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第7回オンライン句会「寅の日」3月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

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▼風は冷たかった!!
しかし、今年もこの椿の季節がやってきた。
寅日子先生と椿というと 
師・漱石先生の「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」から三十数年を経て行なった「椿の花の落下実験」のことを思い出すのだが、寅日子先生自身は椿は詠まなかったのだろうか? さがしてみた。 あった!!

練塀の上に散りたる椿かな (夏目漱石へ送りたる句稿 その十一 明治31-2年)

苔の上に椿落ちにけり五輪塔 (夏目漱石へ送りたる句稿 その十三 明治31-2年)
 この句には「卵塔二基苔滑にして落椿」とまえがきがあり、 とでもするか[漱石] とあるのは、これは漱石先生の指導があったことを意味するのだろうか?

人形の笠にきせたる椿哉 (明治34年)

▼寅日子先生こと寺田寅彦に師事するオンライン句会「寅の日」は、この2月を終えて、はじめてから半年が過ぎたことになる。
 なによりの成果は、半年続けた!! ということだ。
 半年前は、どんな展開になるのやらさっぱりわからず 暗中模索であった。
 私自身が、リアルな「句会」を一度も経験したことのないずぶのシロウトであった。
 半年続けてこれたのはこの2つのおかげである。

・夏雲システム
 これはほんとうにすばらしいシステムである。私のようなまったくのシロウトでもオンラインで「句会」を開催することを可能にしてくれた。
 今、私は思う。リアル「句会」よりもオンライン「句会」の方が簡単で面白いのかも!?

・呼びかけに応えて参加してくださっているメンバー 
 これはアタリマエすぎるほどアタリマエのことだが、この方々がいなければ「句会」は成立しない。
 回を重ねるごとに、メンバーのすばらしさが見えてくる。
 俳句を通してのコミュニケーション、これぞ「句会」の醍醐味だ!!
 深謝 永く 永く よろしくお願いします。

▼半年を過ぎて、今度は一年をめざしてのあらためての案内である。

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第7回オンライン句会「寅の日」3月例会実施 案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2021年3月1日0時から15日23時30分まで

6.【選句期間】
 2021年3月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2021年3月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

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▼さあ、3月も「ひとり吟行」を繰り返して、投句してみようと思う。
 いつの日か、オンライン句会「寅の日」のリアル吟行を夢みながら…。

 私もやってみようかな!?
 と思ったら、「俳号」(俳句を詠むときのペンネームのようなもの)をきめて、メールをください。
 投句期間であれば、その回から参加できます。
 それ以降であれば、次回から参加できます。
 ぜひ、ご一緒に…<(_ _)>

  

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【必見】100分de名著3月「災害を考える」(Eテレ)!! #100分de名著 #寺田寅彦 #柳田国男 #若松英輔 

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▼いつもお世話になっているMさんから、たいへん興味深い情報をもらった。
 100分de名著3月(Eテレ)の情報だった。

●100分de名著3月「災害を考える」(Eテレ)

 あまりに興味深かったので、テキストも手に入れ読んでみた。

▼なんと言っても、最高に興味あるのは第1回が寺田寅彦であることだ。

●第1回 「自然」と対話する 『天災と日本人』寺田寅彦

 それは、まったくぴったりとオンライン「寅の日」3月と重なるのだった。

●2021年3月のオンライン「寅の日」は #天災は忘れられたる頃来る #traday #寺田寅彦

 3月オンライン「寅の日」は、100分de名著3月(Eテレ)も含みたい気分になってくるのだった。

▼テキストを見ていると
「津浪と人間」
「日本人の自然観」
「天災と国防」
「台風雑俎」
等々が次々と出てきた。オンライン「寅の日」で繰り返し読んできた随筆ばかりだった。
 また、それらは青空文庫を利用させてもらえば、誰でも今すぐ読めた。 アリガタイ!! 深謝!!

◆作家別作品リスト:No.42 寺田寅彦 (青空文庫)

 テキストの著者 若松英輔氏が「最後に、『天災と日本人』に収録されている随筆のなかで、私がもっとも感銘を受けた一篇」として紹介している「何故泣くか」は、「自由画稿」のなかにあった。

●「十七 なぜ泣くか」(「自由画稿」青空文庫より)

▼さらに興味深いのは第2回は柳田国男であるということだ。

第2回 見えざる隣人としての「死者」 『先祖の話』柳田国男

 あらためて読んでみたくなる名著への誘いだ。
 第3回『生の短さについて』セネカ、第4回『14歳からの哲学』池田晶子 も同様だ。
 テキスト表紙から言葉を引用させてもらおう。

 大震災、巨大台風、そして感染症 ー 。
 予測不可能な災禍が相次ぐこの国で、
 私たちに求められている叡知とは何だろうか?
 四冊の名著が、いま、あなたの心に問う。

 もう一度言う。

 100分de名著3月「災害を考える」(Eテレ)は必見だ!!    


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実生ヒガンバナ実験(2020年採集分)を開始した!!(2021/02/25) #日本ヒガンバナ学会 #実生ヒガンバナ #ヒガンバナの種子

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昨年度採集・回収したヒガンバナの種子16個を冷蔵庫から出してきた。
 16個の内訳は次のようになっていた。

 【安富】5個+【福崎】4個+【福崎B】7個 = 16個 !!

 いつもの群生地【夢前】がない。また、一昨年の530個にくらべると、おそろしく少ない。
 まあ、一昨年が異常すぎるのかも!?
 ナイロン袋に書かれた「花茎採集日」「種子回収日」「花茎採集場所」で種子は特定された。

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▼一昨年度までは、自然結実したヒガンバナの種子から育てる実生実験法を「楠田式「自然結実」ヒガンバナ実生実験法」として、定着させようとしていた。
 ところが、一昨年度の530個では、これに対応できなかった。
 そこで、「種まき」ケースを利用しての方法に変えた。
 これなら、いくら種子があっても簡単に対応できる。それに安上がりだ!!
 幸い、昨年度はうまく「発芽・発根」「出葉」を観察できた。(現在進行中!!)
 これなら、誰でも 簡単に すぐ「実生ヒガンバナ実験」に挑戦できる。
 そこで、これを

「新・楠田式「自然結実」ヒガンバナ実生実験法」

 として普及させたい。
▼では、具体的に行こう。

(1)冷蔵庫から出してきたナイロン袋にナンバリングをする。(以前はナイロン袋自体をラベルとして利用していたが、すぐボロボロになってしまった。これなら、いくら数が多くても後に種子の「花茎採集日」「種子回収日」「花茎採集場所」を特定できる。)

(2)「種まき」ケースに色テープを貼り、「住所」を特定した。(黄色-【安富】、青-【福崎】、緑-【福崎B】)

(3)土をケースに入れた。(使う土はごく普通の「花と野菜の培養土」)

(4)土を水で湿らせておく。

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▼これで いよいよ準備完了だ。いよいよ種まきだ!!

(5)ナイロン袋から出して、ていねいに撒いていく。順番どおりの「住所」に!!

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(6)全部まき終わったら、別の「種まき」ケースをシェルターがわりにかぶせる。(昨年、思いつきでやったことだが、種子の保護、極度の乾燥を防ぐという意味でも正解だったと思っている。)

(7)直射日光のあたりにくい日陰に置いておく。(ときどきシェルターをとって、様子を観察する)

 さあ、16個のうち「発芽・発根」するのはいくつだろう!?
 
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子規庵の糸瓜(2年目)から種子を採取した!!(2021/02/24) #子規庵 #糸瓜の種子

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▼そもそものはじまりは、2019年5月に二度目の子規庵を訪問したときのことだ。このとき、5粒の糸瓜の種子を「おすそ分け」してもらった。
 その年、4粒が発芽し、大きく糸瓜が育った。
 そこから採取した種子で、2020年もたくさん「子規庵の糸瓜」を育てた。
 昨年の収穫は少し遅かった。(2020/11/24)
 その後、どのように処理するか。一年目は、水に浸けておいたが、「そのまま乾燥させるのが簡単!!」と教えてもらった。
 ざるに入れたまま、そのまま放置していた。
 さあ、いつやろう!? と思っているまに年を越し、2月も終わるころになってしまった。
 ざるのなかの糸瓜はカラカラになっていた。

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▼いざ作業をはじめてみると、これがなかなかの大作業になってしまった。
 いちばん大きな糸瓜Aからはじめた。
 思っていたように、皮ははがれなかった。なにかコツがあるのかも知れない。
 やっと皮が剥がれても、種子はこぼれ落ちてこなかった。繊維質の糸瓜の筋のあいまを綿のようなものが充満していた。
 「ヘチマたわし」の収穫はあきらめた。
 第一目標は「子規庵の糸瓜」の種子をgetすることだ!!
 悪戦苦闘の末、やっと種子を取り出した。ちょっと白っぽいもの、未完熟に思えるモノは除いた。
 それでも、ならべてみてびっくりだ。

 A 383個 もあったのだ!!

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▼次に大きそうなものから順番にB~Eと名づけてやっていった。
 Bから少し様子がちがってきた。カラカラになった糸瓜のヘタ(底)を取ると、黒い完熟種子がこぼれ落ちるように出てきた。
 これは簡単だ!!
 皮も簡単にはがせた。
 種子は少なめだった。でもきれいだ!! 「たわし」ひきちぎりなかから種子を取り出した。
 それでも やはり 少なめだった。
 
 B 96個 だ!!

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Cもヘタ(底)を取ると、種子がこぼれ落ちた!!
 皮も剥ぎやすかった。「たわし」もそのまま保存することにした。
 今度は、少し多めの種子を手に入れた。
 それに、種子も黒々してきれいだ。今年はこのあたりの種子を使いたいものだ。

 C 160個 だ!!

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 Dは、またしても腐ったようになっていた。
 だから、種子を取り出すのにも難儀した。種子の個数も少なかった。
 
 D 97個 だ!!

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 Eは小さかった。しかし、ヘタ(底)をとると、種子がこぼれ落ちた。
 種子はきれいだった。「たわし」もきれいに保存できた。

 E 48個 だ!!

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▼これまでに、ざるの中でヘタ(底)がとれてしまい、種子がこぼれ落ちてしまったものが7つもあった。
 これらをまとめて F とした。
 ざるのなかに落ちた種子も含めて、7つをまとめてであるから、当然数は多くなった。

 F 473個だ!!

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 ざるのなかには、小さなものも含めて15個が残っていた。
 これら15個をまとめて、Gとした。
 Gについても可能な限り種子を取り出して、ならべて数えてみた。

 G 322個 あった!!

