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サイエンスコミュニケーター宣言(193)

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▼昨日はほんと冷たい風がきつかった。台風でもこわれなかったようなところが壊れた。
大賀ハス定例観察日でもあった。蓮根の植え替えから36週目であった。その風にも耐えて枯れ葉と果托はまだぶら下がっていた。「観察池」から少し離れたところに、今年の5/16に発芽処理をした次世代の大賀ハスの鉢をおいていた、今年は3つとも葉が枯れるところまできた。来年の春の蓮根の植え替えが楽しみである。
「あこがれの4日間」まで持って行けば次々世代までつなげることになる。
▼「私の理科教育史」はしばらくはサークル誌『地下茎』を追うことにする。それがいちばん当時の「私の理科教育」を語るうえでふさわしいと思うのである。
準備号で予告したように第1号は次の月の15日に出ていた。
【『地下茎 第1号』1981.08.15】
内容は、その年の科教協富士山大会の報告がしめていた。
●1981年(昭和56)第28回大会 山梨・河口湖
~自然から学び、楽しくわかる授業を~

[例会報告]その大会の参加報告会になっていた。
「お楽しみ広場」「分科会」「ナイター(講座)」等の報告記事が占めていた。
▼そのなかで、私は二晩続けての参加したナイター(講座)の報告をしている。
◆『化学教育入門~化学教育の弁証法~』(講師:高橋金三郎)
自分で書いたはずなのに、今読みかえしてみても新鮮だ。
これはどういうこと!?
私はまったく30年間進歩がないのか。
いずれにしても化学教育ではここで聞いたことずっと引きずってきたことはまちがいない。
二晩続けて高橋金三郎の話を聞いた。
◆『「科学的な考え方のできる子供」について』(講師:高橋金三郎)
この方の話も、この後の私の理科教育に影響を及ぼしたものだった。
このときの講座の内容はまとめて後に
『科学の方法~科学的に行動する子どもをそだてるために』(高橋金三郎 編著 新生出版 1987.6.5)
出版された。
 その本のなかにある「科学の方法」についての次の文章は「常民の科学」を示唆してくれるものだった。

 科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。
 科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。
 科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。(前著P14より)

▼「ほん」のコーナーでは
◆「理科教室」8月臨時増刊号『楽しくわかる実験・観察』(新生出版)
を紹介している
最後の「事務局より」では、準備号にはやくも「応答アリ」を伝えて、元気をもらっている。
ヒューマンネットワークのなかでの「学び」ははじまっていた。

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