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本日(2025/06/14)、第413回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼はじめに「自然哲学」ありき!!
 またまた大げさなことを言うが、私は「自然哲学」というコトバが好きだ。
 あのファラデーも、科学者という新しい用語を嫌い。ナチュラル・フィロソファーという古い言葉を好んだそうである。

▼本日(2025/06/14)は、第413回オンライン「寅の日」である。
 6月のテーマは、古くて新しい「原子論」である。
 具体的には「ルクレチウスと科学」を読むのである。

 【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

 6月は三回ともこれを続けて読んでいる。
 本日はその二回目である。
 
◆本日(2025/06/14)、第413回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(2)(青空文庫より)

▼一応ひとつの目安として 次のように三回に分けていた。
(1) 緒言、一
(2) 二~四
(3) 五、六、後記

 今回は(2)だった。
 <二>
 最初に「原子論的物質観」の授業を思い出すようなことが書かれていた。

  元子は結合するが、その結合は固定的ではなく、不断に入れ代わり、離れまた捕われる。eternal give and take である。しかしその物質の総和は恒久不変であると考える。ここの考えは後代の物質不滅説を思わせる事はだれも認めるであろうが、また見方によっては、たとえば溶液分子のようなものの化学的平衡を思わせる何物かを含んでいるからおもしろい。

 さらには「三態変化」である。
 元子は互いに衝突する。その速度は一部は固有のものであり、一部は衝突によって得るものである。衝突の結果はいろいろである。ある元子はその複雑な形状のために互いに引っ掛かって結合して剛かたい物を造るが、あるものは反発して柔らかい物質となりあるいは全然離れ合ってしまう。これは言わば固液気三態の原子構造の説明と見られる。

 そして「ブラウン運動」にまで
 日光に踊る微塵(みじん)の有名な譬喩(ひゆ)の出て来るのはこの条である。私のおもしろいと思ったのは、元子の寄り合ってできる細粒が、不可視的元子の衝動によって動かされて、粒全体としての運動を生ずるという考えが述べてあることである。それがちょうどブラウン運動の記述に相当する事である。

 そして、なんと原子数にまで話が及んでいるのである。
この考えはある点において現代の原子内部構造の予想として見る時に興味が深い。すなわち原子はその核の周囲をめぐる電子を一つずつ増すことによって一つの物質から他の物質に移って行く。すなわち原子数(アトミックナンバー)を増して行く。もしも元素の種類が無限に多様にあるとすれば、原子数、あるいは原子量の無限大な物質原子が存在する事になるはずである。しかし実際にそんなものはない。すなわち原子の「形」の種類には制限があるのである。

 さらには「平衡」まで出てくるのである。
 これら無数の元子はその運動の結果として不断に物を生成し、また生じた物は不断に破壊され、生成と破壊の戦いによって世界は進行する。生のそばには死、死のそばには生があるのである。この考えにはいわゆる「平衡(イクイリブリアム)」の観念が包まれている。

 そして、世界観・宗教観にまで話は及ぶ。
 以上の所説のごとくにして造られた世界には、同じようなものがたくさん共存するという考えから、われわれのと同じ世界が、他にもいくつも存在するであろうという考えが述べてある。これも一つの卓見であると言われよう。さように限りなき宇宙を一人の力で支配する神様はないはずだというところへ鋒先(ほこさき)を向け、そして例の宗教の否定が繰り返される。

 <三>
 ここではたぶんに寅彦は自らの<文脈>により強く引き寄せて解説していると思う。
 ひとつだけ引用させてもらう。

 私は思う。直観と夢とは別物である。科学というものは畢竟(ひっきょう)「わかりやすい言葉に書き直した直観」であり、直観は「人間に読めない国語でしるされた科学書の最後の結論」ではないか。ルクレチウスを読みながら私はしばしばこのような妄想(もうそう)に襲われるのである。

▼そして次の章に進む。
(四)
 最初にこう解説していた。

 以上紹介したところによって、私はルクレチウスの根底に存する科学的精神の一般的諸相と、彼の元子説のおもなる前提ならびにその運用方法の概念だけを不完全ながら伝えることができたように思う。以下の三巻に現われるこれらの根本的なものは、多く述べきたったものの変形であり敷衍(ふえん)であるとも見られる。
 また一方、以下各巻に現わるる具体的の自然現象の具体的説明となれば、これらはそのままでは当然現在の科学に照らした批判に堪えうるものではない。

 肝心のところは、もう解説したよ。
 後はこれらの繰り返しだよ。と言っているのだった。
 とは言いながら、「光」についてのふれていた。
アリストテレスやピタゴラスらは、目から発射するある物が物体を打つために物が見えると考えたのに反して、この著者が物体から飛来する何物かが目を刺激するのであると考えた点は、ともかくも一歩だけ真に近い。

 最後に寅彦独特のアイロニックな教育批判には耳を傾けておきたい。
多くの学生らは教科書に書いてない眼前の問題はあまり考えてみないものと思われる。そして教わったものなら、どんなめんどうな数式でも暗記していて、所問に当たろうが当たるまいが、そのままに答案用紙に書き並べるのである。二千年前のルクレチウスのほうがよりよき科学者であるのか、今の教育方針が悪いのか、これも問題である。

 
 ここまで読んできて強く思う。
 私たちも、私たち自身の<文脈>に引き寄せてルクレチウスを読むのが楽しいのでは!!

(つづく)

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