
▼ゆっくりで、あんまりたくさんの本を読んでこなかった私にもシロウトなりの独特の読書術があった。
“イモズル式読書術”!! デアル。
不勉強で多くの分野での手がかりとなる“つる=キーワード”のことをよく知らなかった。そんななかひょんなことから出会ったのが
「動的平衡」!!
「動的平衡」「福岡伸一」をイモズルにして、ひっぱり出せる本はかたっぱしから読もうとしていた時期があった。
なかみがどこまでわかっていたかは別にして、ともかく嵌まっていた。
面白いと思っていた!!
▼久しぶりに「動的平衡」「福岡伸一」の本に出会った。
それが今回の【お薦め本】である。
◆【お薦め本】『動的平衡は利他に通じる』(福岡伸一著 朝日新書 2025.3.30)
やっぱり面白かった!!
感動がうすれぬうちに、書き留めておきたかった。
例によってお薦めポイントは3つだ。
(1)“動的平衡”の「今」を読むことができる!!
(2)守備範囲の広い名エッセイを読むことができる!!
(3)自分でもエッセイに挑戦してみたくなる!!
▼ではさっそく少しだけくわしくみていこう。
(1)“動的平衡”の「今」を読むことができる!!
この本は2015.12.3~2020.3.19に「朝日新聞」で連載された「福岡伸一の動的平衡」を改題し書籍化したものを、さらに適宜加筆修正した新書版です。
私の嵌まってしまった“動的平衡”を著者のコトバを借りながら今一度その文脈を追ってみよう。
動的平衡は、私の生命論のキーワードである。生命とは何か?この問いに対して、細胞からなるもの、呼吸しているもの、代謝しているもの、増殖するもの……というふうな形で答えを得ようとしてすると、いつまでたっても生命の周りを回るだけで、生命の本質に到達することができない。それは生命の特性を、生命の外部から列記しているだけだからだ。生命の本質に到達するためには、生命の外部からでなく、生命の内部から生命のあり方を捉える必要がある。そう考えて思考を深めていった結果、行き着いたのが動的平衡である。(同書 P3より)
続けよう。
ところが生命だけは、この方則にあらがっている。なんとか“坂”を登り返そうとしている。無秩序になることに抵抗して秩序を作り出し、形のないところに形を作ろうとして、部分的に濃度の高い場所を生み出し、熱を産生する。酸化に抵抗して還元を行う。つまり宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則に抵抗を試みている。崩れることがわかっているのに石を積むことを諦めないギリシャ神話の英雄シーシュポスのように、あてどない営みにあえて挑戦している。これが生命の“努力”なのである。(同書 P5より)
そして、もっとも端的に“動的平衡”を語るものとして鴨長明「方丈記」の冒頭をくりかえしとりあげていた。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。
これは彼の当時の世情に対する諦観であるが、これほど見事に動的平衡の生命論を歌い上げた一文もない。生命はまさに流れに浮かぶうたかたである。特に優れているところは、かつ消えかつ結びて、というところ。分解を合成に先んじて詠んでいることである。分解を「先回り」することによって流れにあらがうこと、まさに動的平衡そのものである。
(同書P7より)
ここまでだけでは、“動的平衡”の「今」を語ることになっていなかった。
次なる一文が必要であった。
生命の基本原理は、基本原理は、絶えず他者に何かを手渡し続けること、ストックではなくフローをし続けることによって支えられている。他者のエントロピー排出を、もういちど秩序あるものに作り返すことによって成り立っている。これは利他性、あるいは相補性といってよい互恵的な関係性である。つまり動的平衡は利他性によって支えられている。(同書P9より)
これらの主文脈が、長年の定期連載のなかでみごとに貫かれているのである。
(2)守備範囲の広い名エッセイを読むことができる!!
私は福岡伸一の文章が大好きである。
読んでいるとあれよあれよと言う間に、まったく知らぬ世界に連れて行ってくれる。
それは、
オンライン「寅の日」で読み続けている科学者・寺田寅彦の随筆に通ずるものがあると勝手に思っていた。
著者自身は、この名エッセイ群についてこう語っていた。
ひとつひとつはごく短いエッセイである。短いがゆえに、それは論考というよりもちょっとした感慨であり、叙述というよりもスケッチに近い。あるいは、どちらかいえば詩や短歌に近いものかもかもしれない(詩や短歌ほど整った言葉でもないけれど)。そんな言の葉が、読者に、何らかの気づきや共感を、わずかでももたらすことができれば幸いである。時系列に並べてあるが、どこから読んでいただいてもかまわない。(同書P18より)
そう元々が新聞のコラムだけに字数制限のなかで書かれたものなんだろう。
それがまたこちらしてはアリガタイ!!
新書版ではちょうど一ページ一エッセイだ。
タイトルがつけてあるので、気になるページがあればそこから読めばいい。
携帯しておいて、「すきま時間」に楽しむことも可能だ!!
どのページがあなたの知らないどんな世界に連れて行ってくれるかな!?
▼3つ目のお薦めポイントだ。
(3)自分でもエッセイに挑戦してみたくなる!!
実はこれは書こうか躊躇した。
これはお薦めポイントと言うより、私自身の独白(「ひとり言」)だ!!
著者の名エッセイを読むうちに不遜なる思いが生まれてきた。
私も自分でエッセイを書いてみたい!!
ポンコツの「たわごと」だ。それはわかっている、しかし…
著者は、ときどきうまい「文書作成術」を指南してくれていた。
例えば
「文章がとてもお上手ですね」と言われることがある。自分の文章がうまいのかそうでないのかは自分ではよくわからない。でも、できるだけ伝わるよう、理解されやすいように心がけていることがひとつある。
なるべく「とはもの」を使わないようにする、ということ。DNAとは?この言い回しで始まる説明が、“とは”もの。たぶんマスコミの業界用語だ。「とはもの」で始めた時、語り手は、そのことを熟知した者として、不可避的に上から目線となり、啓蒙的な口調になる。(同書P40より)
もうひとつだけあげてみよう。
昔、天声人語を読めば受験勉強になる、と言われた時代があった。文章力向上をうたって、天声人語を書き写すノートも売られている。本紙の看板コラムサマと張り合うつもりなぞ大それた気持ちはみじんもないが、いまや私も小なりとは言え、入試問題頻出著者。今年も北大や法政大などで拙文が出題された。思うに、文章力・国語力のエッセンスとは、文脈のリズムに沿って、適切な言葉を選び取るセンスではないだろうか。つまり言葉を探し、言葉を削ること。短歌や俳句を作ることに似ているかもしれない。(同書P185より)
である。
これ以上は蛇足である!!
実はこの名エッセイ群を読みながら、紹介したいこと他にもいっぱいメモしていたが、書けば書くほど蛇足の上書きのような気がしてきた。
読者になるあなたが、自分風にカスタマイズして読めばいい!!
きっとこの エッセイ 最高!!
と言えるものをみつけることができるハズ!!
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