本日(2025/07/08)、第415回オンライン「寅の日」!! #夏の小半日 #traday #寺田寅彦

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▼第1号大賀ハスの「あこがれの4日間」の四日目だった。
 今回はずいぶん変則的な4日間となってしまった。
 しかし
 やっぱり、佇立する果托にしっかりと雄しべがへばりついていた。
 「あこがれの4日間」の「ふしぎ!?」はまだまだつづくのだった。

▼本日(2025/07/08)は、第415回オンライン「寅の日」である。
 7月のテーマは、私たちの毎日の暮らしに深く関係する「気象」(天気の科学)だった。

 【7月テーマ】「寅彦と気象」

 一回目の本日は、「夏の小半日」を読む。
 
◆本日(2025/07/08)、第415回オンライン「寅の日」!!

●「夏の小半日」(青空文庫より)

▼まずは「自然」の「ふしぎ!?」に向き合うときの観察眼・観察力の大切さを力説していた。

よく「自然」は無尽蔵だと言いますがこれはあながち品物がたくさんにあるというだけの意味ではない。たとい一本の草、一塊の石でも細かに観察し研究すれば、数限りもない知識の泉になるというのです。またたとえば同じ景色を見るにしても、ただ美しいなと思うだけではじきに飽きてしまうでしょうが、心の目のよくきく人ならば、いくらでも目新しい所を見つけ出すから、決して退屈する事はないでしょう。それで観察力の弱い人は、言わば一生を退屈して暮らすようなものかもしれません。諸君も今のうちにこの観察力を養っておく事が肝要だろうと思います。
 
 さらに具体的に話が展開します。
このような波の進んで行く速さは、波の峰から峰、あるいは谷から谷までの長さいわゆる「波の長さ」の長いほど早く、また浅い所へ来るとおそくなります。見慣れない人は波の進むにつれて水全体が押し寄せて来るように思う事もあるそうですが、実際はただあのような、波の形が進んで来るだけで、水はただ、前後に少しずつ動揺しているという事は水面に浮かんでいる物を見ていてもだいたいはわかります。

 そして、「観察」から「実験」へと 科学することに誘ってくれる。
また機会があったら水の底にできているこの波形の波長を計ってごらんなさい。通例、深い所ほど波長が短くなっているでしょう。

 試みにこのような、充分水を含んだ細砂を両手で急に強く握りしめると、湿気が失(う)せて固くなるが、握ったままでいるとだんだん柔らかくなってダラダラ流れ出します。足で踏んでも、踏んだ時は固いが、だんだん足がめり込んで行きます。よほどおもしろいものだから、忘れずにためしてごらんなさい。

▼「観察」「実験」を繰り返すうちに、「ふしぎ!?」は深まり、科学することが面白くなっていく。
 そして、あのコトバを思い出させる!!

 浜べには通例大きい砂も細かい砂もあるが、たいてい大きいのは大きいの、細かいのは細かいのと類をもって集まっているのは、考えてみると不思議ではないでしょうか。波が砂をかきまぜているのに、どうして一様に交じらないでしょうか。
 
 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

 さらに「ふしぎ!?」はつづく。

 海岸では晴れた夏の日の午前にはたいてい風が弱くて、午後になると沖のほうから涼しい風が吹き出します。これは海軟風ととなえるもので、地方によりいろいろな方言があります。

 最後には、こう言っている。
浜べで見られるおもしろい現象もまだいろいろありますが、またいつかお話ししましょう。

 この「おもしろい現象」を自分でみつけだすのも「科学する」の醍醐味かもしれないですね。
 夏休みの「自由研究」テーマをみつけるヒントが書かれているのかも。
 

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第59回オンライン句会「寅の日」7月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

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▼私は子規が大好きである!!
 私の毎日は
・『子規に学ぶ 俳句365日』(草思社)
・『正岡子規 句めくり 2025』(松山市立子規記念博物館
 からはじまった。