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 これら総合計 1579個 の種子を手に入れた!!

 今年は「たわし」は2本だけだった!! 

 午前中からとりかかった作業、終わったときには日が暮れようとしていた。 
 さあ、今年はいつ !?

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「寺田物理学」とは!?(11) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #複雑系の科学 #フラクタル #池内了 #松下貢

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ひょっとしたら自然界は「フラクタル」に充ちているのかも!?

・前の竹やぶのシダ葉!!
・あの柿の木!!
・見上げた空の雲のモクモク!!
・地図で見るあの海岸線!!
・…

 スケールを変えながらも同じパターンを繰り返す、これぞ「フラクタル」!!
 ナラバ そんなもの身のまわりにいっぱいありそうな気がしてきた。

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▼まだまだ続けよう。「寺田物理学」とは!?
 参考にさせてもらうのは続けてこれだ。

●「第二章 寺田寅彦が提唱した新しい科学」池内 了(『寺田寅彦と現代 ~等身大の科学を求めて~』(池内 了著 みすず書房)より)

 「フラクタル」面白い!!
と思ったのもつかの間。
・「自己組織化臨界状態」
・「カオス」
とつづき、またしても思考は暗礁にのりあげてしまった。

▼「フラクタル」で暗礁にのりあげたら、いつも聞かせてもらう講演があった。
市民講演会「身の周りの科学から震災まで:寺田寅彦とサイエンスの今」(2011)
 
 この講演会のなかのひとつ、松下貢先生のお話だ。

●「フラクタルの目で自然を見る」松下貢

 市民講座だから、ゼロから語って下さっているのが アリガタイ!!
 寺田寅彦との関係もしっかり ウレシイ!!

▼松下貢先生の話の後、本にもどって読み進めると、少しずつ納得できるところも出てきた。

 こうして、自己組織化臨界状態やカオスが、フラクタル概念を通じて結びつくことになった。しかし、現在のところでは、それがより基本的な法則のどのような断面を見ているのかがわからない。まだ、「第一近似」での関係が朧気ながら浮き上がってきているというところかもしれない。おそらく、将来、自己組織化臨界状態・カオス・フラクタルなどの概念が結び合わされて、複雑系の科学の重要な基本法則へと昇格するのではないだろうか。寺田が、「量的と質的と統計的と」に、

この自然に起こる自然現象を支配する未知の統計的自然方則であって、それは――もしはなはだしい空想を許さるるならば――熱力学第二方則の統計的解釈に比較さるべき種類のものではあり得ないか。マクスウェル、ボルツマン、アーレニウスらを悩ました宇宙の未来に関するなぞを解くべきかぎとしての「第三第四の方則」がそこにもしや隠れているのではないか

と予言した通りである。まだ「未知の統計的自然方則」は発見されていないが、寺田の夢が一歩一歩実現されつつある、と言えるかもしれない。(同書P46 より)

「量的と質的と統計的と」(青空文庫より)
※「法則」は、寅彦が使っていた「方則」に変えさせてもらった。

「寺田物理学」は古くて、おそろしく新しい!!

(つづく)

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本日(2021/02/23)、第278回オンライン「寅の日」!! #言語と道具 #traday #寺田寅彦

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▼昨日の朝、川霧が発生していた!!
 近づいていって、しばし観察してみた。場所によって微妙に霧の発生具合がちがうようだ。
 少し時間がたつと消えてしまった。

 川霧の発生する条件とは ?
 川の水温と気温との温度差!?
 臨界点はどこにあるのだろう!?

 やっぱりここにも「寺田物理学」あるのかな!?

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▼本日(2021/02/23)は、第278回オンライン「寅の日」である。
 2月のテーマは

【2月テーマ】「寺田物理学とは!?」

である。本日はその二回目、読むのは「言語と道具」である。

◆本日(2021/02/23)、第278回オンライン「寅の日」!!

●「言語と道具」(青空文庫より)

▼結論からいこう。
 またしても寅彦に一本とられてしまった!!
 「タイトル」から想像して、アリキタリの話かと思っていた。そのことを理解していると言うのではないが、少しなめていた。
 それはとんでもないはやとちりだった。

 まずは、こんなところからはじまっていた。

言語と道具という二つのものを、人間の始原と結び付けると同様に、これを科学というものあるいは一般に「学」と名づけるものの始原と結び付けて考えてみるのも一種の興味があると思う。

 「科学」の始原!!
 やっぱり寅彦は切り口がちがうぞ。
 そう気づいたときは、もう寅彦のテリトリーにはまっていた。

 共通な言葉によって知識が交換され伝播(でんぱ)されそれが多数の共有財産となる。そうして学問の資料が蓄積される。  このような知識は、それだけでは云わばただ物置の中に積み上げられたような状態にある。それが少数であるうちはそれでもよい。しかし数と量が増すにつれて整理が必要になる。その整理の第一歩は「分類」である。適当に仕切られた戸棚や引出しの中に選り分けられて、必要な場合に取り出しやすいようにされる。このようにして記載的博物学の系統が芽を出し始める。
分類は精細にすればするほど多岐になって、結局分類しないと同様になるべきはずのものである。しかしこの迷理を救うものは「方則」である。皮相的には全く無関係な知識の間の隔壁が破れて二つのものが一つに包括される。かようにしてすべての戸棚や引出しの仕切りをことごとく破ってしまうのが、物理科学の究極の目的である。隔壁が除かれてももはや最初の混乱状態には帰らない。何となればそれは一つの整然たる有機的体系となるからである。

まくしたてられるようにして読み進めると
あれっ!?
「方則」!! 
「物理科学の究極の目的」!!
うまいな、またしてもやられてしまった。そして、とどめは次の一文だ。

 出来上がったものは結局「言語の糸で綴られた知識の瓔珞(ようらく)」であるとも云える。また「方則」はつまりあらゆる言語を煎じ詰めたエキスであると云われる。

▼しかし、ここまででとだまらのないのが寅彦のすごさだった!!
 引用が長くなってしまうが、せずにはおれない。
 今度は「道具」である。

 そして科学の発達の歴史はある意味においてこの道具の発達の歴史である。  古い昔の天測器械や、ドルイドの石垣などは別として、本当の意味での物質科学の開け始めたのはフロレンスのアカデミーで寒暖計や晴雨計などが作られて以後と云って宜い。そして単に野生の木の実を拾うような「観測」の縄張りを破って、「実験」の広い田野をそういう道具で耕し始めてからの事である。

 うまい!!実にうまい表現だ!!

ただの「人間の言語」だけであった昔の自然哲学は、これらの道具の掘り出した「自然自身の言語」によって内容の普遍性を増して行った。質だけを表わす言語に代って数を表わす言語の数が次第に増して行った。そうして今日の数理的な精密科学の方へ進んで来たのである。

 こんな短い文章で「科学史」を凝縮して語っていた。
 そして、本意中の本意を最後の言葉にする。それが寅彦のいつもの手法だった。
 また一本、ワザあり!! 

 

言語と道具が人間にとって車の二つの輪のようなものであれば、科学にとってもやはりそうである。理論と実験――これが科学の言語と道具である。

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【Web更新2/21】21-08 オンライン「寅の日」 等 更新!!

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雲見旅誘ふばかりやぺんぺん草 21/02/20撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】21-08
週末定例更新のお知らせ
 自粛生活のつづくこの一年。
 一週間がとてもはやく感じられる。
 はやくも一週間がたったのか!? と週末定例更新をした。

 やがて 曜日まで とけてしまいそうだ!!

◆表紙画像集2021 更新 ぺんぺん草
 わたしの連想は、ちょっとかたよっているのかも知れない。
 この花を見ると、その下にできた果実の方が気になる。
 逆三角形→三味線のバチ→津軽三味線→ぺんぺん→雪国・津軽への旅→「雲見」の旅への誘い

 はやく「雲見」の旅に出たいなあ!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 またしても「寅の日」三昧の一週間であった。
 「寺田物理学」とは!? のシリーズは惹かれるテーマではあるが、私のcapacityではなかなか…(^^ゞポリポリ
 まあいいか。
 楽しむことを第一義に考え、つづくところまでやってみよう。
 面白くなくなったらすぐやめようと思う。

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから47週目。
 池の水は温み、小さな生きものの動きが活発になってきた!!
 マイビオトープとしての役割も!!
 本年度の植え替えまであと一ヶ月。

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「寺田物理学」とは!?(10) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #複雑系の科学 #フラクタル #池内了

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おおっ フラクタル !?

 数年前、となりのお家から、「ロマネスコ」という名のとても珍しい野菜を「おすそ分け」で頂いた。
 ブロッコリー、カリフラワーの変形バーションのような野菜だ!! 
 そのものにも驚いたが、家で作れるんだということにもいたく感動してしまった。
 
問題はこの「ロマネスコ」の蕾の形状(構造)だ。
 フラクタル形状だ!!
 ひとつひとつ蕾は螺旋形をしている、その蕾をよく見ているとまた小さな螺旋形の蕾からできている。その蕾もさらなる小さな螺旋形から…!!
 まさにフラクタル!! 
 
 と言いながらも、今なお「フラクタル」のほんとうの意味をよく知らなかった!!
 「フラクタル」もまた、「寺田物理学」のひとつ!!

▼「寺田物理学」とは!? まだまだ続けよう。
 参考にさせてもらうのは続けてこれだ。

●「第二章 寺田寅彦が提唱した新しい科学」池内 了(『寺田寅彦と現代 ~等身大の科学を求めて~』(池内 了著 みすず書房)より)

 正直に言うと、引用させてもらいながらも、ポンコツ頭は限界に近かった。
 今の状態では、理解困難なところは スキップすることにした。

 「質的研究が大事であることを強調する場合」として次の三つがあがっていた。
・「思いつき・直観」
・「偶然的統計的現象」
・「物理学の生物学への応用」

▼そして、これまでをまとめるようにして、「複雑系の科学」にふれていた。
 

 以上に述べたような、寺田寅彦が提唱した「質的な」科学は、当時は「趣味的な物理学」と揶揄されたが、多くの新しい分野を生み出すことになった。
 寺田が偶然的統計的現象と呼んだ多くの現象は、現在一括して「複雑系の科学」と呼ばれることが多い。複雑系の特徴は

(一) 系を構成する成分が多数であること、
(二) それら部分系の間の相互作用が非線形(入力と出力が比例関係でないこと)であること、
(三) 部分系の集団的な運動によって新しい質が生じること、
(四) 従って部分の和が全体にならないこと、
(五) ゆらぎや偶然が系の振る舞いを決めること、

などがである。それらを解析する中で、互いに関連する新しい概念が発見されてきた。それらを現代使われている物理学の言葉で整理しておこう。(同書P40より)

 来た!!
 「寺田物理学」→「複雑系の科学」!!
 寅彦は早過ぎたのだ!!

