Webテキスト『天気の変化』の可能性!?(133)

▼大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから50週目だった。
大賀ハスの観察のためだけでなく、一年間通しての私の「ビオトープ」として役割もして来てくれた。
それももうあと2週間だけとなった。
散り始めた紅梅の花びらが観察池に浮いていた!!
もうその季節なんだ。
▼「ふりだし」にもどって、Webテキスト『天気の変化』の可能性へのヒントを
◆『大気の科学~新しい気象の考え方~』(小倉義光著 NHKブックス76 1968.9.20)
を読み返しながらみつける。
この作業がとても気に入っていた。
自己満足にすぎない!!それでもやっぱり面白いものは面白い!!
ずいぶん時間を費やしたと思ったが、まだ最初の章の「大気のすがた」が終わりかけたところだ。
▼次はいよいよ
「低気圧の実体を求めて」(同書p43)に入る。
最初に紹介されているのは「あらしの本質は人智のおよぼすところにあらず」の話だ。
そんな古い話ではない。
●1703年 ダニエル・デフォ
「こうした現象を通じて、自然は、われわれを無限可能の御手に、あらゆる自然の創造者に導く。最高の神秘の宮殿の奥深く、『風』はひそむ。理智のたいまつの灯をかかげ、自然を赤裸にあばいた古の賢人たちも、その途上で地に倒れた。『風』は理智の灯を吹き消し、やみが残った。」(同書p43より)
18世紀はじめの認識である。この認識から
●1921年 「理想化された低気圧」 (J.ビヤクネスとゾルベルク :ノールウェー)
にいたったのか。
「暴風雨の正体」の謎解き物語である。
これはたいへん興味深い。
けっして昔話ではない!!ときとして私たちは今でも18世紀はじめにもどってしまうのだから。
さらにゆっくり ゆっくりすすめようと思う。
▼ちょっと話がちがうが、これぞ私の究極の道楽と思っている「雲見」のことだ!!
この「雲見」を最初に言い出したのは宮沢賢治だ。
眺(なが)めても眺めても厭(あきな)いのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
(宮沢賢治『蛙のゴム靴』青空文庫より)
その「宮沢賢治の世界」に今日、あと数時間で出会える!!o(^o^)o ワクワク
「デクノボーの科学」に!!
(つづく)


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