 今年も「子規庵の糸瓜」は、順調にのびてきた。

▼我らが寅日子先生も子規のことが気になっていたようだ。
 「子規の追憶」(青空文庫より)のなかで、次のように言っていた。

 とにかく、文学者と称する階級の中で、科学的な事柄に興味を有ち得る人と有ち得ない人とを区別する事が出来るとしたら子規はその前者に属する方であったらしい。この事は子規という人とその作品を研究する際に考慮に加えてもいいことではないかと思う。

▼そんな寅日子先生に師事するオンライン句会もはじめて、はや5年近くが過ぎようとしている。
 あらためて、第59回オンライン句会「寅の日」7月例会の案内をあげておく。

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第59回オンライン句会「寅の日」7月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2025年7月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2025年7月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2025年7月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

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▼子規のすばらしいと思うのは、松山でも根岸の「子規庵」でも句会にこだわっていたところである。
 「句会」にこそ、俳句の本質・醍醐味を見出していたのだろう。
 あなたも挑戦してみませんか。

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本日(2025/06/26)、第414回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼今年も「大賀ハス観察池」に、第1号の花芽が大きくたくましく成長してきた。
 うれしい!!
 これで今年も、「あこがれの4日間」を一回は楽しめそうだ。
 それはいつだろう!?

▼本日(2025/06/26)は、第414回オンライン「寅の日」である。
 6月のテーマは、古くて新しい「原子論」である。
 具体的には「ルクレチウスと科学」を読むのである。

 【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

 6月は三回ともこれを続けて読んできた。
 本日はその三回目・最終回である。
 
◆本日(2025/06/26)、第414回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(3)(青空文庫より)


▼今回は目安として
(3) 五、六、後記
 を読むこととしていた。あくまで目安だが
 
 <五>
 このあたりから、強く寅彦自身の文脈が見えてくるような気がするのである。

  この方法論は、実は、はなはだ科学的なものである。彼の考えを敷衍(ふえん)して言えば、経験によって明確に否定されないすべての可能性は、すべて真でありうることを認容してかからねばならないというのである。この事は意外にもかえって往々にして現時の科学者によって忘却される。精密という言葉、量的という標語を持ち出す前にまず考えなければならない出発点の質的のオルターネティヴが案外にしばしば粗略に取り扱われる。

 こんなことまで言っていた。
これは、ある意味から、自然方則の変遷を考えているものとも見られる。科学の方則ははたして永劫(えいごう)不変のものであるか。これはきわめてまれにしか持ち出されなかった問題である。
 
 
<六>
 いよいよ寅彦の本意に近づいて来た。
 「なぜ、今 ルクレチウスなのか!?」の答えがこのあたりにあるような気がするのだった。
科学は進歩するが人間は昔も今も同じであるという事を痛切に感じないではいられない。同時に今の科学者がルクレチウスから科学そのものは教わらなくても、科学者というものの「人」について多くを教わりうるゆえんをここにも明らかに認めうると考えるのである。

私はこの書に結末らしい結末のない事をかえっておもしろくも思うものである。実際科学の巻物には始めはあっても終わりはないはずである。

▼いよいよ最後である。
<後記>
 寅彦はもっとも言いたかったことをここに集約しているように思う。
 このコトバがすべてを語っていた。

 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。

 少し表現をかえて賞賛が続いていた。
 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウスは実にわれわれにこの科学系統の根幹を思い出させる。そうする事によってのみわれわれは科学の幹に新しい枝を発見する機会を得るのであろう。

 現代の科学がルクレチウスだけで進められようとは思われない。しかしルクレチウスなしにいかなる科学の部門でも未知の領域に一歩も踏み出すことは困難であろう。

 最後に寅彦はとても面白い「座標軸」を提案していた。
 今かりに現代科学者が科学者として持つべき要素として三つのものを抽出する。一つはルクレチウス的直観能力の要素であってこれをLと名づける。次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一(オクタント)空間を考え、その空間の中の種々の領域に種々の科学者を配当する事ができるであろう。
 
 繰り返しての念押しも忘れていなかった。
 誤解のないために繰り返して言う。ルクレチウスのみでは科学は成立しない。しかしまたルクレチウスなしには科学はなんら本質的なる進展を遂げ得ない。