▼そして、「現在使われている物理学の言葉」として登場したのが、「フラクタル」だった。

「フラクタル」  その最初のものが「フラクタル」だろう。フラクタルの概念によって、ガラスの割れ目、リヒテンベルクの放電像、膜の樹枝状の縞模様、河川の分岐など、日常的に眼にする実に多くの分岐現象を整理することができるのだ。(同書P41より)

 「ふしぎ!?」を置き去りにするのはやめよう。
 ゆっくり ゆっくり 進めようと思う。

 先の「ロマネスコ」、
 このときは、今度は自分の畑でも作ってみようと思ったがまだ実現していない。

(つづく) 

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2021年3月のオンライン「寅の日」は #天災は忘れられたる頃来る #traday #寺田寅彦

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▼ 天災は忘れられたる頃来る

 寺田寅彦銅像の台座側面にはこの言葉があった。寺田寅彦記念館の牧野富太郎筆のレリーフと同じだった。
 この言葉について、神田健三氏(中谷宇吉郎 雪の科学館顧問)は、「槲」66号(寺田寅彦記念館友の会発行)で次のように書かれていた。

 

司馬遼太郎が寅彦記念館のレリーフを見て、「土佐弁こそ日本語?」と賞讃したという話を樋口敬二氏が紹介しています(「科学」1996・10、火災研究の開拓)。寅彦記念館のレリーフは、その八年前に出版された『国民座右の銘』を参考にしたと考えられますが、「る」の一字を加えるなど、独自の検討が行われたことが想像されます。

 寅彦の随筆のなかにダイレクトにこの言葉はない。この言葉を「記録」したのもやはり中谷宇吉郎だった。
 その顛末のすべてが、「天災は忘れた頃来る」(中谷宇吉郎 青空文庫より)に語られていた。その最後にこうあった。

それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。

▼2021年3月のオンライン「寅の日」の計画を立てる時期である。
 まもなく3.11から10年だ!!
 3月テーマは ずっとこれでやってきた。

【3月テーマ】警鐘「天災は忘れられたる頃来る」

 3月は3回ある。

■2021年3月オンライン「寅の日」!!
◆第279回オンライン「寅の日」 …3/07(日)
◆第280回オンライン「寅の日」 …3/19(金)
◆第281回オンライン「寅の日」 …3/31(水)

▼では何を読むか。
 警鐘「天災は忘れられたる頃来る」にもっとも近い定番で行こう。
 読むたびに、あらたな「発見」があるのが寅彦だ!!
 定番中の定番 「津浪と人間」「天災と国防」に加え「地震雑感」を読みたい。

■2021年3月オンライン「寅の日」!!

◆第279回オンライン「寅の日」 …3/07(日)「津浪と人間」(青空文庫より)

◆第280回オンライン「寅の日」 …3/19(金)「天災と国防」(青空文庫より)

◆第281回オンライン「寅の日」 …3/31(水)「地震雑感」(青空文庫より)

▼3.11から10年!!
 寅彦が最晩年まで鳴らし続けた警鐘に耳を傾けながら、
 「これまで」と「これから」を考えてみよう。

 寅彦はいつ読んでも、今日的だ!!きっと「これから」を!!

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「寺田物理学」とは!?(9) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #等身大の科学 #新しい科学 #雲をつかむ話 #池内了

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▼こんな面白い「見せ物」はなかなかなかった!!
 上空わずか十数㎞内で起こる「大気の物理学実験」の数々!!
 雲は刻々と姿かたちを変えていった。次のかたちもなかなか予想できなかった。
 手をのばせばつかめそうな気がするのであるが、…

 寅彦門下の藤原咲平が『雲をつかむ話』(藤原咲平著 岩波書店)を書いたのは1926年3月1日だ。
 それから95年!!
 私たちは「雲をつかむ」にどこまで近づいたのだろう。

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▼「寺田物理学」とは!? まだまだ続けよう。
 参考にさせてもらうのは続けてこれだ。

●「第二章 寺田寅彦が提唱した新しい科学」池内 了(『寺田寅彦と現代 ~等身大の科学を求めて~』(池内 了著 みすず書房)より)

 続けて引用させてもらおう。

 そのため、科学はすべて「定量化して」(あるいは「定量化できてはじめて」)科学となる、という暗黙の合意ができ上がってしまった。逆に言えば、「数値的な表現ができないものは科学でない」のである。その結果、もっぱら定量的に表すことが科学の営みであり、「全てを量的に」が合い言葉となってしまつた。より精度の高い実験器具を使い、より精密な実験を行って数値の整合性を確かめるのが科学の王道だとされるようになったのだ。現在の科学の多くの分野では、量的関係を扱わなければ、まともな科学とみなされなくなつている。  むろん、定量的な関係を満足しなければ普遍的な科学の法則として確立し得ないのだから、「定量化」を否定する者は誰もいない。(同書P28より)

 シロウトの私は、ここに大きな「落とし穴」があるように思えてならない。
 
▼さらに寅彦の主張を聞こう。

 しかしながら、「全てを量的に」進めようとしてもできない分野、そもそも「全てを量的に」が馴染まない分野があることも事実である。寺田寅彦が目を付けたのはそのような分野であった。彼は「量的と質的と統計的と」(昭和六年一〇月)のなかで、量的な研究の重要性を認識しながらも、質的な研究を見過ごしたり、無視しないように何度もくどいくらい繰り返している。例えば

現時の世界の物理学界において「すべてを量的に」という合い言葉が往々はなはだしく誤解されて行なわれるためにすべての質的なる研究が encourage される代わりに無批評無条件に discourage せられ、また一方では量的に正しくしかし質的にはあまりに著しい価値のないようなものが過大に尊重されるような傾向が、いつでもどこでもというわけでないが、おりおりはところどころに見られはしないかと疑うからである。そのために、物理的に見ていかにおもしろいものであり、またそれを追求すれば次第に量的の取り扱いを加えうる見込みがあり、そうした後に多くの良果を結ぶ見込みのありそうなものであっても、それが単に現在の形において質的であることの「罪」のために省みられず、あるいはかえって忌避されるようなことがありはしないか、こういうことを反省してみる必要はありはしないか。

と辛辣に述べている。まだ量的に扱えないが故に、無視されたり軽んじられたりしていることが多いのではないかと危惧しているのだ。(同書P29より)

※「量的と質的と統計的と」(青空文庫より)

▼長くなるがまだ続けよう。

 その反省の上で

そういう研究を奨励することが学問の行き詰まりを防ぐ上に有効でありはしないか

という信念を披瀝している。定量化できなくても、とりあえず質的な研究を行なって新しい分野を拓くことが重要である、と考えたのだ。彼が、量的ではなく、質的研究が大事であること強調する場合として、次の三つを指摘している。(同書P30より)

 だんだんポンコツ頭には「雲をつかむ話」になってきたぞ!!
 ただ、この話どうも科学研究だけでなく

 現在の「理科(科学)教育」にとっても大きな「落とし穴」になっているのでは!?
 
 さらに ゆっくり 急ごう!!

(つづく)

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「寺田物理学」とは!?(8) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #等身大の科学 #新しい科学 #金平糖 #池内了

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「金平糖」(『備忘録』 青空文庫より)は実に面白い随筆である。
 少年時代にこの随筆を読み、いたく感動し、徹底的に「金平糖」の不思議を追いかけた人がいた。金平糖研究の第一人者・中田友一先生だ。
 中田友一先生は、ついには「金平糖博物館」までつくってしまわれた。
 オンライン「寅の日」200回達成記念オフでは、うれしいことに「金平糖博物館」で中田先生から直接お話を聞くことができた。

「金平糖博物館」は最高に面白かった!!(1)
「金平糖博物館」は最高に面白かった!!(2)

 寅彦がここまで連れてきてくれた!!と思うと、とてもうれしい気分になった。

 そう、この「金平糖」も「寺田物理学」のひとつ!!

▼「寺田物理学」とは!? まだまだ続けよう。
 参考にさせてもらうのは続けてこれだ。

●「第二章 寺田寅彦が提唱した新しい科学」池内 了(『寺田寅彦と現代 ~等身大の科学を求めて~』(池内 了著 みすず書房)より)

 続けて引用させてもらおう。

 また量的すぎることへの反省から決定論でないような現象にも目を付けた。偶然的統計的な現象の重要性を指摘したのだ。そのような現象として、ガラスの割れ目、金平糖の角の出方、膜に見られる樹枝状のパターン、液体の渦の生成・分布・相互作用などを挙げ、自分でも実験を試みた。(同書P27より)

 おおっ、金平糖が出てきたぞ \(^O^)/

▼さらに引用を続けよう。
 

 必ずしも高価な器械や豊富な設備を要しない

として、地方にいる科学者にも参加するように促したりもした。また、自然界に見られるさまざまな周期構造ー温泉噴出口の物質集積模様、対流渦、墨流し、氷柱や鍾乳石のしわ、砂や泥の波形、放電の極の縞などーや生物における形態的類型ー珊瑚のヒダや樹葉の紋などーについて、その原因を追及することの重要性を指摘した。(同書P27より)

 これぞビッグサイエンスに対しての「等身大の科学」だ!!
 これは、私の勝手な思い込みだが、「夏休み理科自由研究」テーマ選びのヒントともなるのでは!!

▼次の主張が、池内氏の主文脈であろう。

 このような寺田が興味を抱いた問題が、後年になって、散逸構造、粉体力学、弾性的不安定、散逸揺動定理、フラクタル、カオス、自己組織化など、さまざまな複雑系の物理学の分野へと発展していった。いずれも、一九七〇年頃から盛んになり始めた分野である。また、生物の挙動を物理学の手法で読み解いたり、アポトーシスや免疫のような生物特有の現象にも、寺田の目は注がれていた。むろん、本格的な研究が寺田によってなされたわけではないが、アイデアの新鮮さや目のつけ所の斬新さには驚かされる。ようやく、寺田の慧眼が見直されるようになったのだ。以下でそのことを具体的に見ることにしよう。(同書P27より)

 「寺田物理学」→複雑系の物理学!!
 「寺田物理学」は古くて、もっとも「新しい科学」のはじまりだったのだ!!

 さあ、ゆっくり ゆっくり 急ごう。

(つづく)

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「寺田物理学」とは!?(7) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #等身大の科学 #新しい科学 #池内了

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「寺田物理学」とは!?

