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「原子論」を科学する(20) #原子論の歴史 #ラヴォアジエ #化学原論 #元素と原子

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▼ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)は、「雲見」をしただろうか!?
 ラヴォアジエには「雲」はどのように見えていたのだろうか!?
 彼の三三種の「元素の一覧表」にはすでに「酸素」「水素」はあがっていた!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 今一度、今なお混乱している「元素」と「原子」についてみておこう。

 ラヴォアジエ自身の言葉で、彼が元素の概念をどのように説明したかを見ることにしよう。彼は『化学原論』の序文の中に次のように書いている。
「元素が何個あって、(それぞれ)どんな性質そなえているかを、あらかじめ語ろうとするのは、形而上学的な議論になってしまうと私は思う。……それ故、私は次のように語ることで満足しよう。(第一に)もしも元素とは単一で不可分な原子だというにしても、それで元素が何であるかの意味を知ることはできそうもない。(第二に)これとはちがって、元素ということばに、物質を分析して到達することのできる終点のもの、という観念をあてはめるとしよう。そうすれば、どんな手段を用いても、まだ分解することのできない物質は、すべてわれわれにとって元素だということになる。ところで、われわれがいま、ある物質を単一のものだとみなしているとしても、それが二種類またはもっと多くの元素からできているのではないと主張する資格は、われわれにはないのである。……われわれがこの物質からさらにいくつかの元素を分離する手段をいまのところは持っていないために、その物質は、われわれに対して元素としてふるまうのである。実験と観察が証拠を見せてくれるその瞬間までは、その物質を、われわれは化合物だと想像するわけにはいかないのである。」
 この言葉の中には、ラヴォアジエが元素というものをどのように定義づけようとしたかが読みとられる。彼はどちらかというと、元素とは何かを定義するよりは、元素はどのような実験と事実によってたしかめ、手に入れることができるかを説明しようとしているのである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P150より)

 私自身が混乱しているから、とても長い引用になってしまった。

▼ラヴォアジエの考え方が少しわかりはじめた。さらに引用を続けよう。

 しかしラヴォアジエは原子をどのように考えたのだろう。彼は経験されないもの、実際につかまえられないものを、物質的存在としては認めないという信条を、かたくなに守ったので、化学の中に原子を持ち込まなかったのだと解釈することもできる。「元素の本体は原子だといっても、それで元素が何であるかがわかるものではない」と彼は書いている。もしかすると彼は「元素の本体は原子だといっても、それで原子が何であるかがわかるものではない」といったのかもしれない。私には、どちらの意味にも読まれるような気がする。もしかすると、後の翻訳文のほうが正しいかもしれないと思う。
(『原子論の誕生・追放・復活』P151より)

▼ラヴォアジエは「原子」を見たのだろうか!?

 その問いかけにはこう答えられていた。
 そこで私はこう想像する。彼の文に出てくる元素と原子の関係についての意見は、けっして原子否定論ではあるまい。彼には元素の本体は原子だという予想はあっただろう。しかしそうだと一度いってしまえば、次に原子とはどういうものか、もっと具体的にいったら、たとえば水素の原子と酸素の原子とは、どこがちがうのかを、科学的証拠にもとづいいわなければならない。それはまだ不可能だ。なぜなら、いろいろな元素がどのような法則によって化合するかを、われわれはまだ知らないから。
 もちろん、これは私の想像である。たぶんラヴォアジエの原稿などをさがしても、証拠のみつかりそうもない、歴史の謎である。
(『原子論の誕生・追放・復活』P152より)

(つづく)

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