本日(2018/09/07)、第201回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦
▼いつも季節は直線的に変化はしない。
秋めいた空の「雲見」と喜んでいたら、またしても蒸し暑い空に逆戻りしてしまった。
しかし、その下の稲穂がそうであるように
季節はけっして遡行しない!!
▼「台風」「地震」次々と続く「自然災害」…あの寅彦なら、今の日本列島で起こっていることをどう見ているだろう!?
その寅彦を読み始めて、ついに200回を越えて、本日(2018/09/07)は、第201回オンライン「寅の日」である。
心機一転、あらたな気持ちで300回をめざしたい。
9月のテーマは
【9月テーマ】 「寅彦と俳句」
「寅彦と俳句」とくれば定番のひとつ、「天文と俳句」を読む。
◆本日(2018/09/07)、第201回オンライン「寅の日」!!
▼あらためて心に決めていることがある。
「自らの文脈に引きつけて読む!!」ということである。
これは寅彦の随筆に限らず、すべての文章を読むときに心がけたいと思っているところであるが、特にオンライン「寅の日」では、そうしたい!!
鎌田浩毅風に言うならば、それこそが 「寺田寅彦を「活用」する」第一歩である!!と信じるから。
寅彦は熱く俳句の本質はココにありと説く。
季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。
無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。
要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。
「時の決定」こそがもっとも肝要な作業であるというのである。
納得である!! (゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
▼もう少し、寅彦を「活用」するために、自らの文脈に引きつけて読んでみよう。
古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。
なんと示唆的ではないか。
「自分の眼で自然を見る!!」
ここにこそ、私が「俳句」にこだわる所以がある。
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