本日(2024/12/31)、第399回オンライン「寅の日」!! #日本人の自然観 #traday #寺田寅彦
▼今年は 「動く大地」を科学する をはじめた年だった。
まだまだ途は半ばであった。
しかし、たしかにふるさとの「大地」「自然」の見え方が変わってきた!!
ひょっとしたら、私の「自然観」をも!?
▼本日(2024/12/31)は、第399回オンライン「寅の日」である。
寺田寅彦は1935(昭和10)年、12/31に亡くなった。
したがって本日は「寅彦忌」!!
毎年「寅彦忌」には、特番オンライン「寅の日」として
「日本人の自然観」を読むようにしてきた。
◆本日(2024/12/31)は、第399回オンライン「寅の日」!!
▼なぜ「寅彦忌」に「日本人の自然観」を読むのか。
それにはわけがあった。
この随筆が書かれたのは、最晩年(1935年)の7月、発表されたのは10月である。
寅彦の随筆の集大成!!ここまでのすべてが含まれていた。
私は勝手に、これを私たちに遺してくれた「遺言」だと思っている。
なにしろ長編である。
毎年焦点をあてるところを少しずつ変えて読んでいる。
それでも共通するキーワードはあると思っている。
われわれは通例便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。この両者は実は合して一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。人類もあらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たものであって、あらゆる環境の特異性はその中に育って来たものにたとえわずかでもなんらか固有の印銘を残しているであろうと思われる。
「有機体」!!
今年はやっぱりここが気になった。
動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え動く、そういう体験を持ち伝えて来た国民と、そうでない国民とが自然というものに対する観念においてかなりに大きな懸隔を示しても不思議はないわけであろう。このように恐ろしい地殻(ちかく)活動の現象はしかし過去において日本の複雑な景観の美を造り上げる原動力となった大規模の地変のかすかな余韻であることを考えると、われわれは現在の大地のおりおりの動揺を特別な目で見直すこともできはしないかと思われる。
すなわち、日本の地殻構造(ちかくこうぞう)が細かいモザイックから成っており、他の世界の種々の部分を狭い面積内に圧縮したミニアチュアとでもいったような形態になっているためであろうと思われるのである。
ひとつの結論として、こうまとめていた。
これを要するに日本の自然界は気候学的・地形学的・生物学的その他あらゆる方面から見ても時間的ならびに空間的にきわめて多様多彩な分化のあらゆる段階を具備し、そうした多彩の要素のスペクトラが、およそ考え得らるべき多種多様な結合をなしてわが邦土を色どっており、しかもその色彩は時々刻々に変化して自然の舞台を絶え間なく活動させているのである。
▼ナラバどうする!?
ここにひとつのヒントがあるのかも。
自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同時に厳父である。厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛に甘えるのと同等にわれわれの生活の安寧を保証するために必要なことである。
たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視(べっし)して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭(むち)のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁(ひんぱん)に起こるように思われる。昭和九年十年の風水害史だけでもこれを実証して余りがある。
しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。
寅彦は最晩年まで警鐘を鳴らし続けていたのである。
また次のような示唆的なことも述べていた!!
おそらく日本の自然は西洋流の分析的科学の生まれるためにはあまりに多彩であまりに無常であったかもしれないのである。
現在の意味での科学は存在しなかったとしても祖先から日本人の日常における自然との交渉は今の科学の目から見ても非常に合理的なものであるという事は、たとえば日本人の衣食住について前条で例示したようなものである。その合理性を「発見」し「証明」する役目が将来の科学者に残された仕事の分野ではないかという気もするのである。
実はもっともっと興味深いことを語っていた。
他の人が読めば、
ここが凄い!!
ここが面白い!! もすぐたくさんみつかるはずだ。
今年もゆく年・くる年はぜひ「寅の日」で!!
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