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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(4)

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▼夕立があったんだ。そのあとカエルくんは第10大賀ハスの花托の上で「雲見」をしていた。
雲の動きをじっとじっと見ていたのだった。
そうだ、賢治のカエルくんたちの「雲見」がこのことばのはじまりだった。

眺(なが)めても眺めても厭(あ)きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処(ところ)を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕(ぼく)たちの理想だね。」
(宮澤賢治『蛙のゴム靴』(青空文庫)より)

▼「雲見」にだって歴史があるように、日本の理科教育にも小さな歴史がいっぱいある。
私たちはけっして歴史研究家になるために「歴史」を学ぶわけでない。明日をよりよく生きるために「歴史」を知り学ぶのである。
 明日の理科授業のために、日本の理科教育史を知りたいのだ。
▼小さな実践が集積されツナガッテ、その先に明日の授業がある。
すごれた教材、定番実験・観察のルーツをたどること、それはそれが生み出されたコンテキストに学ぶことだ。
コンテキストとセットにした学びでなければ、ほんとうの意味で継承することはできない。
あらたな教材開発にも結びつかないのである。
▼ひとつの教材の開発・工夫にも、無名の無数の理科教師の志、思いや願いが詰まっている。
これまでは、それらの集積回路が限られていた。
今はちがう、多様でゆたかな集積回路がある。

これまでには考えられないようなツナガリが生まれるとき、あらたな授業実践が生まれてくるのかも知れない。
半世紀のあいだに日本の理科室でおこった「事実」を集積する作業にかかろう。
もうすでにあるものは繋いでみよう。

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