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サイエンスコミュニケーター宣言(87)

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▼「デジカメ自然観察」わやっていると、次々と面白い生きものたちと出会うので、すっかりヒガンバナの「ふしぎ!?」を追うのを忘れてしまうところであった。新しい定点観測地のヒガンバナの葉は驚くばかりに成長している。赤い花のふつうのヒガンバナとシロバナヒガンバナを並べて植えているが、普通のヒガンバナの葉の方に先日から白いマシマロのようなかたまりをみつけている。ひよっとして例のカマキリの卵だろうか。
しかし、こんなところに見るのははじめてだし、なんとなく感じが違うような気がする。
定点観測地だから、葉が伸び始めてからずっと見続けているがこの近くでカマキリは見かけなかったし…。
▼『日本理科教育史』を追うを続ける。
『物理階梯』、『小学校化学書』の実物を何度かページめくりながら図を中心に見せてもらっていた。
『物理階梯』について、板倉聖宣氏は次のように言っている。

『物理階梯』は、よかれあしかれ日本の洋学者がその主体性をふまえて訳編した小学校用科学教科書であった。そして、そこには当時の日本人に理解しやすいようにしようとする積極的な努力があった。しかし、文部省からこのような科学教科書が出版されたのはこれで終わりであった。(『増補 日本理科教育史』板倉 聖宣著 P109より)

 つまり、この著は洋書を下敷きにしながらも、「訳編」であり、そっくりそのままを訳しただけではないのである。
その意味で価値あるものなのであろう。そこには『究理図解』の精神が生きていたのであろうと思われる。
▼一方の『小学校化学書』の方は、当時のイギリスの一流の科学者たちが書いた「最初の初等科学入門書」の翻訳本なのである。それにすごく意味がある。
この書ついても板倉氏は次のように書いている。
 『小学化学書』では、事実/実験を示し、そこから法則を導き出そうという方法をとっているからである。(同書P113より)

そして、その話のすすめ方も、一般の常識とする「火/風/水/土の四元素」からはじまって、ファラデーの『ロウソクの科学』の手法を取り入れて、ローソクの燃焼という身近な実験事実から説きおこすなど、まったく新しい形式をとっている(『小学化学書』の原著者ロスコーは、ファラデーの弟子にあたる人である)。(同書 P113より)

▼ならばと私は、『ロウソクの科学』(ファラデー著 矢島祐利訳 岩波文庫)を本棚からひっぱり出してきて、実物『小学化学書』と実験図を中心に重ねあわせ見比べてみた。
驚くばかりの酷似!!その経緯をしればアタリマエのことだ。
私にはもっと驚いたことがふたつあった。
まずそのひとつは年代である。『ローソクの科学』はファラデーが70歳の時、1860年の暮れに行われたクリスマス講義なのである。ならべてみる。
●1860年 ファラデー『ローソクの科学』
●1874年(明治7) 文部省 市川盛三郎訳 『小学化学書』(一.二.三)
年代を間違っているのではないかと何度か確かめてみた。しかし、こうなのである。
なんということだ。わずか14年のタイムラグで、「ファラデーの科学」は日本にやって来ていたのである。
▼もうひとつの驚くべきことは、今も使われている中学校の教科書の「実験図」もここにあるということだ。「実験図」だけでない授業展開、話しのもっていきかたもきわめて似たものがここにあるという事実だ。
これは、歴史の事実である。
 それをどう考えるかは、このあとの「日本理科教育史」を追う作業なかであきらにしていきたい。
この作業、まだはじめたばかりなのである。

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