 そして、最後の最後にこう言い切った。
また一方私はルクレチウスをかりて自分の年来培養して来た科学観のあるものを読者に押し売りしつつあるのではないかと反省してみなければならない。しかし私がもしそういう罪を犯す危険が少しもないくらいであったら、私はおそらくルクレチウスの一巻を塵溜(ごみため)の中に投げ込んでしまったであろう。そうしてこの紹介のごときものに筆を執る機会は生涯(しょうがい)来なかったであろう。

 逆説的であるがきわめて熱く熱くルクレチウスを語っているのである。薦めてくれているのである。
 科学者・寺田寅彦が、今から約100年(96年)も前に語っているのである。

 <はじめにルクレチウスありき!!>

 と。まだまだ反芻作業をつづけよう。

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2025年7月のオンライン「寅の日」は #寅彦と気象 #traday #寺田寅彦

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▼「梅雨に入ったばかりだったのでは!?」
 雲一つない青空に向かって愚痴ってもしかたない。
 それにしても暑い!!
 ともかく暑い!!
 この暑さはどこから!?
 天気の「ふしぎ!?」はどこまでもつづく。

▼7月のオンライン「寅の日」の計画をたてる時期だ。
 科学者・寺田寅彦もこの「天気・気象」に強い関心をもっていた。
 関連した随筆も多く書いていた。
 そこで7月テーマを次のようにする。

【7月テーマ】「寅彦と気象」

 7月にオンライン「寅の日」は2回ある。
■2025年7月のオンライン「寅の日」!!
◆第415回オンライン「寅の日」 …7/08(火)
◆第416回オンライン「寅の日」 …7/20(日)

▼数多くある「気象」関連の随筆のなかから何を読むか迷うところであったが、次の2つにきめた。
・「夏の小半日」
・「颱風雑俎」
 まずは「ふしぎ!?」の謎解きからはじめよう。
 防災・減災にツナガル「科学」を寅彦から学びたいものだ。

■2025年7月のオンライン「寅の日」!!

◆第415回オンライン「寅の日」 …7/08(火)「夏の小半日」(青空文庫より)

◆第416回オンライン「寅の日」 …7/20(日)「颱風雑俎」(青空文庫より)

▼今続けている 「梅雨の空」を科学する シリーズ もいましばらく続けたいとおもっている。
 ここでもやはり寅彦の「科学する」に学びながら。
 この夏、私たちの暮らす「大気の物理学実験室」に何が起こるだろう!?
 

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本日(2025/06/14)、第413回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼はじめに「自然哲学」ありき!!
 またまた大げさなことを言うが、私は「自然哲学」というコトバが好きだ。
 あのファラデーも、科学者という新しい用語を嫌い。ナチュラル・フィロソファーという古い言葉を好んだそうである。

▼本日(2025/06/14)は、第413回オンライン「寅の日」である。
 6月のテーマは、古くて新しい「原子論」である。
 具体的には「ルクレチウスと科学」を読むのである。

 【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

 6月は三回ともこれを続けて読んでいる。
 本日はその二回目である。
 
◆本日(2025/06/14)、第413回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(2)(青空文庫より)

▼一応ひとつの目安として 次のように三回に分けていた。
(1) 緒言、一
(2) 二~四
(3) 五、六、後記

 今回は(2)だった。
 <二>
 最初に「原子論的物質観」の授業を思い出すようなことが書かれていた。

  元子は結合するが、その結合は固定的ではなく、不断に入れ代わり、離れまた捕われる。eternal give and take である。しかしその物質の総和は恒久不変であると考える。ここの考えは後代の物質不滅説を思わせる事はだれも認めるであろうが、また見方によっては、たとえば溶液分子のようなものの化学的平衡を思わせる何物かを含んでいるからおもしろい。

 さらには「三態変化」である。
 元子は互いに衝突する。その速度は一部は固有のものであり、一部は衝突によって得るものである。衝突の結果はいろいろである。ある元子はその複雑な形状のために互いに引っ掛かって結合して剛かたい物を造るが、あるものは反発して柔らかい物質となりあるいは全然離れ合ってしまう。これは言わば固液気三態の原子構造の説明と見られる。

