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本日(2026/01/28)、第433回オンライン「寅の日」!! #科学と文学 #traday #寺田寅彦

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▼にわか寅彦ファンである私には
「寺田寅彦を活用する」
 は不遜すぎる大テーマであった。
 しかし、そこにしか寺田寅彦を読み続ける意義をみつけることができないのも事実だった。
 そして、ここに大テーマに応えるヒントがあるように思っている。

▼本日(2026/01/28)は、第433回オンライン「寅の日」である。
 1月のテーマは「寅彦の科学と文学」である。

【1月テーマ】「寅彦の科学と文学」 

 ぴったりの随筆「科学と文学」を読んでいた。
 三回に分けて読んでいた。
 本日はその三回目(最終回)である。

◆本日(2026/01/28)、第433回オンライン「寅の日」!!

●「科学と文学」(3)(青空文庫より)  

▼今回は
「随筆と科学」
「広義の「学」としての文学と科学」
「通俗科学と文学」
「ジャーナリズムと科学」
「文章と科学」
「結語」
 あたりを中心に読む。

 いきなり結論からはいっていた。

 科学が文学と握手すべき領域は随筆文学、エッセー文学のそれであるかと思われる。

 何故かを説く。
 これに反して科学者が科学者に固有な目で物象を見、そうして科学者に固有な考え方で物を考えたその考えの筋道を有りのままに記述した随筆のようなものには、往々科学者にも素人(しろうと)にもおもしろくまた有益なものが少なくない。

 さらに詳しく
 こういう見方を進めて行くと、結局、いわゆる創作とは、つじつまを合わせるために多少の欺瞞(ぎまん)を許容したこしらえものの事であり、随筆とは筆者の真実、少なくも主観的真実を記録したものであるというふうにも見られる。こういうふうに見ると、すでに前条に述べたような「人生の記録と予言」という意味での芸術としての文学の真諦(しんたい)に触れるものは、むしろ前者よりも後者のほうに多いということになりはしないかと思われる。そうして後者のほうは、同時にまた科学に接近する、というよりもむしろ、科学の目ざすと同一の目的に向かって他の道路をたどるもののようにも見えるのである。

 それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるために取るべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。

 さらには、広義の「学」としての話に展開していく。
 非論理的論理というのは、今の人間のまだ発見し意識し分析し記述し命名しないところの、人間の思惟(しい)の方則を意味する。これを掘り出し認識するのが未来に予想さるる広義の「学」の一つの使命である。科学も文学も等しくこの未来の「学」の最後のゴールに向かってたどたどしい歩みを続けているもののようにも思われるのである。

もちろん現在ではかえって科学の進んだために前よりも不幸になった人間も多数にありはするが、それは物質科学の方面だけが先駆けをしてほんとうの社会科学、現在のいわゆる社会科学よりももう少し科学的な社会科学、がはるかなかなたに取り残されたために生じた矛盾であり悲劇であるように思われる。

 「通俗科学」とは一線を画して
それがすぐれている所因は単に事がらを教えるのみでなく、科学的なものの考え方を教え、科学的の精神を読者の中によびさますからである。そういうものを書きうるためには著者はやはりすぐれた科学的探究者であると同時にまた文学的創作者でもなければならない。

科学の表層だけを不完全なる知識として知っているだけで、自身になんら科学者としての体験のないような職業的通俗科学者の書いたものなどには、かえって科学の本質をゆがめて表現しているものも決して少なくない。

 科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。

▼そして、ホンモノとニセモノの見分け方まで教えてくれていた。

そういう永久的なものと、悪い意味でのジャーナリスチックなものとの区別は決してむつかしくはない。要するに読んだ後に、読まない前よりいくらか利口になるかならないかというだけのことである。そうして二度三度とちがった時に読み返してみるごとに新しき何物かを発見するかしないかである。

 そして、最後には「文章作成術」まで指南してくれていた!!
 そういう種類のものにはやはり必ず何かしら独創的な内察があり暗示があり、新しい見地と把握(はあく)のしかたがあり、要するになんらかの「生産能」を包有しているある物がなければならないのである。

 それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。

これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。

 寅彦自身は、これを「実験ノート」と言っていた。
 アリガタイ!!
 ここにまちがいなく
 
 「寺田寅彦を活用する」に応えるヒントがある!!


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