本日(2022/11/09)、第331回オンライン「寅の日」!! #アインシュタイン #traday #寺田寅彦
▼自分の不勉強を省みることなく、不遜なことを言うが、私はこの事実が「ふしぎ!?」でならなかった!!
今からちょうど100年前!!
あのアインシュタインが日本にやって来たのだ。
1922(大正11)年11月17日から12月29日までの43日間も日本に滞在し、全国10カ所で講演を行なったのである。
「アインシュタイン・ショック」
「大正日本を揺るがせた四十三日間」
「相対論ブーム!?」
やっぱり、私には「ふしぎ!?」だ!!
▼本日(2022/11/09)、第331回オンライン「寅の日」!!
11月はアインシュタイン来日から、ちょうど100年!!
そこで11月のテーマは次のようにしていた。
【11月テーマ】「寅彦とアインシュタイン」
本日は、テーマそのものずばり「アインシュタイン」を読む。
◆本日(2022/11/09)、第331回オンライン「寅の日」!!
▼最初に確認しておきたいのは、この随筆はアインシュタイン来日の前年1921(大正10)年10月『改造』に発表されたものであるということだ。
私の興味は、先の「ふしぎ!?」に寅彦がどう答えてくれているかだ。
最初に告白しておくが、「相対性理論」とは何たるか?をいまだによく理解していなかった。
寅彦にこう言ってもらうと、なんとなくすくわれる気持ちにもなるのである。
アインシュタインの仕事は少なくも大部分たしかに成効である。これについては世界中の信用のある学者の最大多数が裏書をしている。仕事が科学上の事であるだけにその成果は極めて鮮明であり、従ってそれを仕遂げた人の科学者としてのえらさもまたそれだけはっきりしている。
これに反してアインシュタインの取扱った対象は抽象された時と空間であって、使った道具は数学である。すべてが論理的に明瞭なものであるにかかわらず、使っている「国語」が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に估価(こか)するには、一通りの数学的素養のある人でもちょっと骨が折れる。
寅彦の名調子の文章を読んでいるとなんとなくわかった気分になってくるから、不思議である。
しかし一般世間に持(も)て囃(はや)されるようになったのは昨今の事である。遠い恒星の光が太陽の近くを通過する際に、それが重力の場の影響のために極めてわずか曲るだろうという、誰も思いもかけなかった事実を、彼の理論の必然の結果として鉛筆のさきで割り出し、それを予言した。それが云わば敵国の英国の学者の日蝕観測の結果からある程度まで確かめられたので、事柄は世人の眼に一種のロマンチックな色彩を帯びるようになって来た。そして人々はあたかも急に天から異人が降って来たかのように驚異の眼(まなこ)を彼の身辺に集注した。
病源を見つけたのが第一のえらさで、それを手術した手際てぎわは第二のえらさでなければならない。
しかし病気はそれだけではなかった。第一の手術で「速度の相対性」を片付けると、必然の成行きとして「重力と加速度の問題」が起って来た。この急所の痛みは、他の急所の痛みが消えたために一層鋭く感ぜられて来た。しかしこの方の手術は一層面倒なものであった。第一に手術に使った在来の道具はもう役に立たなかった。吾等の祖先から二千年来使い馴れたユークリッド幾何学では始末が付かなかった。その代りになるべき新しい利器を求めている彼の手に触れたのは、前世紀の中頃に数学者リーマンが、そのような応用とは何の関係もなしに純粋な数学上の理論的の仕事として残しておいた遺物であった。これを錬(きた)え直して造った新しい鋭利なメスで、数千年来人間の脳の中にへばり付いていたいわゆる常識的な時空の観念を悉皆(しっかい)削り取った。そしてそれを切り刻んで新しく組立てた「時空の世界像」をそこに安置した。
正直に言う。内容的にはほとんど理解できていなかった!!
なのにうんうんとうなづいてしまうから不思議だ。
これぞ寅彦マジック!?
▼少し偏った読み方をしていた。
先の「ふしぎ!?」に答えてくれいる箇所を探しながら読んでいた。
あった!!
それは、英国の新聞記者のコトバをかりるかたちで語られていた。
その一部を引用させてもらう。
「…しかし眼それ自身は磁石のように牽ひき付ける眼である。それは夢を見る人の眼であって、冷たい打算的なアカデミックな眼でない、普通の視覚の奥に隠れたあるものを見透す詩人創造者の眼である。眼の中には異様な光がある。どうしても自分の心の内部に生活している人の眼である。」
「彼が壇上に立つと聴衆はもうすぐに彼の力を感ずる。ドイツ語がわかる分らぬは問題でない。ともかくも力強く人に迫るある物を感ずる。」
「重大な事柄を話そうとする人にふさわしいように、ゆっくり、そして一語一句をはっきり句切って話す。しかし少しも気取ったようなところはない。謙遜(けんそん)で、引きしまっていて、そして敏感である。ただ話が佳境に入って来ると多少の身振りを交じえる。両手を組合したり、要点を強めるために片腕をつき出したり、また指の端を唇に触れたりする。しかし身体は決して動かさない。折々彼の眼が妙な表情をして瞬(またた)く事がある。するとドイツ語の分らない人でも皆釣り込まれて笑い出す。」
「不思議な、人を牽(ひ)き付ける人柄である。干からびたいわゆるプロフェッサーとはだいぶ種類がちがっている。音楽家とでもいうような様子があるが、彼は実際にそうである。…」
ここまで言われると、100年のタイムスリップして、生でアインシュタインの講演を聴いてみたくなるのだった!!
寅彦自身の惚れ込みようを語るような文もあった。
実際彼のような破天荒の仕事は、「夢」を見ない種類の人には思い付きそうに思われない。しかしただ夢を見るだけでは物にならない。夢の国に論理の橋を架けたのが彼の仕事であった。
最初の「ふしぎ!?」の謎解きが少しだけできた気分になってきた。
また繰返し読んでみよう。
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