 ちょっとした気まぐれではじめたこのシリーズも長くなってきた。
 考えてみると変な話だ。
 元々「物理」が苦手な私が、「物理学」を問うとは!?
 石原純氏、小山慶太氏の力をかりながら、少しずつ少しずつ読み解いてみた。
 少しずつわかってきた。このシリーズで問おうとしているのは、実は

 なぜ、「寺田物理学」に惹かれるのか!?

 ということだ。
▼「寺田物理学」とは!? まだまだ続けよう。
 少し視点を変えてみよう。
 次に参考にさせてもらうのは池内了氏の文章だ。

●「第二章 寺田寅彦が提唱した新しい科学」池内 了(『寺田寅彦と現代 ~等身大の科学を求めて~』(池内 了著 みすず書房)より)

 オンライン「寅の日」はじめた当初から、ガイドブックのようにして利用させてもらってきた本だ。
 特に第二章は、「寺田物理学」を寅彦が提唱する「新しい科学」とらえる視点は興味深い。
 また、本の副題としてあがっている「等身大の科学」のフレーズにも惹かれるものがある!!

▼また、少しずつ 少しずつ 進めていこう。
 まずはこうだ。

寺田寅彦は、初期の頃は結晶のX線解析を行ない、要素還元主義の道を歩み始めたが、そのうちに火山・地震・粉体・破壊現象などマクロな物理学に焦点を合わせるようになった。西洋に発する要素還元主義的な最先端の物理学から、日常に接する物事の理を考えるようになったのだ。それが周囲の科学者から、寺田物理学を「趣味の物理学」や「小屋掛け物理学」と揶揄された原因なのだが、実はそうではなく、以下に述べるように先見の明あったと言える」(同書P26より)

「先見の明があった」と高く評価し、より積極的に「寺田物理学」に「新しい科学」の萌芽をみつけようというのである。

▼さらにつづけて言う。

 

寺田寅彦が直観によって大事だと述べた分野は多くある。彼は、

 新しい事はやがて古い事である。古いことはやがて新しい事である。

 をモットーに、日頃見慣れた当たり前のような現象にも、直観の力を働かして新しい問題を嗅ぎつけた。(同書P26より)

※「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)

なぜかワクワク気分になってくるのだった。

(つづく) 

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「寺田物理学」とは!?(6) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #小山慶太

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 (゜o゜)ゲッ!! またひとつ倒れている!!
 どんな力がはたらいたのだろう!?

 節分に立てた「立春の卵」、一昨日(2021/02/14)午前中にはまだ4個がまちがいなく立っていた。
 ところが、昨日(2021/02/15)の朝には、またひとつが倒れ、3個だけが立ち続けていた。
 なにがあったのだろう!?
 誰かが部屋に入ってきたのだろうか?最初に倒れていた白い卵の位置もちがうような?
 今年はこれを承知の上で、この場所に立てているので、なんとも…。
 右端は 少し ピサの斜塔状態にあるが。

 倒れた2個はのけて 3個で リセットスタートだ!!さて、いつまで…!?

 宇吉郎の「卵の立つ力学」には、まちがいなく「寺田物理学」が生きていた!!

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▼「寺田物理学」とは!? をまだまだつづけよう。
 参考にさせてもらうのは続けて小山慶太氏の文章だった。

●「紙切り芸と寺田物理学」小山慶太 (『寺田寅彦』池内了責任編集 河出書房新社 

 小山氏の「椿の花の落下運動」の解説はみごとなものだった。
 「近代科学と落下運動」という科学史的考察を加えての「寺田物理学」の位置づけはさすがである。
 なお「椿の花の落下運動」については、次の自著でさらにくわしく紹介されていた。
 
●『寺田 寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(小山慶太著 中公新書 2012.1.25)

 この本は、オンライン「寅の日」をはじめるヒントをもらった本でもあった。

▼寅彦の実験を解説したあとこうつづけた。

そう考えると、限界ギリギリを追究した寺田の実験は古典物理学がみせた、みごとな〝名人芸〟と言えそうである。しかも、そこには花鳥風月を愛でる日本人の詩心を刷り込ませるという心憎い演出が施されていたのである。(同書P57より)

さらにはこう続けた。

 他にもこのころ寺田が関心もったテーマには、藤の実(鞘の中の種子)の飛び方、墨流しの模様、線香花火の火花の出来方、金平糖の角の成長といった日本の風物が多いことが気がつく。いずれも相対性理論とも量子論とも、そして物理学の時流とも無縁の現象ばかりであった。(同書P58より)

▼そして最後には、こうしめくくった。

 それでも寺田は孤高狷介の生き方を貫き通した。時流に乗ろうとしない、西欧の学者のまねをしないという姿勢を崩すことなく、身近な不思議への好奇心を絶やさなかった。随筆「科学に志す人へ」(一九三四年)の中で寺田は「楽しみに学問をするというのはいけないことかもしれないが、自分はどうも結局自分の我儘(わがまま)な道楽のために物理学関係の学問をかじり散らして来たものらしい」と書いている。書かれたのが亡くなる前年であったことを考えると、この言葉には寺田物理学の精神が集約されているような気がする。(同書P58より)

 ※「科学に志す人へ」(1934年 青空文庫より)

「道楽の科学」=「寺田物理学」の精神!!

 そして、かじり散らした数々のテーマが醸し出す長閑な雰囲気と学問を道楽として捉えた寺田の研究スタイルには、当時、すでに薄れつつあった近代科学の原風景が息衝いていたのである。

 古典物理学を道具に何枚もの〝切り絵〟を自然という〝白い紙〟から切り抜いてきた寺田物理学の芸と技に大いに学びたいものだ。
 まちがいない!!
 ここに「理科(科学)教育」へのヒントがある!!

(つづく)

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【Web更新2/14】21-07 オンライン「寅の日」 等 更新!!

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紅梅やつい寄り道の千年家 21/02/13撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】21-07
週末定例更新のお知らせ
 ついに2月半ばを過ぎた!!
 3.11から10年を前にして、またしても…。
 余震も雨も心配だ。これ以上被害が出ないことを祈るのみ。

◆表紙画像集2021 更新  紅梅
 あたたかい日が続き、あの紅梅が満開に近づいてきた!!
 誕生の記念樹 いや
 成人の記念樹 という話も、もう私の記憶もあやふやになってしまっていた。 
 なぜか いつも寄り道していたあの千年家を思いだした。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 「寺田物理学」三昧の一週間であった。
 これまでちょっと敬遠ぎみだったところであるが、集中して読み解くことにより少しずつ見えてきた。
 その面白さが。
 石原純氏、小山慶太氏、さて次は誰の力をかりようかな。

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから46週目だった。
 池の水はすっかり温んでいた。
 細かい粒の泥が少し盛り上がって見えるのは、下に眠る蓮根のせいだろうか。

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「寺田物理学」とは!?(5) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #小山慶太

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「落ちざまに虻(あぶ)を伏せたる椿(つばき)かな」

 師・漱石先生の句である。それから三十数年を経て、寅彦はこの句に物理学的考察を加え、実験観察を繰り返した。
それについては「思い出草(二)」(青空文庫より)のなかでくわしく語っていた。そして、最後にこう語った!!

こんなことは右の句の鑑賞にはたいした関係はないことであろうが、自分はこういう瑣末(さまつ)な物理学的の考察をすることによってこの句の表現する自然現象の現実性が強められ、その印象が濃厚になり、従ってその詩の美しさが高まるような気がするのである。 

これぞ「寺田物理学」の真骨頂!!

 この話を知ってから私はその季節が来る度に寅彦の真似事をして楽しむのだった。

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▼「寺田物理学」とは!? をつづけよう。
 参考にさせてもらうのは続けて小山慶太氏の文章だった。

●「紙切り芸と寺田物理学」小山慶太 (『寺田寅彦』池内了責任編集 河出書房新社

 あまりみごとな読み解きに感動してしまい、続けて引用させてもらう。
 

 こうした傾向はたとえば「日常身辺の物理的諸問題」(昭和六年)と題する随筆からもうかがえる。それはこういう書き出しで始まっている。「毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一箇条を遂行している間に私はいろいろの物理学の問題に逢着(ほうちゃく)する」。そして、金だらいとコップの摩擦によって生じる音の響き方や湯の温度による湯気の立ち昇り方の違いなどを例にあげ、目の前にいくらでも物理的に興味を喚起される問題があることを具体的に綴っている。寺田にとっては毎朝の洗面所にも、探究すべき問題が充満する〝宇宙〟が広がっていたのである。(同書P51より)

「日常身辺の物理的諸問題」(青空文庫より)

▼あまりに説得力をもち、わかりやすい説明につい引用が長くなってしまう。
 次は時代背景である。

 寺田が物理学者として生きた二十世紀初頭から一九三〇年代にかけては、物理学の革命期であった。ニュートン力学やマクスウェル電磁気学を基盤としたそれまでの体系(古典物理学)に綻びが露呈し始め、そこから相対性理論が生まれ、量子論が確立され、原子核物理が台頭してくるのである。それらはいずれも、日常身辺で目にすることのない世界てあった。物理学の主流は古典物理学が記述する対象から、人間の五感を超えた対象へと移っていったのである。(同書P52より)
 そうした時代の流れの中にあって、寺田は金だらいとコップの摩擦が奏でる音色に象徴されるように、かたくなと思われるほどあくまでも日常身辺に〝宇宙〟を捉えつづけようとしたのである。加えて、西欧人には気がつきにくい日本人の情感に訴える物理現象の解明に情熱を注ぎ続けた。(同書P52より)

 このあたりまで読ませてもらい、前回のオンライン「寅の日」あたりから気づきはじめていることにより確信がもてるようになってきた。

 「寺田物理学」は、「理科(科学)教育」という文脈で読んでみるとけっこう面白い!!

