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本日(2024/04/08)、第376回オンライン「寅の日」!! #科学者とあたま #traday #寺田寅彦

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オンライン「寅の日」、13年目のスタートである。
 新しい環境のなかで、寅彦を読み始められる方も多くあるだろう。
 そんな方の意見・感想もいっぱい聞けたらうれしいな。
 そのための、あらたな「かたち」も考えていけたらいいな。
 どんな「展開」が待っているのか。
 13年目も楽しみだ!!

▼本日(2024/04/08)は、第376回オンライン「寅の日」である。
 4月テーマは

【4月テーマ】「寅彦と科学教育」

 である。
 本日はその初回、読むのは 「科学者とあたま」である。


◆本日(本日)、第376回オンライン「寅の日」!!

●「科学者とあたま」(青空文庫より)


▼定番中の定番!!
 ひょっとしたら、いちばんよく読まれてきた随筆のひとつかも知れない。
 何度読んでも、読むたびにあらたに学ぶことが多い!!

 さあはじめてみよう。

 しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりきったと思われることで、そうして、普通の意味でいわゆるあたまの悪い人にでも容易にわかったと思われるような尋常茶飯事(さはんじ)の中に、何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明(せんめい)に苦吟するということが、単なる科学教育者にはとにかく、科学的研究に従事する者にはさらにいっそう重要必須(ひっす)なことである。この点で科学者は、普通の頭の悪い人よりも、もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者いなかものであり朴念仁(ぼくねんじん)でなければならない。

ナルホド!!
と納得しなかがらも、「単なる科学教育者にはとにかく」のフレーズがひっかかるな。
つづけよう。
 それで、研学の徒はあまり頭のいい先生にうっかり助言を請うてはいけない。きっと前途に重畳する難関を一つ一つしらみつぶしに枚挙されてそうして自分のせっかく楽しみにしている企図の絶望を宣告されるからである。委細かまわず着手してみると存外指摘された難関は楽に始末がついて、指摘されなかった意外な難点に出会うこともある。

 示唆的なコトバがつづく。
 頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。

 そして、もっとも「お気に入り」の部分に近づく
自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉(とびら)を開いて見せるからである。
 頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。

▼寅彦の随筆で、いつもうれしいのは
 ナラバ と具体的な提言があることだ。

 科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者(うぐしゃ)の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。

頭の悪い人には他人の仕事がたいていみんな立派に見えると同時にまたえらい人の仕事でも自分にもできそうな気がするのでおのずから自分の向上心を刺激されるということもあるのである。

しかし科学の世界ではすべての間違いは泡沫(ほうまつ)のように消えて真なもののみが生き残る。それで何もしない人よりは何かした人のほうが科学に貢献するわけである。

 そして、ひとつの<結論>へ
科学的研究の結果の価値はそれが現われるまではたいていだれにもわからない。また、結果が出た時にはだれも認めなかった価値が十年百年の後に初めて認められることも珍しくはない。
 頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思い利口だと思う人は先生にはなれても科学者にはなれない。人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。
 つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。

 最後にチクリと本質を指摘してくれる。アリガタイ!!
 でもやっぱり反駁したい気分があることも確かだ。
 留意しておくべきことも指摘してくれていた。
 最後にもう一つ、頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。

 そして、最後の最後にこう問いかけていてくれた。
 この老科学者の世迷い言を読んで不快に感ずる人はきっとうらやむべきすぐれた頭のいい学者であろう。またこれを読んで会心の笑(え)みをもらす人は、またきっとうらやむべく頭の悪い立派な科学者であろう。これを読んで何事をも考えない人はおそらく科学の世界に縁のない科学教育者か科学商人の類であろうと思われる。

あなたなら、これをどう読みますか!?

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