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本日(2021/01/30)、第276回オンライン「寅の日」!! #ピタゴラスと豆 #traday #寺田寅彦

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●『ピタゴラスと豆』(寺田寅彦著 角川ソフィア文庫 2020.8.25)
 
 この本の解説のなかで、鎌田浩毅氏は
  寺田エッセイは魅力ある「中古典」である。 と言っていた。

 二三年前に京大に着任してから私は、寺田のエッセイを「中古典」として学生たちに薦めてきた。つまり、『ソクラテスの弁明』や『論語』『方法序説』が大古典であるとすれば、『アラン幸福論』や『氷川清話』などの中古典は身近ではるかに読みやすい近現代の名著なのである(拙著『理学博士の本棚』角川新書)。(中略)  寺田の残した中古典の中から、自分の一番好きな文章を選んで繰り返し味わっていただきたいと思う。(同書P325 より)

▼本日(2021/01/30)は、第276回オンライン「寅の日」である。
 2021年1月のテーマは

【1月のテーマ】「寅彦と現代社会」

である。その最終回の本日読むのは、上記本のタイトルにもなっている「ピタゴラスと豆」である。

◆本日(2021/01/30)、第276回オンライン「寅の日」!!

●「ピタゴラスと豆」(青空文庫より)

▼ものを知らない私は、寅彦のエッセイではじめて知ることも多かった。
 このこともまた、そんなうちのひとつだった!!

この同じピタゴラスがまた楽音の協和(ハーモニー)と整数の比との関係の発見者であり、宇宙の調和の唱道者であったことはよく知られているようであるが、この同じピタゴラスが豆のために命を失ったという話がディオゲネス・ライルチオスの『哲学者列伝』の中に伝えられている。

 ものごとの真意を見抜く科学者・寺田寅彦の眼力はいつも冴えていた。

 このピタゴラスの話がまるで嘘であるとしても、昔のギリシャかローマに何かそれに類する「禁戒」「タブー」「物忌(ものい)み」といったようなものがあったのではないかという疑いをおこさせるには十分である。
それはいずれにしても、ピタゴラスの豆に対する話はやはりこうした「物忌み」らしく思われるのである。「嫌う」ともちがうし、「こわがる」ともちがう。

ここで少し余談!?

この頃、柳田国男氏の「一つ目小僧その他」を見ると一つ目の神様に聯関して日本の諸地方で色々な植物を「忌む」実例が沢山に列挙されている。

 そうか、寅彦(1878- 1935)は柳田国男(1875 - 1962)を読んでいたのか!!
 アタリマエだけどなんか感激してしまうのだった。

▼寅彦のほんとうの魅力は、いつ読んでも「現在」にツナガッテいるところだった!!
 鎌田浩毅氏流に言うなら

 寺田エッセイはいつ読んでも今日的「中古典」だった!! 

 それは最後の一文を読めば、きわめて納得がいくのである。

しかしこのピタゴラスと豆の話は、現在のわれわれの周囲にも日常頻繁に起りつつある人間の悲劇や喜劇の原型(プロトタイプ)であり雛形(モデル)であるとも考えられなくはない。色々の豆のために命を殞(おと)さないまでも色々な損害を甘受する人がなかなか多いように思われるのである。それをほめる人があれば笑う人があり怒る人があり嘆く人がある。ギリシャの昔から日本の現代まで、いろいろの哲学の共存することだけはちっとも変りがないものと見える。

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