 そして「ブラウン運動」にまで
 日光に踊る微塵(みじん)の有名な譬喩(ひゆ)の出て来るのはこの条である。私のおもしろいと思ったのは、元子の寄り合ってできる細粒が、不可視的元子の衝動によって動かされて、粒全体としての運動を生ずるという考えが述べてあることである。それがちょうどブラウン運動の記述に相当する事である。

 そして、なんと原子数にまで話が及んでいるのである。
この考えはある点において現代の原子内部構造の予想として見る時に興味が深い。すなわち原子はその核の周囲をめぐる電子を一つずつ増すことによって一つの物質から他の物質に移って行く。すなわち原子数(アトミックナンバー)を増して行く。もしも元素の種類が無限に多様にあるとすれば、原子数、あるいは原子量の無限大な物質原子が存在する事になるはずである。しかし実際にそんなものはない。すなわち原子の「形」の種類には制限があるのである。

 さらには「平衡」まで出てくるのである。
 これら無数の元子はその運動の結果として不断に物を生成し、また生じた物は不断に破壊され、生成と破壊の戦いによって世界は進行する。生のそばには死、死のそばには生があるのである。この考えにはいわゆる「平衡(イクイリブリアム)」の観念が包まれている。

 そして、世界観・宗教観にまで話は及ぶ。
 以上の所説のごとくにして造られた世界には、同じようなものがたくさん共存するという考えから、われわれのと同じ世界が、他にもいくつも存在するであろうという考えが述べてある。これも一つの卓見であると言われよう。さように限りなき宇宙を一人の力で支配する神様はないはずだというところへ鋒先(ほこさき)を向け、そして例の宗教の否定が繰り返される。

 <三>
 ここではたぶんに寅彦は自らの<文脈>により強く引き寄せて解説していると思う。
 ひとつだけ引用させてもらう。

 私は思う。直観と夢とは別物である。科学というものは畢竟(ひっきょう)「わかりやすい言葉に書き直した直観」であり、直観は「人間に読めない国語でしるされた科学書の最後の結論」ではないか。ルクレチウスを読みながら私はしばしばこのような妄想(もうそう)に襲われるのである。

▼そして次の章に進む。
(四)
 最初にこう解説していた。

 以上紹介したところによって、私はルクレチウスの根底に存する科学的精神の一般的諸相と、彼の元子説のおもなる前提ならびにその運用方法の概念だけを不完全ながら伝えることができたように思う。以下の三巻に現われるこれらの根本的なものは、多く述べきたったものの変形であり敷衍(ふえん)であるとも見られる。
 また一方、以下各巻に現わるる具体的の自然現象の具体的説明となれば、これらはそのままでは当然現在の科学に照らした批判に堪えうるものではない。

 肝心のところは、もう解説したよ。
 後はこれらの繰り返しだよ。と言っているのだった。
 とは言いながら、「光」についてのふれていた。
アリストテレスやピタゴラスらは、目から発射するある物が物体を打つために物が見えると考えたのに反して、この著者が物体から飛来する何物かが目を刺激するのであると考えた点は、ともかくも一歩だけ真に近い。

 最後に寅彦独特のアイロニックな教育批判には耳を傾けておきたい。
多くの学生らは教科書に書いてない眼前の問題はあまり考えてみないものと思われる。そして教わったものなら、どんなめんどうな数式でも暗記していて、所問に当たろうが当たるまいが、そのままに答案用紙に書き並べるのである。二千年前のルクレチウスのほうがよりよき科学者であるのか、今の教育方針が悪いのか、これも問題である。

 
 ここまで読んできて強く思う。
 私たちも、私たち自身の<文脈>に引き寄せてルクレチウスを読むのが楽しいのでは!!

