オンライン句会への道(7)#愚陀佛庵 #子規 #漱石 #寅の日 #夏雲システム #オンライン句会

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桔梗活けてしばらく仮の書斎哉 子規
愚陀佛は主人の名なり冬籠 漱石
松山市立子規博物館の3階(展示第2室)に「愚陀佛庵」(復元)があった。
私はしばらくその場所をはなれることができなかった。
明治28年(1895)、漱石の下宿先に松山に帰郷した子規が転がり込んできた。52日間ものあいだ子規は我が家のように気儘に暮らしたという。
漱石の俳号をとって「愚陀佛庵」と呼ばれたここで仲間が集い句会が開かれたという。
思わずタイムスリップしてしまいそうな空間がそこにあった。



▼それ以降、漱石はより俳句に熱中し、「子規へ送りたる句稿 その一」(明治28年)から「その三十五」(明治32年)を、子規へ送り続けるのであった。
子規は、それに短評を書いたり、添削したり、○をつけたりするのである。
その交流、指南の方法こそ漱石の「俳句」をつくり出した。
▼我らが寅彦が、漱石を訪ねて、「俳句とは」を聞いたのは明治31年(1898)である。
「愚陀佛庵」から3年後のことであった。
そして、今度は、寅彦が漱石に送ったのである。
「夏目漱石へ送りたる句稿」の「その一」から「その二十一」(明治32年)までを。
漱石は、今度は寅彦に対して、子規がやってくれたことと同じこと寅彦にやってくれた。
子規 → 漱石 → 寅彦 !!
学びの作風は引き継がれていった!!
▼そんな大御所の話はちょっとおいておこう。
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ
デワアルガ マナブトコロモアリソウナ
オンライン句会「寅の日」の学びの作風は、今のところゼロ!!
今はじまろうとするところだから。
参加するみんなで愉しくつくっていきたいものである!!
私たちの 学びの作風を
あの「愚陀佛庵」のように!!
(つづく)
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