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本日(2018/06/27)、第195回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

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▼朝の散策でいつもの竹藪裾の畦を歩いていた。
 その竹藪から、ネムノキの枝が垂れ下がってきた。
 そして、ちょうど合歓の花が目の前に来た!!しばし足をとめ魅入ってしまった。
 さらに進むと 畦にさりげなく二本のネジバナが立っていた。

 家を出てすぐの土手には今年最初に出会ったコガネグモが今も同じ位置にいた。
 隠れ帯がみごとだ!!
 アメダスは昨日も30℃を越えたようだ。
 
 これが私の「初夏」だった!!

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▼本日(2018/06/27)は、第195回オンライン「寅の日」である。
 6月テーマは「寅彦と気象」だ。
 その第三弾はちょっとこれまでとはちがった感じの作品を読む。
 「竜舌蘭」である。

◆本日(2018/06/27)、第195回オンライン「寅の日」!!
●「竜舌蘭」(青空文庫より)

▼まずこの作品が生まれた年と背景だ。
 いつもお世話になっている『寺田寅彦ー天然に育まれし眼差しー』(高知県立文学館)の年譜から引用させてもらうとこうだ。

●一九〇五(明治三十八)年  二八歳(数え年)
1月『ホトトギス』で漱石の「吾輩は猫である」の連載が始まる(翌年8月まで)。
2月25日、漱石宅の文章会に出席。
4月『ホトトギス』に「団栗」掲載。
6月『ホトトギス』に「竜舌蘭」掲載。

 文学などというものと縁遠い世界に生きてきた私など、これを見るだけでろくに文章も読まずになっとくしてしまうのである。科学者・寺田寅彦のもうひとつの顔はこのころから生まれていたのである。
 漱石直伝の超一流の文章術が…。

 そんな予断をもって読むせいだろうか。妙に文章が輝いてみえてきた…(^^ゞポリポリ

こんな時にはいつもするように、机の上にひじを突いて、頭をおさえて、何もない壁を見つめて、あった昔、ない先の夢幻の影を追う。なんだか思い出そうとしても、思い出せぬ事があってうっとりしていると、雷の音が今度はやや近く聞こえて、ふっと思い出すと共に、ありあり目の前に浮かんだのは、雨にぬれた竜舌蘭(りゅうぜつらん)の鉢(はち)である。


大きな鯉、緋鯉(ひごい)がたくさん飼ってあって、このごろの五月雨(さみだれ)に増した濁り水に、おとなしく泳いでいると思うとおりおりすさまじい音を立ててはね上がる。池のまわりは岩組みになって、やせた巻柏(まきがしわ)、椶櫚竹(しゅろちく)などが少しあるばかり、そしてすみの平たい岩の上に大きな竜舌蘭(りゅうぜつらん)の鉢が乗っている。ねえさんがこの家へ輿入こしいれになった時、始めてこの鉢(はち)を見て珍しい草だと思ったが、今でも故郷の姉を思うたびにはきっとこの池の竜舌蘭を思い出す。今思い出したのはこの鉢であっ
た。

▼この季節の情景が美しい文章でつづられる。

それもじきやんで五月雨(さみだれ)の軒の玉水が亜鉛のとゆにむせんでいる。


縁側に出て見ると小庭を囲う低い土塀(どべい)を越して一面の青田が見える。雨は煙のようで、遠くもない八幡(はちまん)の森や衣笠山(きぬがさやま)もぼんやりにじんだ墨絵の中に、薄く萌黄(もえぎ)をぼかした稲田には、草取る人の簑笠(みのかさ)が黄色い点を打っている。ゆるい調子の、眠そうな草取り歌が聞こえる。


水かさのました稲田から流れ込んだ浮き草が、ゆるやかに回りながら、水の面へ雨のしずくがかいては消し、かいては消す小さい紋といっしょに流れて行く。鯉は片すみの岩組みの陰に仲よく集まったまま静かに鰭(ひれ)を動かしている。竜舌蘭(りゅうぜつらん)の厚いとげのある葉がぬれ色に光って立っている。


 義(よし)ちゃんは立派に大きくなったが、竜舌蘭(りゅうぜつらん)は今はない。
 雷はやんだ。あすは天気らしい


 うまいもんだ!!
 うなるしかないな!!


さて、我が地域も 雷が鳴って 梅雨が明けるのはいつだろう!? 

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