▼引用はさらに続く。

 ところで、我々が普段、何気無く目にする諸々の現象というのは実は、相対論や量子論が扱うそれよりもはるかにさまざまな要因が複雑に影響し合う場合が多く、そのぶん、ある量ともうひとつの量との関係をすっきりとりだすことが難しいといえる。だからこそ、紙切り張りの技と芸が必要になる。
 その際、鋏に当たるのは古典物理学の枠内に収まる実験と理論的な解析である。それを道具に寺田物理学は何枚もの〝切り絵〟を自然という〝白い紙〟から切り抜いてきた。(同書P52より)

 実に納得である!!(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 そして最後にこう語り、次につないでいく

 

その好例のひとつが、次に述べる「椿の花の落下運動」に関する研究だった。

(つづく)

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「寺田物理学」とは!?(4) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #小山慶太

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「 ねえ君 ふしぎだと思いませんか」

 これは、2018/07/24に高知オーテピア前に建てられた「寺田寅彦銅像」台座正面の言葉だった。

 この言葉もまたあの中谷宇吉郎が書き残してくれていた。

 私が理研にいた三年の間に、先生の仕事を手伝った主な題目は火花放電の研究であった。ずっと以前、先生が水産講習所へ実験の指導に行っておられた頃の話であるが、その実験室にあったありふれた感応起電機を廻(まわ)してパチパチ長い火花を飛ばせながら、いわゆる稲妻形に折れ曲まがるその火花の形を飽あかず眺めておられたことがあったそうである。そして先(ま)ず均質一様と考うべき空気の中を、何故(なぜ)わざわざあのように遠廻りをして火花が飛ぶか、そして一見全く不規則と思われる複雑極まる火花の形に或る統計的の法則があるらしいということを不思議がられたそうである。「ねえ君、不思議だと思いませんか」と当時まだ学生であった自分に話されたことがある。このような一言ひとことが今でも生き生きと自分の頭に深い印象を残している。そして自然現象の不思議には自分自身の眼で驚異しなければならぬという先生の訓えを肉付けていてくれるのである。(「指導者としての寺田先生」中谷宇吉郎 青空文庫より

 この言葉は、「寺田物理学」のキーワードでもある気がしていた。

▼「寺田物理学」とは!? 
 をつづけよう。石原純氏の文章にかわって参考にするのは小山慶太氏の文章である。

●「紙切り芸と寺田物理学」小山慶太 (『寺田寅彦』池内了責任編集 河出書房新社

▼たいへん興味深く面白い論考である。
 「紙切り芸」(昔、東京タワーの上で見たな。今なら…)の説明からはじまっていた。
 

 この芸には巧みな鋏さばきが要求されることは言うまでもないが、同時に描こうとする相手の特徴をまっさらな紙の上に、まわりを縁どる曲線だけで表現する創造力が不可欠になろう。
 使えるものはなにしろ、鋏の流れに沿った曲線だけであるから、対象の中から余分なところは削ぎ落とし、そのものならでは本質を抽出し、象らなければならない。それは捨象の芸術といえる。日本ならではの技であう。
 ところで、なぜこんな話を書いているかというと、寺田寅彦の物理学のスタイルがなぜかこの紙切りの芸と技を想起させるからである。(同書P51より)

「寺田物理学のスタイル」=「紙切りの芸と技」!! 
 なかなか面白い!!

▼そして、こう続けていた。

 寺田が生涯にわたって、広く関心を抱きつづけた研究対象は、日常身辺に生起する現象であった。本人の口癖をまねると、「ねえ、君、不思議だと思いませんか?」と問い掛けたくなる身のまわりのさまざまな現象である。(同書P51より)

 やっぱり!!

(つづく)

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「寺田物理学」とは!?(3) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #石原純

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寅彦は「雲見」超名人でもある!!
 
 それを強く思わせてくれる一文があった。(「春六題(六)」青空文庫より)
 

 日本の春は太平洋から来る。
 ある日二階の縁側に立って南から西の空に浮かぶ雲をながめていた。上層の風は西から東へ流れているらしく、それが地形の影響を受けて上方に吹きあがる所には雲ができてそこに固定しへばりついているらしかった。磁石とコンパスでこれらの雲のおおよその方角と高度を測って、そして雲の高さを仮定して算出したその位置を地図の上に当たってみると、西は甲武信岳(こぶしだけ)から富士(ふじ)箱根(はこね)や伊豆(いず)の連山の上にかかった雲を一つ一つ指摘する事ができた。箱根の峠を越した後再び丹沢山(たんざわやま)大山(おおやま)の影響で吹き上がる風はねずみ色の厚みのある雲をかもしてそれが旗のように斜めになびいていた。南のほうには相模(さがみ)半島から房総(ぼうそう)半島の山々の影響もそれと認められるように思った。

 なんと、「磁石」「コンパス」「地図」まで持ち出しての「雲見」!!
 感服する!!

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▼「寺田物理学」続けよう。
 参考にさせてもらうのは続けて

●「寺田物理學の特質」(石原 純)(『思想』岩波書店 特輯「寺田寅彦追悼號」昭和11年3月号より)

 である。引用をつづけさせてもらおう。

 …そこに寺田さんの随筆に一種の特色が形作られるやうになつたのである。固より寺田さんは単なる科学者でなくて、同時に立派な芸術家でもあった。つまり芸術を芸術として味ひ、且つ自分で創作することも可能な人であった。併し寺田さんの多くの随筆に特色を與へてゐるところの、「科学者に固有な」見方、考え方は、種々の事象に対する鋭い分析にあるので、人々はそこに示された独特な、併し立派な理屈に感心するのだった。それはいつも世間の常識よりは一歩及至数歩深く踏み込んでゐる。そして人々はその意表外な観察になる程と肯くのであった。この分析がすなわち寺田物理学の方法なのであって、寺田さんはその随筆に於てこの方法をその儘、科学的研究に於けるよりももっと広い諸般の問題に応用したのに外ならない。

▼ここで翻って、考えてみよう。
 寅彦はどんなことを対象に科学研究をしたのだろう?
 またどんな随筆を書きのこしてくれているのだろう?これについてもくわしく石原純は書いてくれていた。
 その一部をあげてみよう。

【寺田物理学の科学研究】
・植物の凍結
・空中電気と植物生長との関係や、植物に対する烟害
・網糸の腐敗や浸水の問題
・網に対する水の抵抗
・海鳴り
・砂浜の漣痕
・「氷の表面に現われる扇形の模様」
・ガスの爆発に関する研究
・渦巻きの実験
・割れ目の研究
・墨汁に関する実験
・液面に浮かんだ粒子層の変形
・砂塊の力学
・火災の物理学
・地震津波に伴う発光現象
・沿面燃焼
・紫藤の種子のはじける機構
・金平糖の角の発生
・炭團の燃え方
・麦畑の弧線模様
・火花及びネオンサインに対する錯覚
・金盥とコップとの摩擦による音響
・雨に濡れた舗道の滑り
・リヒテンベルグ像
・リーゼガングの現象及び類似の諸現象
等々
 統計的考察を加えたものとして、またいっぱい例があがっている。
 今さらのごとく驚くばかりである。

【寺田物理学に関する随筆】
・「日常身辺の物理的諸問題」
・「量的と質的と統計的と」
・「物理学圏外の物理的現象」
・「物質群として見た動物群」
・「自然界の縞模様」
・「鐘に釁る」
・「北氷洋の氷の割れる音」

 等々をあげておられる。アリガタイことに私たちは今すぐ青空文庫で読むことができる。
 オンライン「寅の日」では、これらを繰り返し読んできた。まだの随筆もあがっていた。
 これらはぜひこれから読みたいものである。

▼最後にどうしても引用させてもらいたい部分があった。
 それは、寅彦の随筆で言えば「レーリー卿(Lord Rayleigh)」(青空文庫より)にあった。

  その終りにジェー・ジェー・タムソンの言葉を抄録してあるが、「レーリーの仕事はほとんど物理学全般にわたっていて、何が専門であったかと聞かれると返答に困る。また理論家か実験家かと聞かれれば、そのおのおのであり、またすべてであったと答える外はない。」  「彼の論文を読むと、研究の結果の美しさに打たれるばかりでなく、明晰な洞察力で問題の新しい方面へ切り込んで行く手際の鮮やかさに心を引かれる。」などと云うのは、その儘之を寺田さんの上に移して言うことができると思われる。尚ほタムソンの「優れた科学者のうちに、一つの問題に対する『最初の言葉』を云う人と、『最後の言葉』を述べる人とあったとしたら、レーリーは多分後者に属したかもしれない。」と云ふのを引用して、次に「併し彼はまたかなり多く「最初の言葉」も云っているように思われる」と附言してあるが、恐らく寺田さん自身はこの「最初の言葉」を云ふことに於て多大の意味を認め、そして寺田物理学の特質もまたそれにあるのを暗示してしてゐられるらしく感ぜられる。

 「最初の言葉」=寺田物理学の特質!!

 「寺田物理学」を高く評価し、寅彦をこよなく敬愛した石原純ならでは言葉である。

(つづく)

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本日(2021/02/11)、第277回オンライン「寅の日」!! #物理学と感覚 #traday #寺田寅彦

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▼空気はまだまだつめたい!!
 しかし
 光の春はどこまでも律儀に進行する。
 麦畑の緑も
 桜のかたい蕾も やがて

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▼本日(2021/02/11)は、第277回オンライン「寅の日」である。
 2月のテーマは

【2月テーマ】「寺田物理学とは!?」

である。その第一回目の本日は「物理学と感覚」を読む。

◆本日(2021/02/11)、第277回オンライン「寅の日」!!

●「物理学と感覚」(青空文庫より)

▼寅彦の随筆は、読む度に新しい「発見」をすることができる。
 はじめて読んでも、いつのまにやらぐいぐいと寅彦の世界に引き込まれいくものが多い。
 ところが、正直言って、何度読んでも新しい「発見」どころか、何を言わんとするのか私にはなかなか読み解けないものがいくつかある。
 今回の「物理学と感覚」もそのうちのひとつだ。

 まあ、最初からあきらめずに挑戦してみよう。
 ちょっと自分でもひっかかるところを引用させてもらおう。

 哲学者の中にはわれわれが普通外界の事物と称するものの客観的の実在を疑う者が多数あるようであるが、われわれ科学者としてはそこまでは疑わない事にする。世界の人間が全滅しても天然の事象はそのままに存在すると仮定する。これがすべての物理的科学の基礎となる第一の出発点であるからである。

 今回、読んでいて納得するところも出てきた。

 外界の事物の存在を吾人が感ずるのは前述べたとおり直接間接に吾人の五感の助けによるものである。これらの官能が刺激されたために生ずる個々の知覚が記憶によって連絡されるとこれが一つの経験になる。このような経験が幾回も幾回も繰り返されている間にそこに漠然(ばくぜん)とした知識が生じて来る。この原始的な知識がさらに経験によってだんだんに吟味され取捨されて個人的一時的からだんだんに普遍的なものに進化して来るとこれが科学の基礎となる事実というものになるのである。
     これって、「理科(科学)教育」にとってけっこう示唆的なことを言っているのでは…。  ちょっと面白くなってきたぞ!!  つづけよう。
 このように外界の存在を認めその現象を直接に感ずるのは吾人(ごじん)の感官によるほかはないのにその感官がすこぶる粗雑なものであってしかも人々個々に一致せぬものである。それで各人が自分の感覚のみをたよって互いに矛盾した事を主張し合っている間は普遍的すなわちだれにも通用のできる事実は成り立たぬ、すなわち科学は成り立ち得ぬのである。
 それで物質界に関する普遍的な知識を成立させるには第一に吾人の直接の感覚すなわち主観的の標準をいったん放棄して自分以外の物質界自身に標準を移す必要がある。これが現代物理的科学にみなぎりわたっている非人間的自然観の根元である。

 「理科(科学)教育」という文脈で読んでみると、けっこう面白くなってきた!!

