サイエンスコミュニケーター宣言(74) #sciagora11
▼毎日、毎週同じことを繰り返す。それだから「定例」である。「定例」に意味が出てくるのは、その記録が蓄積され変化が見えてくるときである。なんの変哲もない「大賀ハスの定例観測」さして先週と変化があるわけではない。しかし、「定例」はつづけておこうと思った。ほんとうはいつもより一日はやい。留守にするので、一日はやく植え替えから31週目の大賀ハスを記録した。
▼いよいよサイエンスアゴラ2011であった。
新幹線に乗り込んだ。新幹線内のネット接続状況もどんどんよくなっていく。少しだけ「応答」をして、読みかけにしておいた本を読んだ。
◆『もうダマされないための「科学」講義』(菊池誠 他著 光文社新書2011.9.20)
のなかの
第四章「3.11以降の科学技術コミニケーションの課題」(平川秀幸)
集中的に読んでみた。すごく納得できる展開であった。
こんなのはやっぱり偶然というのだろうか。いやある程度私なりの意図があったのだろう。
驚くほどに、平川さんの文脈がそのまま
◆サイエンスアゴラ2011開幕シンポジウム
私たちにとって科学技術とは何か—震災からの再生をめざして
につながっていったのである。
▼会場についた。席に着いてTwitterでつぶやいてみた。
ちょっとこんなに「あこがれ」ていたのだ。ここでもまたまた驚くことがあった。そのつぶやきに応答があったのだ。
その方は、私の座っているすぐ近くの席にすわっておられた。後でご挨拶に行った。
サイエンスアゴラ2011の企画委員の方だった。ネットワークは拡がっていく、面白い!!
会場のようすはUSTで配信されていた。
先ほど確認したら見ることができた。なんとありがたい時代だ。
でもこの「空気」はUSTでは配信されない。いっぱい吸い込んでおいた。
▼基調提案、パネル討論とつづく。
それぞれの人の「私の科学」が披露されていく。同時にその科学の今,置かれている位置を語られた。
真摯な問いかけをされていた。
納得もし、学ぶところもおおかった。
しかし、どうも私にはしっくりとこないものがあった。
途中で気がついた。これは私がまずかったのだ、私は「私の科学」を講演者やパネリストに求めようとしていたのだ。それが証拠に、発言の中に何回「理科」「理科教育」というコトバを数えようとしていた。
今必要なのは他人の中に「私の科学」を求めたりすることでなく、それぞれの人にある「私の科学」と出会い・学び合い・高め合うことである。
それには「特別のシロウト」(小林傳司さん)の自覚からはじめるべきなんだろう。
それが「共感と共有の科学」に至る唯一の道なんだろうと思う。
そして、それは今こそなんだろうと思う。
今日は、どんな「私の科学」に出会えるかな、楽しみである。
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