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本日(2022/07/24)、第322回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼あの銅像が建てられたのは、ちょうど4年前の今日だった。(2018/07/24)

●寅彦の銅像を訪ねて(2) #traday #寺田寅彦

 像の前に立てば
 「ねえ君 ふしぎだと思いませんか」
 と寅彦がやさしく語りかけてきてくれるだろう。
 今度、立てるのはいつかな。楽しみだ!!

 この銅像が、いつもオンライン「寅の日」を応援してくれていると勝手に思っている!!

▼そんな記念すべき本日(2022/07/24)は、第322回オンライン「寅の日」だ。
 7月テーマは

【7月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月から引き続いて、「ルクレチウスと科学」を読んできた。
 本日はその5回目、最終回である。

◆本日(2022/07/24)、第322回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(5)(青空文庫より)

▼いよいよ最終回である。
 六章(六巻)と後記を中心に読み解いていく。
 最初にこう書いていた。

 第六巻では主として地球物理学的の現象が取り扱われている。これは現在の気象学者や地震学者、地質学者にとってかなりに興味あるものを多分に包有し提供している。しかしここでこれらの詳細にわたって紹介し評注を加えることはできない。私はもし機会があったら、他日特に「ルクレチウスの地球物理学的所説」だけを取り出してどこかで紹介したいという希望をもっているだけである。

 寅彦的にはけっこう気に入っていたようである。
 そして、あの銅像の台座に書かれたコトバ
 「天災は忘れられたる頃来る」
 を思い出させるような文章がつづく。

 彼が雷電や地震噴火を詳説した目的は、畢竟(ひっきょう)これら現象の物質的解説によって、これらが神の所業でない事を明らかにし、同時にこれらに対する恐怖を除去するにあるらしい。これはまたそのままに現代の科学教育なるものの一つの目的であろう。しかし不幸にして二十世紀の民衆の大多数は紀元前一世紀の大多数と比較してこの点いくらも進歩していない。たとえば今のわが国の地震学者が口を酸(す)くして説くことに人は耳をかそうとしない。

 さらに続けてこうも言っていた。
そうして大正十二年の関東地震はあれだけの災害を及ぼすに至った。あの地震は実はたいした災害を生ずべきはずのものではなかった。災害の生じたおもなる原因は、東京市民の地震に対する非科学的恐怖であったのである。科学は進歩するが人間は昔も今も同じであるという事を痛切に感じないではいられない。同時に今の科学者がルクレチウスから科学そのものは教わらなくても、科学者というものの「人」について多くを教わりうるゆえんをここにも明らかに認めうると考えるのである。

 そして最後に興味深い言葉で結んでいる。
ルクレチウスはおそらく、この後にさらに何物かを付加する考えがあったのではないか。私はこの書に結末らしい結末のない事をかえっておもしろくも思うものである。実際科学の巻物には始めはあっても終わりはないはずである。

▼いよいよ最後の「後記」である。ここには、これまでのエキスをすべて詰め込んでいる!!そんな気がするのである。
 私がずっと問いつづけている
 
 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

 の答えもここにありそうな気がする。だから、少し引用がたくさんになるが、お許し願いたい。
 まずルクレチウス礼賛の言葉を聞いてみよう。

 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。

 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウスは実にわれわれにこの科学系統の根幹を思い出させる。そうする事によってのみわれわれは科学の幹に新しい枝を発見する機会を得るのであろう。

 現代の科学がルクレチウスだけで進められようとは思われない。しかしルクレチウスなしにいかなる科学の部門でも未知の領域に一歩も踏み出すことは困難であろう。

 ここで寅彦はたいへん興味深い「作業仮説」を提案していた!!
 今かりに現代科学者が科学者として持つべき要素として三つのものを抽出する。一つはルクレチウス的直観能力の要素であってこれをLと名づける。次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一(オクタント)空間を考え、その空間の中の種々の領域に種々の科学者を配当する事ができるであろう。

L…ルクレチウス的直観能力
S…数理的分析能力
K…器械的実験より系統化・帰納する能力
面白い!! 
あなたはどこに位置するだろう? 私自身はどうだろ?

寅彦の示唆することはこのあたりにあるようだ!!

以上の譬喩(ひゆ)は拙ではあるが、ルクレチウスが現代科学に対して占める独特の位地を説明する一助となるであろう。
 誤解のないために繰り返して言う。ルクレチウスのみでは科学は成立しない。しかしまたルクレチウスなしには科学はなんら本質的なる進展を遂げ得ない。

 最後の寅彦からの忠告・戒めは真摯に受け止めたい。
 私は科学の学生がただいたずらにL軸の上にのみ進む事を戒めたく思うと同時に、また科学教育に従事する権威者があまりにSK面の中にのみ学生を拘束して、L軸の方向に飛翔(ひしょう)せんとする翼を盲目的に切断せざらん事を切望するものである。

 ほんとうに引用ばかりが多くなって恐縮してしまうのだが、最後の寅彦の独白は捨てやることができなかった。
また一方私はルクレチウスをかりて自分の年来培養して来た科学観のあるものを読者に押し売りしつつあるのではないかと反省してみなければならない。しかし私がもしそういう罪を犯す危険が少しもないくらいであったら、私はおそらくルクレチウスの一巻を塵溜(ごみため)の中に投げ込んでしまったであろう。そうしてこの紹介のごときものに筆を執る機会は生涯(しょうがい)来なかったであろう。

ここに答えが!!

 これでいったん終わりとするが、「原子論」を科学する のなかでも繰返し話題としたい。

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