金環日食を10倍楽しもう!!(4)
▼正直に言うと、私は実はまだこの「ふしぎ!?」がよく納得できていなかった。
昨日の空も不安定だった。朝からの雷も聞いていたので、「スーパーセル」の話もまったくよそ事の話とはうけとられなかった。いつもの「雲見」も少し妙なリアリティを持っていた。青空が見えていたかと思ったら急激に変化し激しい雨が降ってきた。そしてまた青空が見えてきたのだ。
たかだか高さ10㎞ぐらいまでの範囲の大気の運動が正確には予測できないのに、なぜ何百年も前の日食がどこでいつ観測されたか細かく正確にわかるのだろう。過去だけではない、未来についてもそうだ。
あの「1/15億の宇宙」が頭にあるからなおさらである。
やっぱり「ふしぎ!?」だ!!
▼1919年(大正8年)5月29日(赤道ギニア沖のプリンシペ島で皆既日食)の日食ほど人類の記憶に永く残る日食はないだろう。例のアインシュタイン日食ともよばれるあれである。
この日食観測についてあの石原純が熱く語った文章がある。
今回の金環日食にちなんで理科ハウスの方から公開されているので読ませてもらった。
◆石原純『日食観測と相対性理論の価値』(1922年11月号「改造」より)
このことを語るのに最もふさわしい人が、きわめてタイムリーに熱く語っている。
このときの皆既日食は、単なる「天文ショー」というのだけではなかった。世界が注目するなか大物理実験観測が行われたのである。アインシュタインの仮説が立証されたのである。
▼私は、もうひとつの面から興味深い。石原純がこの文章を発表した『改造』11月号の次の号12月号は「アインシュタイン特集」なんである。
そう、1922年(大正11)とはその年の11月から年末にかけてアインシュタイン(当時43歳)の来日した年なのである。「アインシュタイン・ショック」の年なのである。今から90年前、大正の時代、時代の寵児・若き物理学者アインシュタインが日本にやってきていた。
当時の人々が「相対性理論」をどのように理解し受け止めていたかはちょっと置いておくとして、驚くのはそれを受け入れる「文化」があったということだ。
言い換えれば文化としての「科学」があったということだ。
「日蝕月蝕のこと」を書いた福沢諭吉の『訓蒙 究理図解』(1868年)のあとに起こった「究理熱ブーム」のこととも重なってみえてきた。
▼2012.5.21の金環日食。
2011.3.11後はじめての日本でみられる本格的金環日食、どんな観察「記録」をのこすことができるのだろう。
世紀の「天文ショー」という視点だけでとらえるのはちょっとモッタイナイ!と石原純の文章読み返しながら思いだした。
| 固定リンク
コメント