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本日(2020/02/05)、第245回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

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▼彼女(ジョロウグモ)は確かにここに居た!!
 「大寒」の日にも
 雨の日にも
 それが、「立春」の昨日、姿がなかった。
 朝は冷え込んだものの、昼ごろには「立春」らしくぽかぽか陽気になってきた。
 消えた彼女をさがしてみた。
 金柑の木のてっぺんも根元も…。そして、となりのナンテンの木も…。
 居ない!! ?(゜_。)?(。_゜)?

 あの人だったら、見逃しはしなかっただろうか?

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▼本日(2020/02/05)は、第245回オンライン「寅の日」である。
 2月のテーマは
●「寅彦」の生きもの観察!!
である。1月に引き続き寅彦のするどい「観察眼」「観察力」に学ぼうというわけである。
 とりわけ生きものの観察に関連して…。本日はその一回目、「蜂が団子をこしらえる話」を読む。

◆本日(2020/02/05)、第245回オンライン「寅の日」!!

●「蜂が団子をこしらえる話」(青空文庫より)

▼もう唸ってしまう!!
 「寅彦」の観察眼の鋭さに。よくぞここまで観察したものと!!

断えず噛みながら脚で器用に団塊を廻して行くので、始めには多少いびつであったのが、ほとんど完全な球形になってしまって、もうどこにも毛などの痕跡は見えなくなってしまった。廻す拍子に一度危なく取落そうとしてやっと取り止めた様子は滑稽であった。蜂はやがてこの団子をくわえて飛び出そうとしたが、どうしたのかもう一遍他の枝に下りた。人間ならばざっと荷物をこしらえて試みにちょっとさげてみたというような体裁であった。そしてまたしばらく噛んで丸める動作を繰り返していた。からだ全体で拍子をとるようにして小枝をゆさぶりながらせっせと働いているところは見るも勇ましい健気(けなげ)なものであった。
 

 唸ってしまうのはそれだけではなかった。するどい観察からはじまって、それを巧みなコトバにしてしまう「文章力」だった。
例えばこんなふうに。

 私は毛虫にこういう強敵のある事は全く知らなかったので、この目前の出来事からかなり強い印象を受けた。そして今更のように自然界に行われている「調節」の複雑で巧妙な事を考えさせられた。そして気紛れに箸の先で毛虫をとったりしている自分の愚かさに気が付いた。そしてわれわれがわずかばかりな文明に自負し、万象を征服したような心持になって、天然ばかりか同胞とその魂の上にも自分勝手な箸を持って行くような事をあえてする、それが一段高いところで見ている神様の目にはずいぶん愚かな事に見えはしまいか。ついこんな事も考えた。

▼読み進めるうちに、いつの間にやら「寅彦」ワールドにはまってしまうのだった!!
 そして、最後の「とどめ」にこうくる。

 虫の行為はやはり虫の行為であって、人間とは関係はない事である。人として虫に劣るべけんやというような結論は今日では全く無意味な事である。それにもかかわらず虫のする事を見ていると実に面白い。そして感心するだけで決して腹が立たない。私にはそれだけで充分である。私は人間のする事を見ては腹ばかり立てている多くの人達に、わずかな暇を割いて虫の世界を見物する事をすすめたいと思う。

 この最後の文を読んでいるうちに、なぜかあの大杉栄が『ファーブルの昆虫記』を翻訳したという話を思い出した。
 そう言えば、寅彦も『ファーブルの昆虫記』について書いた随筆があったはずだ。
 あった!! 「科学と文学」である!!

  手近な例を取ってみても、ファーブルの昆虫記(こんちゅうき)や、チンダルの氷河記を読む人は、その内容が科学であると同時に芸術であることを感得するであろう。ダーウィンの「種の始源」はたしかに一つの文学でもある。ウェーゲナーの「大陸移動論」は下手(へた)の小説よりは、たしかに芸術的である。

やっぱり寅彦もファーブルも愛読していたのだ!!
なぜかうれしくなってしまう。

それにしても、彼女(ジョロウグモ)が唐突に1月に出現したのはどうしてだったんだろう?  

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