(つづく)

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本日(2025/06/02)、第412回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼正直に言うと、私のなかで「青空の青」と「原子論」がツナガッタのはごく最近のことだったのだ。
 「原子論的物質観」こそをと大きなことを口にしながらも、それらは別々の「知識」でしかなかった。
 ツナガッタ!!
 と思っていても、しばらく遠ざかっているとまた別々のものになってしまう。
 ツナゲテ 「見る」「観察する」「考える」
 そして「楽しむ」!!
 を繰りかえしているとひとつのものになってくるかな。

▼本日(2025/06/02)は、第412回オンライン「寅の日」である。
 6月のテーマは、この「原子論」である。
 具体的には「ルクレチウスと科学」を読むのである。

 【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

 6月の三回ともこれを続けて読みたい。
 本日はその一回目である。
 
◆本日(2025/06/02)、第412回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(1)(青空文庫より)

▼これまた正直に言うと、私にはとても難解で長編だった。
 一応ひとつの目安として 次のように三回に分けておく。
(1) 緒言、一
(2) 二~四
(3) 五、六、後記 

 まず<緒言>である。
 これが書かれたのは、1929(昭和4)年9月である!!
約100年前であることを頭に置いて読むと、「原子論」の歴史も見えてくるかも知れない。
 <緒言>では、繰り返しルクレチウスの有効性を力説していた。

 要するにルクレチウスは一つの偉大な科学的の黙示録(アポカリプス)である。そのままで現代の意味における科学書ではもちろんありうるはずがない。もしこの書の内容を逐次に点検して、これを現在の知識に照らして科学的批判を試み、いろいろな事実や論理の誤謬(ごびゅう)を指摘して、いい気持ちになろうとすれば、それは赤ん坊の腕をねじ上げるよりも容易であると同時にまたそれ以上におとなげないばかげた事でなければならない。

ヨハネは目的の上からすでに全然宗教的の幻想であるのに反して、ルクレチウスのほうは始めから科学的の対象を科学的精神によって取り扱ったものである。彼の描き出した元子の影像がたとえ現在の原子の模型とどれほど違っていようとも、彼の元子の目的とするところはやはり物質の究極組成分としての元子であり、これの結合や運動によって説明せんと試みた諸現象はまさしく現在われわれの原子によって説明しようと試みつつある物理的化学的現象である。

しかし私のここで問題とするところは、現代の精密科学にとってルクレチウスの内容もしくはその思想精神がなんらかの役に立ちうるかということである。ルクレチウスの内容そのものよりはむしろ、ルクレチウス流の方法や精神が現在の科学の追究に有用であるかどうかということである。

 次にかってに注目したキーワードが出てきた。「かぐ」である。
ほとんどいかなる理論的あるいは実験的の仕事でも、少しでも独創的と名のつく仕事が全然直観なしにできようとは到底考えられない。「見当をつける」ことなしに何事が始め得られよう。「かぐ」ことなしにはいかなる実験も一歩も進捗(しんちょく)することはあり得ない。うそだと思う人があらば世界の学界を一目でも見ればわかることである。

 そして、ルクレチウスのすすめ をこう書いていた。
要するに私がかりに、「科学学者」と名づける部類の人々には役に立たないが、「科学研究者」と名づけるべき階級の人々には、このルクレチウスは充分に何かの役に立つであろうと信じるのである。
 一方において私は若い科学の学生にこの書の一読をすすめてもよいと思うものである。

 そして、ぜひとも注目しておきたいのは、寅彦こそがはじめて「ルクレチウスのすすめ」を書いた科学者なのである。
私はただ現代に生まれた一人の科学の修業者として偶然ルクレチウスを読んだ、その読後の素朴(そぼく)な感想を幼稚な言葉で述べるに過ぎない。この厚顔の所行をあえてするについての唯一の申し訳は、ただルクレチウスがまだおそらく一度も日本の科学者の間にこの程度にすら紹介されなかったという事である。

▼さあ、いよいよなかみの<一>である。
 より具体的にルクレチウスの有効性が語られていた。

 今日の科学の方法に照らして見れば、彼が「無より有は生じない」という宣言は、要するに彼の前提であり作業仮説であると見られる。もっとも、無から有ができるとすれば、ある母体からちがった子が生まれるはずだといったような議論はしているが、これらは決して証明ではあり得ない事は明らかである。
 
