本日(2013/07/11)、第39回オンライン「寅の日」!! #traday
▼昨日も朝から例の場所に出かけてみた。コガネグモが「狩り」をしていた場所である。
一昨日の「獲物」はすでになかった。
どうしたんだろう食べてしまったのだろうか。もう残飯として捨ててしまったのだろうか?
その下あたりを見回すがみつけることはできなかった。
正面より見ていると、口のあたりをモグモグしている。新たな「狩り」をしているように見える。
いろんな角度から観察してみるがなかなかはっきりしない。
一瞬見えたところによれば、それはトンボの頭のように見えた。
今度は、糸をグルグル巻きにしていない。
別の「狩り」の方法をとったのだろうか?
昼過ぎ、夕方にも観察にその場に行ってみた。
数日の観察ではわからないことだらけだ。
でも実に面白い!!
いつしか「大賀ハスばっかり病」は「コガネグモばっかり病」にシフトしてしまいそうだ。
▼これもやっぱり私の夏の「自由研究」テーマに加えよう。
本日(2013/07/11)は第39回オンライン「寅の日」である。
7月のオンライン「寅の日」は、得意の「こじつけ」で、アマチュアの「自由研究」と科学者の「研究」のことについて寅彦の書いたものを読んでみたいと思う。
その第一弾は「科学上の骨董趣味と温故知新」である。
◆第39回オンライン「寅の日」
●「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)
▼私は「不易流行」というコトバが好きである。
どこまで理解できているかは別にして、あらゆる世界で使える概念であると思っている。
「不易」と「流行」はけっして対峙的な概念ではない。基はひとつである。
寅彦にその意図はあったかどうかは別にして、私には今回の「科学上の骨董趣味と温故知新」は「科学」の世界における「不易流行」を唱えている文章に読めた。
それは次のような文脈があったからだ。
科学者の修得し研究する知識はその本質上別にそれが新しく発見されたか旧くから知られているかによって価値を定むべきものではない。科学上の真理は常に新鮮なるべきもので骨董趣味とは没交渉であるべきように見える。しかし実際は科学上にも一種の骨董趣味は常に存在し常に流行しているのである。
しかし自分の見る所では、科学上の骨董趣味はそれほど軽視すべきものではない。この世に全く新しき何物も存在せぬという古人の言葉は科学に対しても必ずしも無意義ではない。科学上の新知識、新事実、新学説といえども突然天外から落下するようなものではない。よくよく詮議すればどこかにその因(よ)って来るべき因縁系統がある。
新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼(よじん)から産れ出るのである。
▼そして、繰り返すのである。
新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。
と。
ここで私は再び、シロウトのアマチュア「自由研究」の話題にもどる。
ここで寅彦か唱えているのはプロの科学者の「研究」についてである。しかし、それだけだろうか?
私には、私たちシロウトの「自由研究」のテーマ選びにとてもヒントになるようなことが含まれているような気がするだが…。
しばし「自由研究」の「不易流行」とは?
を考えてみたい。
さあ、今朝もあの場所に行ってみよう!!
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