本日(2024/11/10)、第394回オンライン「寅の日」!! #カメラをさげて #traday #寺田寅彦
▼我が家のフジバカマが、今年も訪問者がないまま枯れていきそうだ!!
少し淋しい。
あの旅する蝶・アサギマダラが一度だけ訪れてくれた年がある。
感動した!!そのときの「記憶」もだんだんうすれてきていた。
しかし、カメラの画像はしっかり「記録」してくれていた。
アリガタイ!!
▼本日(2024/11/10)は、第394回オンライン「寅の日」である。
11月のテーマは、「寅彦のツール」である。
【11月テーマ】「寅彦のツール」
本日はその一回目として、「カメラをさげて」を読む。
「記録」のツールとしてカメラを、寅彦がどう語るのか 楽しみである。
◆本日(2024/11/10)は、第394回オンライン「寅の日」!!
●「カメラをさげて」(青空文庫より)
▼寅彦の随筆は、いつも時代を超えてズバリ響いてくるから好きだ!!
冒頭からこうはじまっていた。
しかし写真をとろうという気で町を歩いていると、今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や事実が急に目に立って見えて来る。つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。
続けてこうである。思わず納得してしまうのである!! (゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン
それだけに、なろう事ならその限られた長方形の中に、切り捨てた世界をもいっしょに押し縮めたようなものを収めたくなるのである。
少なくも自分の場合には何枚かの六×九センチメートルのコダック・フィルムの中に一九三一年における日本文化の縮図を収めるつもりで歩くのであるが、なかなかそううまくは行かない。しかしそういうつもりで、この特別な目をぶらさげて歩いているだけでもかなり多くの発見をすることがある。
鳥羽僧正(とばそうじょう)の鳥獣戯画なども当時のスポーツやいろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見ればこの僧正はやはり一種のカメラをさげて歩いた一人であったかもしれない。
同感デアル!!
▼寅彦の文章が説得力をもつのは、この的確な「美しい」表現故かも知れない。
多くの日本人の観光客はそのほかにおまけとして山水の美の中から日本人らしい詩を拾って歩くであろう。そうして、もう一つのおみやげには思い思いのカメラの目にアルプスの魂を圧縮して持ち帰ろうとするであろう。
こういう風景国日本に生まれた旅客にカメラが欠くべからざる侶伴(りょはん)であるのも不思議はないであろう。
そして、こうまとめてくれる。
親譲りの目は物覚えが悪いので有名である。朝晩に見ている懐中時計の六時がどんな字で書いてあるかと人に聞かれるとまごつくくらいであるが、写真の目くらい記憶力のすぐれた目もまた珍しい。一秒の五十分の一くらいな短時間にでもあらゆるものをすっかり認めて一度に覚え込んでしまうのである。
その上にわれわれの二つの目の網膜には映じていながら心の目には少しも見えなかったものをちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである。
手持ちのカメラがなんとも愛おしく思えてくるのだった!!
今回は、内容もさることながら寅彦の名随筆を存分に堪能してみよう。
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