そしてここに述べられたアルファベットが寄り集まっていろいろな語を作るように、若干の異種の原子がいろいろに結合していろいろのものを作るという彼の考えはほとんど現在の考え方と同様である。のみならずおもしろい事には現在われわれは原子の符号にアルファベットを用い、しかもまたいろいろの物質をこれら符号の組み合わせで表わすのである。これは全然ルクレチウスの直伝である。

 元子によって自然を説明しようとするのに、第一に必要となって来るものは空間である。彼はわれわれの空間を「空虚」(void)と名づけた。「空間がなければ物は動けない」のである。彼の空間は真の空虚であってエーテルのごときものでない。この点もむしろ近代的であると言われよう。
 物質原子の空間における配置と運動によってすべての物理的化学的現象を説明せんとするのが実に近代の少なくも十九世紀末までの物理学の理想であった。そうして二十世紀の初めに至るまでこの原子と空間に関するわれわれの考えはルクレチウスの考えから、本質的にはおそらく一歩も進んでいないものであった。

 次には、空間と物質とが「それ自身に存在する」ただ二つのものであって、それ以外に第三のものはないという事を宣言している。その意味はすでに前述のごとく器械的力学的自然観の基礎として現代に保存されたものと同義である。

時間もそれ自身の存在を持たないと言ったルクレチウスの言葉がそこになんらかの関係をもつように思われる。「物の運動と静止を離れて時間を感ずる事はできない」という言葉も、深く深く考えてみる価値のある一つの啓示である。
 
 このあたりまで来ると、ポンコツ頭には一回ではなかなかついていけなくなる。
 時間をかけての反芻作業が必要なようだ!!
 最後にもうひとつだけ引用させてもらおう。
 この物質量の無限大を論ずる条下に現われているもう一つの重要な考えがある。元子が集合して物を生ずるのは、元子の混乱した衝突の間に偶然の機会でできあがるものであって、何物の命令や意志によるのでもない。そういう偶然によって物が合成されうるためには無限の物質元子の供給を要するというのである。この「偶然」の考えも実に近代の原子説の根底たる統計力学の内容を暗示するように見える。

 次回までにも、時間をかけて反芻作業をつづけておきたい。

(つづく)
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2025年・子規庵の糸瓜(7年目)を植え替えた!!(2025/05/27) #子規 #子規庵 #糸瓜 #松山市立子規記念博物館

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▼子規庵の糸瓜のたねを蒔いたのは19日前の2025/05/08だった。

●「子規庵の糸瓜」7年目の種子を蒔いた!!(2025/05/08) #子規庵 #糸瓜 #糸瓜の種子


▼「蒔かぬ種は生えぬ」
 このアタリマエ!!では
 「蒔いた種は生える」
 はアタリマエか!?
 「蒔いた種が生える」もちろん生えぬ種もあった。でも多くの種が生えて、成長してきた!!
 今さらながら、このアタリマエにいたく感動するのだった。

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▼今年から、糸瓜を育てる場所が限られてきた。
 いったん「露地植え」に変えていたが、今年から再びプランタンで育てる事にした。
 ちょっと大きめのプランタン3つ。
 元気そうな苗から植え替えた。
 あまりに元気そうに成長してきていたから、ついつい欲張りをしてしまったかも知れない。
 植え替えた苗は12本!!

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▼さあ、7年目の今年はどんな展開になるだろう。
 9/19の子規忌・糸瓜忌に間に合うかな!?
 
 今年こそ再訪したいものだ!!
●子規庵
●松山市立子規記念博物館

 いずれにしても、常時これらとツナガッテいることにより多くの情報を得ることができる。
 「子規」とツナガッテイル!!

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第58回オンライン句会「寅の日」6月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

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▼寅日子先生も柿の花を詠んでいた。

 人の世の我に友あり柿の花 (明治34年)
 柿の花金魚の鉢にとられけり (明治34年)

▼寅日子先生のコトバに
 「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」
 というのがある。
 「柿の花」という季語では、人々はどんな景を詠むだろう!?
 実際に自分でも詠みながら、他の人が詠む句を楽しむ!!
 それが「句会」である。
 それが実に面白く楽しい!!

