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今なぜ「日本理科教育史」なのか?(3)

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▼大賀ハスは、第10大賀ハスの「あこがれの4日間」が終わって以降大きな変化は見られない。次なる花芽もたつ気配はない。第6、第7の花托はみじめなものである。黒く縮んだかたまりになっている。花托が成長していっているのは、第8以降である。あの雨の中での受粉・受精は難しかったということだろうか。
第8大賀ハスにはあの「種子」が大きくなってきているようだ。こうして大賀ハスは60年の「歴史」を引き継いできた。
▼では、我らが「日本理科教育史」はここ半世紀のあいだ何を引き継いできたのだろうか。
日本の「理科」は127年の「歴史」をもつが、ここではやっぱり「これから」にダイレクトにツナガル半世紀を問題としてみよう。
 何が引き継がれているのか。
教材(実験・観察)、教科書、学習指導要領、等々あげてみるがいまひとつピンと来ない。
「教材」だけはさりありなんと思う。
それはまた教材試論のなかでくわしく追いかけたいと思う。
もうひとつ気になるものがある。それがこの50年間のあいだに書かれた「実践記録」である。
一口に「実践記録」と言ってもいろんなものがあるだろう。
雑誌『理科教室』に記載されたり、まとめて本になり出版されたすぐれた「実践記録」もあるだろうが、それはほんの一部にすぎない。膨大な量の実践記録が、書いた人以外の目に触れることなく消えていっている。
▼「実践記録」についてたいへん興味深いことを中村敏弘先生が言っている。

 もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。  実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。 ( 『教育実践検討サークル 創造する東北の教師たち』(中村 敏弘著 国土社 1975.11.5) P423より)

実践記録とは、私たちが教室の「事実」を共有するためのきわめて有効な手段であり方法なのである。
だとするとなおさら、この50年間の「実践記録」のことが気になる。
その一部はデジタル化されDB(データベース)化されているのかも知れない。
 私が知らないだけかもしれないが、もしまだ不十分な状態にあるのならそこからはじめることも重要なことかも知れない。
▼とは言っても現場にいるものが、過去の「実践記録」にぜひ目を通したいと思うのは、次なる授業を自分でつくろうとするときである。授業がうまくいかななくて、別の方法を検討したいときなどである。
 切実なニーズとしてあるのである。
そしてまた、このDB化に関して、森山和道氏が『ネットワークと教育』なかでたいへん興味深いことを言っている。
17年も前にである。

マルチメディア時代──とは、10年に一度しか閲覧されない資料を、どんどんどんどん蓄積していく時代なのかもしれない。

そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

この17年のあいだに状況はどう変化したのであろうか。
17年の「歴史」の渦中にいたことはまちがいない。
だから、少し自問自答をしてみる。


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