▼ここまでで終わらないのが寅彦だ。
 これはいつものこと、少しこれにはなれてきたぞ!!
 「理科(科学)教育」に関連して、ほんとうにそうだなと思うところも出てきた。

 今日のように非人間的に徹底したように見える物理学でもまだ徹底しない分子を捜せばいくらでも残っている。たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。

(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 このあたりから寅彦なりの展開が「加速」していく。

 このような考えからも自分はマッハの説により多く共鳴する者である。すなわち吾人に直接に与えられる実在はすなわち吾人の感覚である、いわゆる外界と自身の身体と精神との間に起こる現象である。このような単純な感覚が記憶や連想によって結合されて経験になる。これらの経験を総合して知識とし知識を総合して方則を作るまでには種々な抽象的概念を構成しそれを道具立てとして科学を組み立てて行くものである。この道具になる概念は必ずしも先験的な必然的なものでなくてもよい。以上のごとく科学を組み立て、知識の整理をするに最も便利なものを選べばよいのである。その便不便は人間の便不便である、すなわち思考の節約という事が選択の標準になるのである。

 「思考の節約」!!
 課題とすべきキーワードだ。

 物理学を感覚に無関係にするという事はおそらく単に一つの見方を現わす見かけの意味であろう。この簡単な言葉に迷わされて感覚というものの基礎的の意義効用を忘れるのはむしろ極端な人間中心主義でかえって自然を蔑視(べっし)したものとも言われるのである。

寅彦の究極の本意は、いつも最後の一文にある!!
 今回もそのことが言えそうだ。
 私にとって、今回の成果は大きい。「物理学と感覚」が妙に面白く思えてきた!!

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「寺田物理学」とは!?(2) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #石原純

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生野峠越えて雪がこぼれ落ちてきた!!
 いや
 舞い降りてきた!!

 武田康男さんは、『楽しい 雪の結晶観察図鑑』(武田康男著 緑書房)のなかで「雪の結晶の降り方と速さ」(P24)についてこう述べてます。

 雪の結晶の落ちる速さは、大きさや形によりますが、角柱状や砲弾状などは空気抵抗の影響が少ないため、1秒間に1m程度と速く、角板状や樹枝状などは1秒間に0.5m前後と遅くなる傾向があります。1,200mの高さの雲からは、20分から40分程度で地上へ降りてくることになります。(同書P24より)

 そうこの20分~40分のあいだにも「天からの手紙」にいくつものドラマが起こるのです。

 おおっ!!ここにもやっぱり「物理学」が!!

▼「寺田物理学」続けよう。
 参考にさせてもらうのは続けて

●「寺田物理學の特質」(石原 純)(『思想』岩波書店 特輯「寺田寅彦追悼號」昭和11年3月号より)

 である。
 やはり石原純こそ「寺田物理学」の最高の理解者である。そんな思いを強くするのである。
 続けて引用させてもらおう。

 寺田さんが芸術的天稟をもってゐて、文学や音楽や美術に通じ、従っていつも芸術的に自然を観照することに於いて多くの興味を感じてゐたことは事実である。特に俳諧に由来する写実主義により自然のあらゆる具体的な現はれ於いて深い味を感得しつゝあつたことは、おのづから科学的な研究も同じ対象の方に向けさせたのだった。この傾向はいつも寺田さんの頭の中でかなり強く働いてゐたらしく、そのお蔭で現在の精密科学が取り扱ってゐるやうな抽象よりももっと別な具体的な事実のなかにこそ本当に研究すべき問題がたくさんあると云う思考を寺田さんは把持し続けて来たやうである。これは屡々現代の科学への警告的な意味を超えて幾らか反感的な形になってさへ現はれている。(上記文より)

 やはり説得力をもつ。
▼さらに続けよう。

 寺田さんが好んで複雑な現象を取り扱おうした結果は、当然に種々の統計的研究に入り込む機会を与えた。それが先ず気象や地震に関する諸現象に対して行われたのは当然であるが、その間に偶然的な多数の事象に現われる疑似周期を発見されたことは非常に重要な仕事であった。統計的考察は物質現象のみでなく、実に多方面に種々の場合にまで拡張された。(中略)  寺田物理学がいかに異彩を放ち、また意外な有用性をもつことを知ることができるだろう。

 具体的な例にあがっているのは、「実に人の意表に逸出する」ものばかりである。
 これが「物理学」!?
 というものが多い。しかし、実に面白い!!

▼ここまで引用させてもらっていて、私が「惹かれる」わけが少しだけわかりかけてきた。
 
 「寺田物理学」は実に面白い!!

 一時、もっとも多用してしていた「○○の科学」

 「等身大の科学」にツナガル!!
 
 道はまだまだ遠い つづけよう。

(つづく)  

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「寺田物理学」とは!?(1) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #石原純

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「大気の物理学実験室」!!

 この呼び方が気に入っていた。
 私たちは、天井の低い低いこの「実験室」の中で暮らしていた。
 行なわれる「実験」のメニューは日々刻々変わっていった。
 この「実験」を見逃してしまうのは ちょっとモッタイナイ!!

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▼「大気の物理学」もそうだが、「物理学」そのものもあまり得意の方ではなかった。
 理科の授業をするようになって、はじめて「物理が面白い!!」と感じるようになった。
 ところが、授業をはなれたら、またしても「物理学」は遠いものとなった。(^_^;)
 しかし、オンライン「寅の日」をはじめて、妙に心惹かれる「物理学」に出会った!!それが

 「寺田物理学」!!

 である。
▼「寺田物理学」!?
 わかったふうに言うのも、気恥ずかしい。
 もともと「物理学」もよく理解していない人間が 惹かれる とは!?
 「物理学」に寅彦の名前をつけただけのもの、それとも?
 その正体は!? 
 不勉強を省みることことなく、これまでにも何度もこの巨峰「寺田物理学」に挑んでいた。
 現に、オンライン「寅の日」の2月のテーマ

 【2月テーマ】「寺田物理学とは!?」

 である。
▼シロウトの私の作戦はいつも「無手勝流」だった。
 生涯かけても、巨峰「寺田物理学」の周辺をうろつくだけに終わるかも知れない。
 まあこの試みを楽しむだけでもいいではないか。

 まず最初に参考にさせてもらうのは石原純の文章だった。

●「寺田物理學の特質」(石原 純)(『思想』岩波書店 特輯「寺田寅彦追悼號」昭和11年3月号より)

しばらくこれをゆっくりゆっくり読んでみようと思う。
 「寺田物理学」について直接書かれているところをいくらか引用させてもらおう。

 事実に深く透徹することは即ち卑俗な類型化を避けて独創的な新らしい類型化に赴かしめる所以であるからである。この意味での写実主義こそ、寺田さんがまたその科学研究に於て採ったところの注目すべき方法であった。それは言い換えれば抽象よりも具体を重んずるところの一つの方法である。抽象的な法則を羅列してある物理学の教科書にはまるで書かれていないような、そして今日高度の抽象にまで進んでゐる物理学の中心問題からは縁遠いやうな、いつも具体的現実として我々の周囲に見られるような事実がその研究対象として採り上げられる。これが実に寺田物理学の特質を形作ってゐるのである。(上記文より)

(つづく)


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【Web更新2/7】21-06 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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犬ふぐりホシノヒトミのみごとかな 21/02/06撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】21-06
週末定例更新のお知らせ
 はやくも2月最初の定例更新となった。
 「立春」をすぎた!!
 「暦の上」をあなどってはいけない。光の春はまちがいなく律儀に進行している!!

◆表紙画像集2021 更新  ホシノヒトミ(オオイヌノフグリ)
 犬ふぐりを虚子はこう詠んだ。
 

犬ふぐり星のまたゝく如くなり 高浜虚子

 さすがの観察眼である。「客観写生」!!
 一方、『日本植物方言集成』(八坂書房)によれば、「イヌノフグリ」のことを千葉(柏)では、「ほしのひとみ」と呼んでいたらしい。なんともすばらしいネーミングである!!私はこの名を教えてもらってからは、この花のことをこう呼ぶようにしている。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「立春の卵」
 そのアタリマエ実験の歴史、そして、「科学史」が気になる一週間だった。
 私たちは、今 どこにいるのだろう!?

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 更新!!
 今月の「雲見」と俳句「歳時記」の更新だけだった。
 日々刻々繰り返す「大気の物理学実験室」での実験の数々。
 これを見逃すのはモッタイナイ!!

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから45週目だった。
 たしかに水は温んできた!!

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「日本理科教育史」をプロットする!!(47) #コロンブスの卵 #立春の卵 #中谷宇吉郎 #板倉聖宣

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残りの4個は昨日もアタリマエに立ち続けていた!!
 なんとも偉大なるこのアタリマエ!!

 こうしてみると、2015年の『立春の卵』191日の軌跡は驚異に見えてくるのだった。
▼昨日の書き込みの後、FBで次のようにコメントをいただいた。
 「コロンブスの卵との関連性は不明だが⁉」
 私は「「コロンブスの卵」の逸話は、「卵がたつわけがない」という前提からうまれたんでしょうね。」だから、「この実験とは直接関係ないと思っています。」と答えた。
 コメントの本意をよく理解していなかった。私は大間違いをするところだった。<(_ _)>

 「コロンブスの卵」の逸話があるからこそ、「立春の卵」の凄さが際立ってくるのだった!!

 『科学的とはどういうことか』「卵を立ててみませんか」(板倉聖宣著 仮説社 1977.4.25)から、「コロンブスの卵」について書かれたところを引用させてもらおう。

 卵を立てる話といえば、中谷さんの「立春の卵」の話よりもさらに有名な話ががあります。それは「コロンブスの卵」という話です。私が小学生のころの国語の教科書にはその話がのっていました。文部省編の『小学国語読本 巻八』、つまり小学校四年後期の第二十二課です。同じ内容の話は、大正十年度から昭和二十二年度あたりまで使われていた国定(あるいは準国定)教科書にのっていましたから、少し年配の読者なら、「ああ、あれか」と思い出すことでしょう。知らない人もいるでしょうし、短いものですから、上に全文のせておきました。読んでみてください。(同書 P16より)

 ネットでも調べてみました。わかりました!!

