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サイエンスコミュニケーター宣言(345)

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▼昨日(2014/10/28)も、続けて空は高く、北風は冷たかった。
深まる秋というより、冬の到来という気配である。
そんななかでも、貴奴(ゲホウグモ)は柿の木の一部になりきったままである。
死んではいないはずだ、それが証拠に夕方になると脚を浮かしたりしているので。
いったいいつまでこうしているつもりなんだろう。
 これに加えてゲホウグモの4つの「卵のう」もそのままであった。
特に注目したのは第4「卵のう」だ。「卵のう」を貼り付かせた柿の木の葉はすっかり枯れ葉になっている。「卵のう」の一部の糸だけでかろうじてぶら下がっている。
 西日があたり少し透けて見える。なかに少し黒ずんだモノが見えるのはよく目というものだろうか。
▼10月は、今日も含めてもあと3日だ。
年のせいだろうか、このごろよく「あれ?なにをしていたかな?」とか
捜し物を捜しているときなども「何を捜していたのだったかな?」と思うことがある。
昔からそんな傾向があったが、特にこのごろその頻度が高まったような気がする。
「現在地」を見失ってしまうのである。
 こんときは
 サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」確認のため5つの座標軸をひっぱり出してくる。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
(2) サイエンスイベント・ムーブメントに参画する。
(3) 中学校「理科」カリキュラム全課程実践的検討!!
(4) あらたな理科教育コミュニティの構築!
(5) 日本理科教育史を現在進行形のかたちでまとめる。
▼ひとつずつ順番に「現在地」を確認してみようと思う。
(1) 道楽的「科学」・道楽的「理科」の追求!
「科学」を楽しむことの「現在地」ということになるだろうか。
さらに具体的にいうなら
・クモ学のすすめ
・ヒガンバナ情報2014
などがそれに相当するのだろうか。
渦中にあるときにはなかなか渦のかたちや方向が見えてこないものである。
ときには、渦の外から概観する必要もあるのかも知れない。
▼「○○の科学」遍歴の後、辿り着いた究極は「私の科学」であった。
だからと言って「私の科学」は到達点ではなかった。
それは日々変化し、ふくらみ豊かにしていきたい「めざしたい」ものだ。
「私の科学」にも、「科学の方法」があった。
それを再吟味するところからはじめてみようと思う。


東の畑の綿がはじけて白い綿がふくらんでいた。
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