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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(13)

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▼第14大賀ハスの開花二日目であった。期待していた金星食がみられる日でもあった。しかし、残念ながら雷雨とそれをもたらす厚い雲の向こうであった。のちほどネットでその画像をみせてもらうことができたのはありがたかった。
 お盆の二日目でもあった、遊びに来た孫を相手にこの度手に入れた実験・教具で楽しんだ。
▼「日本理科教育史」1960年代の歩みから学ぶことを続ける。
行きつ戻りつの反芻作業である。
60年代の取り組みの成果として「極地方式研究会」は誕生した。
なにをめざした研究集団であったのか、それは「綱領」に書かれていた。
「綱領」などというといかめしいが、それは思念を具現化する「プログラム」(中村敏弘さん)のようなものだと言う。
▼発足当時の「綱領」を見てみる。

一 極地方式のめざすもの
  長い教育運動の結果として、わたしたちはつぎのことを確認した。
(1) 「すべての子どもに高いレベルの科学をやさしく教える」という目的を達成するのには、個人の授業努力だけでは限界がある。
(2) わたしたちの開発した授業方式をすべての教師のものにするには、どうしてもテキストが必要である。
(3) 教師の学習する内容・学習形態が同時に子どもの学習内容・学習形態である。
(『極地方式入門~現代の科学教育』高橋金三郎・細谷純編 国土社 1974.3.20 p38 より)

 「気仙沼大島綱領」(2012.8.11)では、この順番が入れ代わったり、文言に若干の付け足しがあるが、基本的にこの3つの思念は継続している。
 出だしの「長い教育運動の結果として…」の「長い教育運動」とは60年代もしくはそれまでの日本の理科教師たちの歩みを意味するのだろう。
▼40余年の時空を超えてこの思念は生き続けている。
だからこそ、ここから「これから」の理科教育の展望を引きだそうというのが私の遅々たる作業のねらいである。 

ゆっくり 急ごう!!

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