▼それもはや第58回となった。
 あらためて第58回オンライン句会「寅の日」6月例会の案内をあげておく。

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第58回オンライン句会「寅の日」6月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (参加を希望される場合は「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2025年6月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2025年6月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2025年6月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

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▼オンライン句会「寅の日」をはじめてはっきりと言えることがある。
 私の場合 どこまで「上達」したかはきわめて疑問だが

 俳句が楽しくなってきた!! 

 これだけは確かである。
 あなたも挑戦してみませんか。

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本日(2025/05/21)、第411回オンライン「寅の日」!! #コーヒー哲学序説 #traday #寺田寅彦

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 好きなもの
   イチゴ コーヒー 花美人
 懐手 して 宇宙見物
           1934年1月2日

 寺田寅彦の銅像の台座にローマ字で書かれたこのコトバは、寅彦自身の「日記」からのものだった。
 私の【宇宙見物】はここからお借りしたものだ。
 コーヒーもずいぶん大好物だったようだ。

▼本日(2025/05/21)は、第411回オンライン「寅の日」である。
 5月のテーマは、ちょっと大げさに「寅彦と哲学」である。

 【5月テーマ】「寅彦と哲学」

 その二回目である本日は、「コーヒー哲学序説」を読む。

◆本日(2025/05/21)、第411回オンライン「寅の日」!!

●「コーヒー哲学序説」(青空文庫より)


▼その大好きな「コーヒー」についても、「哲学序説」とはたいそうな話だ!!
 でも読んでみるとけっこう面白い!! さすが…
 自分の「コーヒー」のつきあいの歴史も思い出しながら読むとなお面白いかもしれない。
 
 さあ、寅彦のお手並み拝見だ!!
 

コーヒーの出し方はたしかに一つの芸術である。
 しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。

 
コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。

  研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである。

 ナルホド!!
 あるあるダ!!

▼さあ、いよいよ寅彦の本領発揮である。

 芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない。
  
宗教は往々人を酩酊(めいてい)させ官能と理性を麻痺(まひ)させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察(どうさつ)と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。

 コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった。これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの酔いの効果であるかもしれない。

 今朝の「寅彦珈琲」の一杯はより刺激的だった!!
 

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2025年6月のオンライン「寅の日」は #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼「科学する」シリーズで「原子論」を追いかけたことがある。

◆「原子論」を科学する

 「原子論的物質観」の授業の話からはじめて、「原子論」の科学史を追う作業はとても面白かった!!
 そのなかで「ルクレチウス」がしめる位置はきわめて興味深かった。

▼6月のオンライン「寅の日」の計画をたてる時期が来ていた。
 科学者・寺田寅彦もこの「ルクレチウス」に強い関心をもっていた。
 そこで6月テーマを次のようにする。

【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

 6月にオンライン「寅の日」は3回ある。
■2025年6月のオンライン「寅の日」!!
◆第412回オンライン「寅の日」 …6/02(月)
◆第413回オンライン「寅の日」 …6/14(土)
◆第414回オンライン「寅の日」 …6/26(木)

▼読む随筆は決まっていた、「ルクレチウスと科学」である。
 とんでもない大作である。
 昭和4年(1929)、と言うからほぼ100年も前に書かれたものである。
 6月の3回ではなかなか読み切れないかもしれないが、読み始める「きっかけ」ぐらいになるかも知れないと思い3回に分けて「挑戦」してみる。

■2025年6月のオンライン「寅の日」!!

◆第412回オンライン「寅の日」 …6/02(月)「ルクレチウスと科学」(1)(青空文庫より)

◆第413回オンライン「寅の日」 …6/14(土)「ルクレチウスと科学」(2)(青空文庫より)

◆第414回オンライン「寅の日」 …6/26(木)「ルクレチウスと科学」(3)(青空文庫より)


▼さて、この度の「挑戦」は、どんなあらたな展開をもたらすだろう!?
 今からとても楽しみである!!
 100年前「ルクレチウス」は!?
 100年前「原子論」は!?
 100年前「科学」は!?


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