと示唆的でしょう!!
 定番実験こそ、吟味を重ねる必要があると言っているのです。

▼大竹先生の指摘はさらに具体的です!!
 

やはり、自分の中に、それだけの必然性がなくてはなりません。そうした必然性は、果実の熟するのに似ていて、ある期間の熟成を待たないと、具体的に現れてこないようです。それもなにかのきっかけが必要です。わたしの場合実験改善の必然性も、新しい実験の発見も、そのきっかけは、授業における子どもの発言です。また、授業をした先生のつまずきです。もちろん、わたし自身によるその経験です。こうした諸条件が整っていないときは、鉄・硫黄の反応に見たように、いくら本を読んでいても気づかずに通ってしまうのだと思います。(同書 P120より)

 納得です。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 さて、次はどんな定番実験をプロットしてみるかな。

(つづく)

 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(50) #鉄と硫黄の化合実験 #三井澄雄 #ファーブル #化学の学校 #オストワルド #光学 #ニュートン

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▼「鉄と硫黄の化合実験」という定番実験の歴史についてもう少しくわしくみていこう。
 参考にさせてもらったのは前回につづきこれだった。

●1977年2月 『化学指導ノート』(三井澄雄著 むぎ書房 1977.2.28)
[6]「鉄とイオウの化合実験」物語 (同書 P160)
(2)銕和硫黄(鉄はイオウと化合する)

 ここでは、『舎密開宗』からはじまり、これまでにこの定番実験が出てくる文献がくわしく紹介されていた。
 紹介されている順番にあげてみる。

●1935年 『化学講座実験法』(大幸勇吉著 共立社)
 「室温に於いても鉄と硫黄と化合することを示さんには次のようにする。…」
 三井先生も実際にこの方法で挑戦されたようだ。


▼次にあげてあるのが、あのファーブルの本だ。

●1961年 『ファーブル 化学のふしぎ -混合・化合、元素-』(ファーブル著 市場泰男訳 さ・え・ら書房)
 
 三井先生は、この20年ほど前に田中実先生からその英訳をお借りして読まれたそうだ。
 私はまだこの本をみたことがなかった。ぜひ見てみたいものだと思っているが。

▼次はあの有名なオストワルドの『化学の学校』だ。

●1959年5月 『化学の学校 下』(オストワルド著 都築洋次郎訳 岩波書店)
 『化学の学校』原著の初版 は1903年!!
 
この実験は、同書の「五八 鉄 二」の最後(同書p112)と「五九 鉄 三」の最初(同書P113)です。
 その部分を少し引用させてもらいます。

先生 -鉄とイオウは非常にたやすく結合します。鉄屑とイオウ粉とをその化合比32:56の割合にまぜて、一部分をとって乾いた試験管で熱します。

生徒 あ、全部真赤にもえている。
 
先生 そうして硫化鉄ができます。もう一つの部分を水でうるおし、壺の中へ入れて放置します。明朝どんなものができているか、見てみたい。(中略)


 五九 鉄 三
生徒 あの混合物から何が出てきたか、よくみました。まるっきり黒い塊です。これも硫化鉄ですか。 
先生 自分でたやすく検査できます。硫化鉄については、どんなことをご存知ですか。
生徒 塩酸を加えると、硫化水素を出します。試してみてもよいですか。うへ、これは完全に硫化水素です。
先生 ごらんのように、両元素は常温でも結びつくことができるのですが、ただその変化は緩慢です。しかし結果がわかる程度の早さです。この実験を君にやらせたのは、ゆるやかな反応にも親しんで貰うためです。
生徒 しかし、混合物を小試験管で熱したとき発生した熱はどこに残っているのですか。(後略)

 
 
 このあと「発熱反応」についての問答が続きます。
 まったく驚きです!!もうここまで出ていたとは!!

▼これで驚いていると、もっとびっくりすることがあった。
 もっと古い例があがっていた。

●1983年11月『光学』(ニュートン著 島尾永康訳 岩波書店)

 三井先生は旧版をあげておられたが、私は新版を参照した。
 原著の初版は、なんと1704年だ。

 三井先生が田中実先生に教えられ、しらべたと言うところがあった。
 第三篇の最後にある「疑問三十一」の中に出ていた。
こうである。

 粗大な硫黄でさえも、これを粉末にし、等しい重量の鉄のやすり屑と少量の水を混ぜてペーストにすると、鉄に作用して、5,6時間もすれば触れられないほど熱くなって炎を発する。(同書P335より)

 なんとこんな昔からよく知られていたのか!!
 驚くばかりである。
 
(つづく)

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「日本理科教育史」をプロットする!!(49) #鉄と硫黄の化合実験 #化学指導ノート #三井澄雄 #田中実

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▼「定番実験」のルーツをたどることは最高の教材研究となるだろう!!
 ・実験のねらいはどこに!?
 ・実験の留意点は!?
 今一度、自分の「記録」をみておく。

●5-1 鉄と硫黄の化合


▼私の追究はいつも無手勝流だ!!
 しかし、いつもヒントをもらいキーになる本や人に出会う。
 この場合は次の本だった。

●1977年2月 『化学指導ノート』(三井澄雄著 むぎ書房 1977.2.28)

 この本に、このときまでのすべてが書かれていた。
 次のタイトルで

[6]「鉄とイオウの化合実験」物語 (同書 P160)


▼ここにすべてがあった!!
 なかでも (1)はじめに の文章は三井先生自身の「鉄とイオウの化合実験」出会いからはじまり、なぜ「定番」になったのかがくわしく語られていてとても参考になる。少し長くなるが引用させてもらう。

[6]「鉄とイオウの化合実験」物語

(1) はじめに

 「鉄とイオウの化合実験」と私の最初の出会いは、もうかれこれ20年もまえのことになろうか。当時、東京化学サークルでは教材整理の原則を検討するとともに、その具体化の第一歩として中学1年の「水の化学」の学習プランづくりを行なっていた。その検討の中で、化合の実験として、反応の前後の物質を、生徒があいまいさなしに、感覚的にしっかりつかまえることのできるものを選びたいと考え、鉄とイオウの化合実験を使うことにしたのである。「これを使うと、単に鉄とイオウとをまぜただけの混合物の場合には各成分がルーペで見わけられたり、磁石でよりわけるこができるが、化合すると、全然べつのものに変化することが、磁石を使って、かなりうまく実験的に証明ができる。塩酸を加えて硫化水素を発生させれば、なおさら新しくできた物質の性質を強く印象づけるこができる」からである。このときが、私と「鉄とイオウの化合実験」との最初の出会いであった。


▼物語は続いていた。

(2)銕和硫黄(鉄はイオウと化合する)
 宇田川榕庵の『舎密開宗』にこの実験が出ていることを、三井先生は1973年9月の初めごろ、田中実先生から教えてもらっている。
 この頃、田中実先生は前回ふれた『舎密開宗』の現代語訳にあたられていたのである。
 このあとも、田中先生とのやりとりのなかで、この実験の歴史について語られている。
 実に興味深い!!

(3)鉄粉さがし

(4)鉄粉工場見学

も実に面白い!!

(つづく) 

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