●1921(大正10)年 1921年発行の第3期「尋常小学国語読本」第8巻 第19章に4年生用教材として、「コロンブスの卵」が登場

 ちょうど今から100年前です!!

▼板倉さんの言によれば「大正十年度から昭和二十二年度あたりまで」、「コロンブスの卵」は教科書に載っていたのです。
 昭和二十二年と言えば、「立春の卵」の年です。
 
●1947(昭和22)年4月1日 『立春の卵』(中谷宇吉郎 青空文庫より)

 今一度、「コロンブスの卵」に焦点をあてて読んでみた。もちろんふれられていた!!

 

昔から「コロンブスの卵」という諺(ことわざ)があるくらいで、世界的の問題であったのが、この日に解決されたわけである。

 それにしても、考えてみれば余りにも変な話である。卵というものが何時(いつ)でも必ず立つものならば、コロンブスにまで抗議をもって行かなければならない始末になる。

 こういう風に説明してみると、卵は立つのが当り前ということになる。少くもコロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人間が、間違って卵は立たないものと思っていただけのことである。

つまり「コロンブスの卵」から「立春の卵」へ!!
今から74年前のことである!!

▼ますます、「立春の卵」最後の中谷宇吉郎先生の言葉が気になってくるのだった。

何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。  人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細(ささ)いな盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。

「コロンブスの卵」から100年!!
「立春の卵」から74年!!
 私たちは今、どこにいるのだろう!? 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(46) #立春の卵 #中谷宇吉郎 #板倉聖宣

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今年も「節分」に立てた「立春の卵」5個。はやくも1個が倒れてしまった!!
 どうしてだろう!?
 重心から下ろした垂線は、凸の三角形からはみ出してしまった。
 風!? 振動!? それとも…!?

 はやくもとは少し残念であるが、うれしいこともあった!!
 今年はたくさんの方の「立春の卵」体験のお話を聞くことができたのだ。
 それは実に面白い内容だった。
▼お話を聞いているうちに思い立った。

 「立春の卵」実験は、「日本理科教育史」のうえでいつ登場したのだろうか!?

 しばし、これを追ってみたい。

 もちろん、はじまりは中谷宇吉郎先生の「立春の卵」である。

●1947(昭和22)年4月1日 『立春の卵』(中谷宇吉郎 青空文庫より) 

 青空文庫のおかげで、今すぐ読めるのがとてもアリガタイ!!
 読めば読むほど 面白い!! 名随筆!!

▼私自身の体験、それに今回お話を聞いたことを総合すると、今のところ次のように判断した。

 この中谷先生の『立春の卵』に感動し、「卵を立ててみませんか」と提案した人がいる。
 板倉聖宣氏である。

●1977(昭和52)年4月25日 『科学的とはどういうことか』「卵を立ててみませんか」(板倉聖宣著 仮説社 1977.4.25)
 
 ちょうど『立春の卵』から30年がたっていた!!
 この本のトップにとりあげられていた。
 さらに、この話の初出は とみてると次のようになっていた。

●1974(昭和49)年3月 『のびのび』(朝日新聞社教育雑誌)1974年3月号 「卵はいつでも立つ」板倉聖宣

 前著よりさかのぼること3年だ。
 『のびのび』の創刊号に記載されたわけだから、けっこうそのころ話題になったと思われる。

▼それから20年近くたって次のような本も出されていた。

●1991(平成3)年4月1日 『たまごの立つ話』(科学入門名著全集7)(中谷宇吉郎著 板倉聖宣 国土社)

 それからでも、今年でちょうど30年!!

 今、やりたいこと・知りたいことが2つある。
 ひとつは、今、プロットした以外にプロットのあいだをうめる

 『立春の卵』に関連しての資料はないだろうか!? 

 もうひとつは

 今もつづく多様な『立春の卵』実験実践はないだろうか!? 

 ということである。

 繰りかえして言うが、今すぐ誰でも『立春の卵』は読める!!
 だから、まったくあらたな展開も考えられる。

 「おうち実験」に『立春の卵』は最高!!
 「卵は 誰が いつ やっても 立つ」!!
  ダカラ 「科学」 なんだ!! 


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【お薦め本】『高校世界史でわかる 科学史の核心』(小山慶太著 NHK出版新書)

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▼私は最近「歴史」というものに興味を持ちはじめた。
自分が歳をとってきたせいもあるのだろうか!?

今さらではあるが、
小さな小さな「自分史」も、大きな「歴史」の流れのなかで起こったことなのかも知れない。
と思い始めたのだ。

「世界史」「科学史」は、不勉強もあってこれまではどちらかというと他人事だった!!
待てよ!!
 ひょっとしたら私が好むと好まざるに関わらず、その「渦中」に暮らしてきたのかも!?

▼こんな思いを加速してくれる本に出会った!!
 実際に手に入れたのはちょうど一年前だった。少し寝かせておいたのだ。

 

◆【お薦め本】『高校世界史でわかる 科学史の核心』(小山慶太著 NHK出版新書 2020.01.10)

 

 もともと「歴史」は他人事!!という認識だった。私はとりわけ「世界史」が苦手だった。
「高校世界史でわかる」と言われても、そのレベルもきわめてあやしいものがあった。
 だから、話はどこにとんでいくかわからない。
 そこであらかじめいつものようにお薦めポイント3つにしぼつてあげておく。

 

(1) ハイブリッド「科学史」の面白さを存分に楽しめる!!

(2)「科学」の「現在地」を世界史の視点で読み解くことができる!!

(3)「これから」の科学・科学教育のヒントがここにある!! 

 

▼ではひとつずつ少しだけくわしく

(1) ハイブリッド「科学史」の面白さを存分に楽しめる!!

ハイブリッド「科学史」 ?(゜_。)?(。_゜)?
耳慣れぬコトバだ。著者のコトバを借りよう。

そうした現状を鑑みたとき、ひとつの事例ではあるものの、歴史学と自然科学を融合した科学史の研究は、文科と理科にまたがる貴重な懸け橋となっている。いま、「ユニークな特徴をもっている」と書いたのはそういう意味であり、また、そこから ー 一粒で二度美味しいとでも表現できる ー 二つの大きな領域の融合ならではの、いわば〝ハイブリッド〟(hybrid)な面白さ知ることができる。(同書P3より)

 もう少し続けて引用させてもらおう。

 そこで、そういう面白さ伝えるために、本書では、世界史の流れの中に科学上の発見や科学者の人間模様を組み込むという構想を立ててみた。たとえてみれば、世界史(主として近代科学を生んだヨーロッパの近現代史)の変遷を「知の時間軸」に、各時代の科学者が挑んだ自然の探究を「知の空間軸」に設定し、二つの軸が形成する「時空」を舞台に、科学史を描いてみようという試みである。(同書P4より)

 この試みはみごとに成功していた!!

第1章 イギリス王政復古と「学会」創設
    ──ニュートンはなぜ大科学者たり得たか

第2章 フランス革命と化学革命
    ──なぜ諸科学は動乱期に基礎づけられたか

第3章 普仏戦争と「量子仮説」
    ──量子力学は製鉄業から生まれた?

第4章 世界大戦と核物理学
    ──真理の探究はいかに歴史に巻き込まれたか

第5章 変貌する現代科学──巨大科学は国家を超える

 各章のタイトルならべて見るだけでも圧巻である!!
 「世界史」の苦手な私にも十分楽しめた。
 一大スペクタル巨編を見るような思いだった。
 誰かほんとうにこれを映像にしてくれないかな。
 大ヒットまちがいなしだと思うけどな。

 

(2)「科学」の「現在地」を世界史の視点で読み解くことができる!!
 「科学」の本質は「未知なる真理」の発見にある。
 しかし、それもまた、やはり人間の営みである。いかに「真理」が時代を超えたものであっても、その「発見」には時代的背景が色濃く影響している。   
 第一章の主人公・ニュートンの場合で見てみよう。

 一六六五年、イギリスは貿易の利害の対立から再び、オランダと戦火を交えることになる(第二次英蘭戦争)。と同時に、この年、イギリスはペスト(黒死病)の大流行という災厄に襲われた。特に人口が多いロンドンは感染が瞬く間に広がり、阿鼻叫喚の地獄と化した。(同書P28より)
 さてペストが猖獗をきわめる一六六五年には、ニュートンは大学を卒業し、引きつづき、ケンブリッジで学究生活を送るつもりでいたが、疫病の感染を防止するため大学は閉鎖されてしまった。やむなく、ニュートンはウールスソープ村の生家に帰ってきた。(中略)ニュートンは二年近くを一人、故郷で過ごすことになる。(同書P30より)
 大学を卒業したばかりの若者わずか一年余りの間に誰の助けも借りず、二項定理、流率法(微分)と逆流率法(積分)、色彩理論(太陽光が屈折率の異なる光線に分けられるとする理論)を見つけ出すか、あるいはその手掛かりを得たというのであるから、驚かせる。
(同書P31より)

 コロナ禍の「現代」と重なってしまったもので、ついつい引用がながくなってしまった。 
 
 第二章の断頭台に消えた大化学者・ラヴォアジエしかり、「時代」に生き死んでいった科学者が次々と登場するのだった。
 先の話にもどるが「一大スペクタル巨編」の登場人物には事欠かなかった!!
 
 本論にもどろう。「時代」とともに「科学」はどのように変遷していったのだろう。
 そして、「現在地」は…!?。

 

 振り返ってみれば、近代科学が産声をあげたおよそ四〇〇年前から今日まで、本書を通してたどってきたように、科学という営みは決して立ち止まることなく、比類なきほどの進歩を遂げてきた。そして、進歩するにつれ、社会との関係を深め、その深まりはやがて、諸刃の剣の性格を帯びてきた。科学をどちらの刃として使うかは偏に、我々の人間性にかかっている。(同書P253より)

 「諸刃の剣」!!それが「現在地」!?

