今なぜ「日本理科教育史」なのか?(10)

▼何度みても大賀ハスの「あこがれの4日間」は美しいものである。第11も第12もこれまでの観察から考えると昨日は開花3日目のようだ。これは確定ではない、なにしろ留守にしているあいだに開花初日をむかえてしまったものだからこの眼で確認していない。今日8/7(火)には結論がでる。
▼科教協鳥取大会参加のため中断をしていた
◆「1960-1970年の理科教育---特に高橋金三郎と理科教育研究運動について」の反芻作業を続ける。
ICレコーダーで記録させてもらったものを何度も聞き直してみる。何十年も連綿とつづいてきた営みをいっきょに理解しようなどというのはどだい私には無理な話である。
しかし、その何百分の一でも理解しようと試みたくるなるのである。それほど興味深く、示唆的なものであった。
途中報告のふたつを再びあげる。
(1)変わり続けることこそが唯一の創造の方法である。
(2)ヒューマンネットワークこそが人々を創造に向かわせる。
▼反芻作業をつづけているあいだに、お話をしてくださった中村敏弘さんが『実験の目・工夫の目』(高橋金三郎著 評論社 1974)の「高橋金三郎と科学教育研究」のなかに日本理科教育史に関することを書かれた文があるのを思いだした。それはこうだ。
ところで、日本の理科教育の歴史を研究して、高橋の考えたものはなんであったろうか。わたくしには、次のとらえかたが基本になっていると思われる。それは“理科教育は戦後急に変わったと思われているが実はそうではない。私の考えでは外見がどうであろうと、明治24年以来「理科ハ通常ノ天然物及現象ノ観察ヲ精密ニシ其相互及人生ニ対スル関係ノ大要ヲ理会セシメ兼ネテ天然物ヲ愛スルノ心ヲ養フヲ以テ要旨トス」が基本にあって今に続いている。”(『理科授業の改革』のまえがき 1962 明治図書)であり、“明治以来の理科教育史を調べてみると、結局、いつも同じ主張のくりかえしで、しかも、それが今日にいたるまで実現されない泥沼にあった。”(『理科実践論』)ことの認識である。
この泥沼のような状態が続いたのは、“山ほどの失敗の記録を、教師個人のものとしてでなく、お互いに真剣に検討しあう”ことが欠けていたからであると高橋は指摘する。高橋はその最初の著『理科実践論』について、そのはしがきに“できるだけ失敗の経験を集め、そこから出発しようとしました”と書き、実際に泥沼を埋める作業を開始したことを宣言した。埋め立て第1号である。“成功の記録ではなく、失敗の記録をこそ大切にしたい”とまで言っている。(前記『実験の目・工夫の目』P303より)
なんと納得のいく文だろう。
そしてなんと今日的で示唆的であることか。けっして昔の話などではないのである。
▼反芻作業の途中報告がひとつふえた。
(3) 成功の記録だけでなく、失敗の記録を大切にするところからはじめよう!
日本の理科教育史にとって1960年代とは、高橋の言うところの「泥沼を埋める作業」がはじまった時代だったのである。
それから半世紀がたった。そして今…
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