本日(2020/06/04)、第255回オンライン「寅の日」!!#新星 #traday #寺田寅彦


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好きなもの
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懐手 して 宇宙見物
1934.1.2
私の究極の道楽は2つ
賢治の「雲見」
と
寅彦の「宇宙見物」
である。
その「宇宙見物」というフレーズは、この「懐手 して 宇宙見物」から拝借している。
「宇宙見物」もお気に入りだが、「懐手 して」というのがなおいっそうお気に入りだ!!
▼本日(2020/06/04)、第255回オンライン「寅の日」である。
6月のテーマは
「教科書に掲載された 寺田寅彦作品を読む」
である。
同書にとりあげられた5作品を、今回より連続して読んでいく。
今回は、「新星」(「小さな出来事」四)を読む。
◆本日(2020/06/04)、第255回オンライン「寅の日」!!
▼今回より同書の著者山田功先生を見習って、作品に直接表れていない背景も意識しながら読み進めたい。
まずこの作品が発表されたのは、大正九年(1920)十一月である。
つまり ちょうど 今から100年前!! 寅彦43歳のときである。
大学にて胃潰瘍で吐血し、二年間の療養期間中に書いたものである。
同書によれば
「この作品が初めて教科書に掲載されたのは、大正十二年(1923)である。これは寺田寅彦の作品が掲載された最初でもある。」
さてなかみに入ろう。
読み進めるうちに、なぜ教科書に掲載されたのか 納得がいくような気がしてくる。
100年前 科学者である父が愛する我が子たちに「宇宙見物」の面白さを語る。
それは今読んでも、たいへん興味深い。
こんな話よりも子供を喜ばせたのは、新星の光が数十百年の過去のものだという事であった。わが家の先祖の誰かがどこかでどうかしていたと同じ時刻に、遠い遠い宇宙の片隅に突発した事変の報知が、やっと今の世にこの世界に届くという事である。
この事情は100年たった今も同じかも知れない。
ここまでで終わらないというのが、寅彦の面白さでもあった。続けてこうだ!!
しかしそう云えばいったいわれらが「現在」と名づけているものが、ただ永劫な時の道程の上に孤立した一点というようなものに過ぎないであろうか。よく考えてみるとそんなに切り離して存在するものとは思われない。つまりは遠い昔から近い過去までのあらゆる出来事にそれぞれの係数を乗じて積分(インテグレート)した総和が眼前に現われているに過ぎないのではあるまいか。
こんな文章を100年前の学生たちは、どのように受けとめたんだろう。
▼まだまだつづいた!!
新星の出現する機会(チャンス)はきわめて少ない。われわれ素人が星座の点検をする機会もまたはなはだ少ない。従って先ず新星が現われて、それからわれわれがそれを発見するという確率(プロバビリティ)は、二つの小さな分数の相乗積であるから、つまりごく小さいもののまだ小さい分数に過ぎない。
さらにつづけて
これに反して毎晩欠かさず空の見張りをしている専門家にとっては、「偶然」はむしろ主に星の出現という事のみにあって、われわれの場合のように星と人とに関する二重の「偶然」ではない。強いて云えば天気の晴曇や日常の支障というような偶然の出来事のために一日早く見付けるかどうかという事が問題になるだけであろう。 この説明は子供には、よく分らないらしかった。
同書には、教科書に掲載されたときの[学習の手引き]も紹介されていた。
そのなかに、上記の文章をとりあげ
「5 次の文の意味をよく分かるように説明してください。」というのがあった。
今日一日、学生にもどった気分で考えてみようと思う。
梅雨空があけたら夏空の「宇宙見物」をしながら、この作品を読み返してみたい。
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