サイエンスコミュニケーター宣言(281) #20thrika
▼すっかり葉の季節へとシフトしようとするヒガンバナをまだまだ追い続けていた。
まだ立っている花茎で子房部が脹らんでいるものはないか、それをさがしていた。通勤路のスポットで車をとめてしばらく見て回っていた。そしたら、今年もやっぱりそれをみつけた。
花茎は早めに草刈りで刈り倒されていた。その倒れた花茎の先に異様に子房部がふくらみはじめるものを見たのだ。花茎が立ったままでは栄養は鱗茎へ回収されてしまうのだろうが、ある段階で刈り取られてしまったら残った水分栄養分は子房部へ送り込まれ脹らんでくる、と仮説を立てている。今年もこれを水栽培をしてみることにした。
▼【理科の部屋】のはじまりを「現在地」からふり返ることをつづける。
「~授業を語り合おう~」とはじめられた【理科の部屋】は情報にこと欠かなかった。
なにしろ毎日、毎日、理科室で悪戦苦闘を続ける「授業」が情報源だったのだから。
●授業こそ教育実践の最前線である!!
それは言葉にしなくても暗黙の了解としてあったような気がする。
▼初期の【理科の部屋】を特徴として「三無主義の有効性」ということがあったように思う。
「三無主義の有効性」とは
・無知の「知」
・無能の「能」
・無名の「名」
である。これはとりわけ私の場合の話であるのだが。
無知の「知」。ネットを通して多くの人と知り合いになると、これまでにもまして自分の浅学無知を自覚するようになった。しかし、ネガティブな面だけではなかった。
「世の中はそんな世界があるのか!!」
「知らなかったことを知るのはこんなにも面白く楽しいものなのか!!」
毎朝、感動の連続であった。
無能の「能」。私はネットどころか、パソコンそのものが大の苦手であった。苦手意識も手伝いそのようなものを使い「教育」を語ることに批判的ですらあった。パソコンをさわりはじめて20数年たつが、まだこの苦手意識は払拭できないでいる。しかし、その無能の「能」が幸いした。スキルをもたなかった故にスキルをもつ人に教えてもらえることができた。これがきわめてありがたかった。
スキルをもつ人の指南を受けて、自分でもできるようになると滅茶苦茶うれしかった。
無能だったおかげで私は、ネットの世界にたくさんの「師」をもつことができた。
この20年間、ずっとその多くの「師」に世話になりっぱなしである。アリガタイ!!深謝!!
▼きわめつけが無名の「名」だ。
【理科の部屋】に集ってきたメンバーのなかには著名な方もおられたが、基本的には無名のひとの集まりであった。
私にはそのことが最も大きな特徴であり、最もすばらしいことに思えた。
無名の「名」とは、無数の「私」を意味する。
ひとりの「私」と同じ悩みや夢や喜びをもつ「私」が無数にいることを意味していた。
明日の授業に悩む「私」が…
小さな「ふしぎ!?」に感動する「私」が…
だから【理科の部屋】はフラットであった。
情報の発信者と受信者は日々刻々と入れ替わっていった。
(つづく)
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