サイエンスコミュニケーター宣言(105)

▼年が変わったからといって大賀ハス観察の年度は替わっていなかった。蓮根の植え替えから38週目であった。
観察池には氷が張り枯れた花茎と葉がのこっているだけさして変化があるわけではない。地下の蓮根たちはどんな活動をしているのだろう。想像してみると楽しくなってくる。
▼戦後の理科教育史を追っていて、当時の理科教師の思い・願い・動きの具体的事実が知りたくなってきた。著名な実践記録や組織・団体の「歴史」の記録(もちろんそれらの価値は充分に認めるが)でなくて、当時の理科教師たちの日常の生の喜怒哀楽や息づかいまでもが蘇ってくるような「歴史」それが知りたかった。
私の理科教師人生にとっては、重要な意味をもつ一冊の本がある。その本と付録の「年表」にそんな「歴史」が残っていた。
■教育実践検討サークル~創造する東北の教師たち~ (中村 敏弘著 国土社 1975.11.5)
◆「あるサークルとゼミの歴史」年表
▼この年表は1951年~1960年までの「教科研・刈田のつどいと科学の古典ゼミ」の10年間の歴史を記録したものである。かなり細かく日常の取り組みが記録されている。行間から教師の喜びや願いが伝わってくる。
もちろん全国の教育・理科教育の様子もあわせて記されているので社会や学校のようすもよくわかる。
これまでも、何度も見てきたが、今一度「日本理科教育史」を追うという視点で見直したとき、とても重要な「年表」に思えてきた。これまで参考にしてきた年表に加えてこの「年表」を重要資料とする。
▼この「記録」から私は、大きくふたつのことを学んできた。
(1) 教師が実践「記録」を書くことの重要性について
『もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。
実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。』
(上記著 P423より)
もうひとつある。
(2) 「最もよく学ぶものが最もよく教える」ということ
上記年表に記されたゼミは1956年1月から1960年5月まで、約5年間続き、それは通算86回もたれという。
似たようなことを試みた人なら、これがどれほどのことを意味するかすぐわかるだろう。
ファラデー『ロウソクの科学』、ガリレオ・ガリレイ『新科学対話』、ダーウィン『種の起源』、パスカル『科学論文集
』と続いている。広範囲にわたり学ぼうとしているのである。この「学び」があるこそ魅力的な授業の創造にむかえたのだろう。この後の著者たちの実践がそのことを証明している。
▼ここまでで終われば、尊敬すべき先達たちで話は終わってしまう。
が、これで終わらないのだ。!!
この「歴史」は地つづきで「今日」までつづいているのである。
「半世紀の時空を超えて」は実現しているのである。
folomy【理科の部屋】へ行けば、今朝も中村敏弘さんからの情報が届いているのである。
きれいな画像をもともなって…。
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コメント
先日三井澄雄さんの通夜の後後藤富治さんらと中村敏弘さんと遅くまで飲み語らいました。その分厚い本どこに行ったかなあ。
投稿: 左巻健男 | 2012/01/08 12:35
左巻健男さん
こんにちは コメントありがとうございます。
三井澄雄さんとても残念でしたね。私も「イオン」の導入ではいろいろ教えてもらった記憶があります。
また、その中村敏弘さんともご一緒だったとお聞きしました。また、【理科の部屋】の方ものぞいてみてください。
今日も、あの「教育実践検討サークル」をまた読みかえしていましたが、ほんと面白いです。あの時代のエネルギーが伝わってくるようです。
今、「日本理科教育史」を追うという作業をやっています。やっと「戦後」教育に入ってきました。またいろいろ教えてください。
投稿: 楠田 純一 | 2012/01/08 17:34