本日(2024/06/19)、第382回オンライン「寅の日」!! #科学と文学 #traday #寺田寅彦
▼「柳田國男と科学教育」!!
大きな声で言うのもちょっと気恥ずかしい大風呂敷。
浅学な私が語るには大きすぎるテーマだった。しかし、興味だけはあった。
「常民の科学」というコトバはそんななかから生まれた!!
庄司和晃先生に直接お会いして、教えてもらいたいと思っていた。
実現した!! しかし、その機会は一回限りのものとなってしまった。
▼本日(2024/06/19)は、第382回オンライン「寅の日」である。
6月テーマは
【6月テーマ】「寅彦と科学と文学」
である。
読むのは 2回ともズバリ「科学と文学」である。本日はその2回目。
◆本日(2024/06/19)は、第382回オンライン「寅の日」!!
▼一回目の最後に引用させてもらった文はここだった。
そういうことから考えても、科学者が科学者として文学に貢献しうるために選ぶべき一つの最も適当なる形式はいわゆるエッセーまた随筆の類であろうと思われる。
ここにこの随筆の本命があると思っていた。
科学者の随筆のすすめ!!
これを書きたいがためにこの長編「実験ノート」を書いた。
それが、私の勝手な理解であった。
それはいろいろ表現のしかたを変えていた。
科学が文学と握手すべき領域は随筆文学、エッセー文学のそれであるかと思われる。
これに反して科学者が科学者に固有な目で物象を見、そうして科学者に固有な考え方で物を考えたその考えの筋道を有りのままに記述した随筆のようなものには、往々科学者にも素人(しろうと)にもおもしろくまた有益なものが少なくない。
それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるために取るべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。
科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。
▼寅彦は、さらに親切だった。
私たちにホンモノとニセモノの見分け方も指南してくれていた。アリガタイ!!
そういう永久的なものと、悪い意味でのジャーナリスチックなものとの区別は決してむつかしくはない。要するに読んだ後に、読まない前よりいくらか利口になるかならないかというだけのことである。そうして二度三度とちがった時に読み返してみるごとに新しき何物かを発見するかしないかである。
そして、「文章作成術」も指南してくれているのだった!!
そういう種類のものにはやはり必ず何かしら独創的な内察があり暗示があり、新しい見地と把握(はあく)のしかたがあり、要するになんらかの「生産能」を包有しているある物がなければならないのである。
それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。
これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。
最後まで自分自身の「文脈」に引き寄せての勝手な読み解きであった。
私もいつの日か、
「柳田國男と科学教育」をテーマに随筆が書けたらうれしいな。
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