本日(2016/11/04)、第143回オンライン「寅の日」!!#traday

▼我らが寺田寅彦は、昭和9年1月に次のような短歌(三十一文字)を詠んでいた。
好きなもの 苺 珈琲 花 美人 懐手して 宇宙見物
大のお気に入りである。特に「懐手して 宇宙見物」というのが気に入っている。
賢治の「雲見」
と
寅彦の「宇宙見物」
があったら、なにはなくとも一日楽しくすごせるのである。(^^)V
昨日も早朝「宇宙見物」からはじまった。
「一日でいちばんきれいな空」を見て、昼間は「雲見」だった。
夕方には、細い月・金星・土星のトライアングルを見物させてもらった。アリガタイ!!
地球照もきれいだった!!
間違いなく私たちは地球上に暮らしているようだ!!
▼本日(2016/11/04)は、そんな「宇宙見物」の提唱者・寺田寅彦を読む日だ。
第143回オンライン「寅の日」である。
11月は、【理科の部屋】の誕生した月である。それを記念して11月のテーマは
●寅彦と「科学教育」
と決めていた。
そしてその第一弾として今日は「科学上の骨董趣味と温故知新」を読むことにする。
◆本日(2016/11/04)、第143回オンライン「寅の日」!!#traday
●「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)
▼寅彦の随筆のすばらしいところはいつ読んでも今日的であることだ。
そしてもうひとつはいかなる「文脈」で読んでも、読む人の「文脈」に対応して示唆を与えてくれているところだ。
今回の「科学上の骨董趣味と温故知新」は、直接「科学教育」に関連してのものではなかったが、私は勝手に自らの「文脈」に引き寄せて読んでみた。私の「文脈」とは「科学教材研究」という視座である。
やっぱり示唆的であった。いくつかを拾ってみる。
その種類の人には歴史という事は全く無意味である。古い研究などはどうでもよい。最新の知識すなわち真である。これに達した径路は問う所ではないのである。実際科学上の知識を絶対的または究極的なものと信じる立場から見ればこれも当然な事であろう。また応用という点から考えてもそれで十分らしく思われるのである。しかしこの傾向が極端になると、古いものは何物でも無価値と考え、新しきものは無差別に尊重するような傾向を生じやすいのである。
しかし自分の見る所では、科学上の骨董趣味はそれほど軽視すべきものではない。この世に全く新しき何物も存在せぬという古人の言葉は科学に対しても必ずしも無意義ではない。
このような類例を探せばまだいくらでもあるだろう。新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼よじんから産れ出るのである。
▼この随筆が書かれたのは大正8年(1919年)、今から97年前だ。
ところが、
しかしその半面の随伴現象としていわゆる骨董趣味を邪道視し極端に排斥し、ついには巧利を度外視した純知識慾に基づく科学的研究を軽んずるような事があってはならぬと思う。直接の応用は眼前の知識の範囲を出づる事は出来ない。従ってこれには一定の限界がある。予想外の応用が意外な閑人的学究の骨董的探求から産出する事は珍しくない。自分は繰返して云いたい。新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。
こんな発言を極々最近どこかで聞いたような気がするのだが。
寅彦はやっぱり今日的で示唆的だ。
最後に自分の「文脈」にもどって書いておこう。
科学研究の世界に「不易流行」があるように、どの世界にも「不易流行」がある。
ホンモノの「流行」は「不易」を内包する!!
ホンモノの「不易」は「流行」を創る!!
| 固定リンク


コメント