 

▼最後のポイントに行こう。

 

(3)「これから」の科学・科学教育のヒントがここにある!!
 本書の最後は次のように締めくくってあった。

 そして、科学が進めば進むほど、剣の諸刃の威力はどちらも強くなるわけである。
 将来にわたり、巨大化をつづけるであろう科学は同時に、国際協力の体制も強化されていくものと予想される。その流れが、同じ目的と責任をもった者どうしの連帯を深め、科学が平和の実現と人類の幸福、そして知的好奇心の発露の場となることを願って、本書の締め括りとしたい。(同書P254より )

 

 「時代」は遡行はしない。
 だから、その「時代」にもどって「やりなおし」はできない。
 できるのは「これから」を変えることだけだ!!
 そのためにも「歴史」から学ぶ必要がある。
 ここにこそ、科学・科学教育の「これから」を考えるヒントがある。

 

 ここからはちょっと【お薦め本】の話をはなれて、蛇足をひとつふたつ。

ひとつめは、この本最後は「超巨大科学」の話が中心になってしまって、「等身大の科学」の話はどこかに行ってしまっている。
 あえて探すとすれば最後に引用した文の「知的好奇心の発露の場」のコトバか。 
個人的にはそこにいちばん興味あるのだが…。

 もうひとつは、この本の中に2度ばかり我らが寺田寅彦が登場する。
これを探してみるのも面白いかも知れない。

 最後の最後に 
 附録「世界史・科学史比較年表」は実に面白い。
 この年表は2019年で終わっている。
 後に2020年・2021年には何が追記されるのだろうか!?

 

 やっぱりまちがいない!!
 私たちは「歴史」の「渦中」にいる!! 

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2021年2月(如月)の俳句「歳時記」!! #歳時記 #オンライン句会

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「一日でいちばんきれいな空」!!
 この空の「雲見」が大好きだ!!

 「立春」 光の春がやってきた!!

 夕方のひとり吟行での「雲見」でも、それを強く感じた。

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▼さあ、今月も名句の鑑賞よりはじめる俳句修業だ!!
 名句の参考にさせてもらうのは、いつものように

◆NHK「俳句」 テキスト 

である。ここより巻頭の名句11句を引用させてもらう。

(1) 三寒の四温を待てる机かな 石川桂郎
(2) むめが香にのつと日の出る山路かな 芭蕉
(3) 梅の蕋つよし青天衝きあげて 中島斌雄
(4) 一つづつ光輪まとひ猫柳 伊藤拍翠
(5) 鶯の啼や小さき口明ィて 蕪村
(6) 面とりて追儺の鬼も豆を撒く 大橋宵火
(7) さんしゆゆの花のこまかさ相ふれず 長谷川素逝
(8) まつさきに子のものを干し雪間草 友岡子郷
(9) 古き世の火の色うごく野焼きかな 飯田蛇笏
(10) ポストまで歩けば二分走れば春 鎌倉佐弓
(11) 波を追ふ波いそがしき二月かな 久保田万太郎

▼俳句修業の第一歩は「選句」から!!
 さすがいずれも「名句」ぞろい、迷ってしまう。
 しかし、11句の「名句」から、自分なりの「選句」をやってみよう。 

【私の選んだ名句ベスト3】

(1) 三寒の四温を待てる机かな 石川桂郎

(4) 一つづつ光輪まとひ猫柳 伊藤拍翠

(3) 梅の蕋つよし青天衝きあげて 中島斌雄

【次点】

(9) 古き世の火の色うごく野焼きかな 飯田蛇笏

(10) ポストまで歩けば二分走れば春 鎌倉佐弓

【選評】
・「三寒四温」をこう詠むか!!ワザあり一本!!
・「光輪まとひ」の観察眼に感服。
・「青天衝きあげ」がいい。今一度紅梅を見にいった。ナルホド!!

・「野焼きかな」でこの一句をとった。昨日から畦の「野焼き」がはじまった!!
・「走れば春」でどうしても捨てきれず、次点二句になってしまった。このリズム!!最高!!思わず自分も走り出したくなる。

▼選句を楽しんだら、次は自分でも俳句を詠んでみることだ。
 これに勝る俳句修業はない。
 第6回オンライン句会「寅の日」2月例会の方もはじまっている。
 投句期間は、2月15日(月)までである。
 投句期間中は、いつでも参加を受け付けますよ。
 俳号きめて、メールをください。
 
 オンライン句会では、初心者であることなど気にすることなく自分のペースで俳句を楽しめますよ。
 さあ、あなたも一緒に!!

 

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今年も「立春の卵」を立てた!!(2021/02/02) #立春の卵 #中谷宇吉郎

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「三点主義!!」「三点主義!!」「三点主義!!」
 呪文のように唱えてみた。
 5~6分で5つの卵はアタリマエに立った!!

 卵の殻の表面は思っている以上に凸凹があった。
 その凸の三点を床に着地させ、三角形を描く。
 卵の質量は50~60g、その重心から床に垂線を下ろす。
 下ろした垂線が描いた三角形のなかに着地すれば、必ず卵は立つ!!
 これが「三点主義!!」
 誰が いつやっても 卵はアタリマエに立つ!!
 コロンブスを呼んでくるまでもなく、卵は立つ!!
 だから 「科学」なんだ!! 

▼このアタリマエ実験を、124年ぶりに2/2が「節分」となった昨日(2021/02/02)やってみた。
 「立春」をはずして「節分」にやってみると言うのがミソだった。
 いつしかこの「卵立て」が私の年中行事となっていた。
 このアタリマエ実験を教えてくれたのは、あの中谷宇吉郎だった。

● 「立春の卵」(中谷宇吉郎 青空文庫より)

 「卵立て」とあわせてこの名文を読むことも恒例としていた。
 このアタリマエ実験をめぐって、今から74年前の1947(昭和22)年「立春」に科学者、メディアをも巻き込んで世間では大騒動になったという。その顛末の一部始終をあの中谷宇吉郎が巧みな文章で語ってくれていた。
 先の「三点主義」のヒントもちゃんと語ってくれていた。アリガタイ!!

▼6年前の2015年の「節分」にも、私は同じ実験に挑戦していた。
 時間的にゆとりの生活をはじめたころだからだろうか、妙な「実験」にも挑戦していた。
 「実験」と言うには、ちょっと気が引けるが…。
 きわめて簡単なことだ。

 「立った卵はいつまで立っているだろう!?」

 これを毎日観察するのである。観察した結果をTwitterで画像つきでつぶやくのである!!
 倒れたときは、その卵の「なかみ」も調べてみた。
 最後の一個が倒れるまでなんと 191日 が経っていた!!
 その「全記録」がこれだ!!

◆【立春の卵】191日の軌跡

▼少々くどくなるが、「いつ 誰がやっても 卵は立つのだ!!」
 卵も選ぶ必要はない!!
 台所にころがっている その卵で充分だ!!
 さあ!!

 「立春の卵」実験は、家族で楽しむ「おうち実験」に最適だ!!

 卵が立ったら、「立春の卵」の最後を読み返してみよう。
 

  人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細(ささい)な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。

 ちなみに、今朝(2021/02/03)「立春」、その場所に行ってみた5つの卵は立ったままだった。

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2021年2月(如月)の「雲見」は!? #雲見 #もくもくシール

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▼はやくも2月が始まっていた!!
 2月(如月)の「雲見」を予想する前に2021年1月の「雲見」のまとめをもくもくシールセットによる「雲見」カレンダーでふり返っておこう。
 使用した十種雲形シールは次のようになった。

・快晴    6 
・巻雲    1 
・巻積雲   1 
・巻層雲   4     
・高積雲   0  
・高層雲   0     
・層積雲   5 
・積雲    8  
・層雲    0  
・乱層雲   6  
・積乱雲   0 

 「積雲」8+「快晴」6=14 寒いが「冬晴れ」という日が多かった!!
 「乱層雲」6からもわかるように後半に集中しての雨が多かった。日本海側からこぼれてくる雪もあった。
 これはたまたまであろうが、「高積雲」「高層雲」ともに0というのもめずらしい。

▼2021年2月(如月)の「雲見」の予想に入ろう。
 まずは昨年の2月の天気図を見てみる。

◆日々の天気図 2020年2月 (気象庁) 

 さあ、もう寒波がやってくることはないのだろうか?
 光の春はやってきても、ダイレクトに春にシフトしていくとは考えにくい。
 「ストロー氷」のチャンスはあるだろう?
 「春一番」はいつだろう!?

 もくもくシールはどの雲のシールが多くなるかな!?

▼次は、今年から使っている「雲見」の予想の資料だ。

◆向こう1か月の天候の見通し 近畿地方(大阪管区気象台)

 あれ ?(゜_。)?(。_゜)?
 当初からこんな<予想>だったかな。
 けっこう暖かい日が続きそうだな。今も(2日)雨が降っているが、雨多くなるのかな!?
 雪はどうなんだろう?
 
▼列車に乗り車窓から「雲見」をするだけの旅=リアル「雲見」の旅!!
 こちらはどうやら当分おあづけのようだ。
 しかたない。
 今でもすぐ可能な「雲見」の旅をつづけよう。

 2つだ。
●ひとり吟行で 「雲見」を!!
●エマグラム鉄道「雲見」の旅を!! (Web テキストミニ試案「エマグラム~エマグラム鉄道物語~」

 さて、どんな「雲見」になるだろう。

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【Web更新1/31】21-05 【ヒガンバナ情報2021】 等 更新!!

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ふり返るひと月過ぐや寒の梅 21/01/29撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】21-05
週末定例更新のお知らせ
 2021年も はや一ヶ月が過ぎた!!

・「記録」「整理」「発信」
・捨てる!!
・詠む!!

 は予定通り進んだだろうか!?
 「みちはこたえない。」
 「みちはかぎりなくさそうばかりだ。」

◆表紙画像集2021 更新 寒の梅
 紅梅が気づかぬうちにほころびはじめた。
 まだまだ寒の風は冷たかった。
 天気は少しきまぐれ、しかし、光は律儀だった!!
 光の春はそこまで

◆【ヒガンバナ情報2021】 新設!!
 ホームページ開設と同時にはじめたWebページが【ヒガンバナ情報】のページだった。
 98/04/25(土)の開設であるから、なんと24年目【ヒガンバナ情報】のページである。
 さて、今年は何をここに書き込むだろう。
 秋には久しぶりにヒガンバナオフの記録が書き込めるだろうか!?
 ぜひ、そうありたいものだ!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!

 二月のテーマは「寺田物理学とは!?」である。これまでにも何度か挑戦したテーマだ。
 「物理学」、私のもっとも苦手とする分野である。
 同時にもっとも興味深い分野でもある。
 「寺田物理学」とふつうの「物理学」とはちがうのだろうか!?
 少しずつ 少しずつ…

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「サイエンスコミュニケーター10年!!」が終わるまでにあと2ヶ月。
 やっておきたい課題は
 次の10年が見えてくるためにも
 さあ、ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

 大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから44週目。
 寒の内なのに「水温む」状態に…、
 2ヶ月後、池をひっくりかえしたら、どんな蓮根がねむっているだろう!?

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