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2020年・夏の「自由研究」は!?(4) #自由研究 #寺田寅彦 #自由研究の歴史 #オンライン自由研究

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 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

 「自由研究」へ誘う最高のコトバに聞こえる。
 このコトバについて、あの中谷宇吉郎が書き残してくれていた。

 私が理研にいた三年の間に、先生の仕事を手伝った主な題目は火花放電の研究であった。ずっと以前、先生が水産講習所へ実験の指導に行っておられた頃の話であるが、その実験室にあったありふれた感応起電機を廻(まわ)してパチパチ長い火花を飛ばせながら、いわゆる稲妻形に折れ曲(まが)るその火花の形を飽(あ)かず眺めておられたことがあったそうである。そして先(ま)ず均質一様と考うべき空気の中を、何故(なぜ)わざわざあのように遠廻りをして火花が飛ぶか、そして一見全く不規則と思われる複雑極まる火花の形に或る統計的の法則があるらしいということを不思議がられたそうである。「ねえ君、不思議だと思いませんか」と当時まだ学生であった自分に話されたことがある。このような一言(ひと)ことが今でも生き生きと自分の頭に深い印象を残している。そして自然現象の不思議には自分自身の眼で驚異しなければならぬという先生の訓えを肉付けていてくれるのである。(中谷宇吉郎『指導者としての寺田先生』 青空文庫より)

▼その寺田寅彦自身にも、直接「自由研究」に触れた文章があった。
 昭和三年(1928)十一月『理科教育』に寄稿された「雑感」のなかにあった。
 こうである。

 

小学校でも中学校でもせめて一週間に一時間でもいいから、こういう「自由研究」の時間を設けて、先生も生徒も一緒になって、何でも手近な題目を取扱い、そうして、自然が如何に分らない事だらけであるかという事、その分らない事が、熱と根気で向って行けば少しずつ少しずつ分って行く事、その少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるかという事などを実習したらいいだろうと思う。先生の分らない事は大抵誰にも本当はよく分らない事である。分らない事は恥でも何でもない。分らない事を分ったような顔をするほど恥ずべき事はない。(寺田寅彦「雑感」 青空文庫より

▼昭和三年(1928)に寅彦が「自由研究」という言葉を使っていることからわかるように、「自由研究」教育は始まっていた。
 大正自由教育運動のなかで誕生したもののようだ。
 また、寅彦の提言に呼応するかのごとく、昭和二十二年(1947)から5年ほど小学校の「教科」として「自由研究」があった時代もあるという。

▼私が言いたいのは、その「自由研究」を復活させようということではない。
 「自由研究」の原初の思念を生かしつつも、今の時代に即した展開だ!!
 今の時代だからこそ可能なこと
 「これから」の時代の「自由研究」のひとつの「かたち」!!

 それが、オンライン「自由研究」だ!!

 その可能性をさぐってみたい!!
 
(つづく)

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