本日(2016/08/24)、第137回オンライン「寅の日」!!#traday
▼昨日は二十四節季でいうところの「処暑」であった。
ところが「暑さ」がおさまりはじめるどころか、「暑さ」極みの猛暑日だった。
でもこの二十四節季という暦を軽んじてはいけない。
猛暑のなかにどこか秋の気配が感じられるから不思議だ。
それをやっぱりよく知っているのはクモたちだった。例の場所のジョロウグモは日に日に大きくなっていた。
クモたちが感知しているのは光だろうか。だとしたら、それはきわめて科学的ではないか!!
4億年も前から地球上に暮らして貴奴等にとってきわめてアタリマエのことなのかも。
夕方、「アメダス」までの散策で感じた風はたしかに「秋」が含まれていたような…。
▼本日(2016/08/24)、第137回オンライン「寅の日」である。
7月8月連続してやってきたテーマ「寅彦の「夏」」の最終回だった。
随筆の題もずばり「夏」だ。
◆本日(2016/08/24)、第137回オンライン「寅の日」!!
▼今回読む「夏」は
一 デパートの夏の午後
二 地図をたどる
三 暑さの過去帳
四 験潮旅行
の4編から成る。いずれも昭和4年・5年の「夏」に新聞に発表された文章である。
読んでみての第一感想は、「夏」「暑さ」だけでここまで語れるものかという感嘆だった!!
さすが寅彦!!と驚くばかりである。
少しだけなかみに入って「一 デパートの夏の午後」で寅彦は面白い提言をしている。
しかし百貨店の可能性がまだどれほど残されているかは未知数である。その一つの可能性として考えられるものは、軽便で安価な「知識の即売」である。法医工文理農あらゆる学問の小売部を設けることである。
21世紀の今、私にはこれが現代のネット社会の「予見」に読めてしまうのだ。
「二 地図をたどる」ではとても寅彦らしい「銷夏(しょうか)法」をいくつかを紹介していた。
日中の暑い盛りにはやはり暑いには相違ない。しかし何か興味のある仕事に没頭することが出来れば暑さを忘れてしまうことは容易である。それにはあまり頭も苦しめなくて、ただ器械的に仕事を進めて行くうちに自ずから興味の泌み出して来るようなことが適当である。
納得である。具体例をいくつかあげてくれていた。なかでも、私がいちばん気に入ったのは次だった。
今年はある目的があって、陸地測量部五万分一地形図を一枚一枚調べて河川の流路を青鉛筆で記入し、また山岳地方のいわゆる変形地を赤鉛筆で記入することをやっている。河の流れをたどって行く鉛筆の尖端が平野から次第に谿谷けいこくを遡上さかのぼって行くに随って温泉にぶつかり滝に行当りしているうちに幽邃ゆうすいな自然の幻影がおのずから眼前に展開されて行く。谿谷の極まるところには峠があって、その向う側にはまた他の谿谷が始まる、それを次第にたどって行くといつの間にか思わぬ国の思わぬ里に出て行く。
▼もっとも驚いたのは「三 暑さの過去帳」である。
少年時代・中学校時代・高等学校時代・滞欧中…と、「暑さ」「夏」の記憶をたどっていく文章だ。
なんという記憶力・観察力・文章力…!!
喉元のどもと過ぎれば暑さを忘れるという。実際われわれには暑さ寒さの感覚そのものも記憶は薄弱であるように見える。ただその感覚と同時に経験した色々の出来事の記憶の印銘される濃度が、その時の暑さ寒さの刺戟によって、強調されるのではないかという気がする。そうしてその出来事を想いだす時にはその暑寒の感覚はもう単なる概念的の抜殻になってしまっているようである。
ちょっと真似をして私の「暑さの過去帳」を綴ってみたくなるが、さっそくにそんな元ネタがみつからない(^^ゞポリポリ
「四 験潮旅行」では変なところに反応してしまった。
そして子供の時分から話にだけは聞いていたチュウギなるものが、目前の事実としてちゃんと鼻のさきの小函こばこに入れてあった。これは教育博物館あたりに保存してほしい資料である。
「チュウギ」のことを調べるのに時間を費やしてしまった。
今朝の風は涼しい!!
そろそろ今年の「暑さ」「夏」の履歴をまとめておく時期がきているようだ。
| 固定リンク
コメント