サイエンスコミュニケーター宣言(58)
▼宵宮の昨日は、大賀ハスにとっては植え替えから25週目であった。葉は枯れ、観察池の水に浸かり朽ちていく、あの夏の太陽をいっぱい吸収し栄養を生産した日の姿は今はない。まるで対照的にヒガンバナ
は、花茎の足元から葉が伸び今からの生産の日々に向かう。ヒガンバナの花茎はまだ佇立している。先には放射状に花の跡を残す。ここが膨らむということはないのだろうか。それは、次の「ふしぎ!?」物語のはなしだ。
▼サイエンスコミュニケーターとして仕事のこと続けて考えている。
私は、この4月から、自分を「サイエンスコミュニケーター」と名のるようになった。
今さらながら思う、なぜだろう?
私にはもっとも遠くて受けられ入れ難い「カタカナ」表示の名前。
なんでこんなこと言い出したんだろう。もちろん最初は「必然」があった。
時間が経過するとその「必然」も薄らいでいくのだろうか。
いやそうでもなさそうだ。
いろんな雑多なものが取り除かれて徐々に原初のものが浮かび上がってくる。
二つの「これから」がある。だからサイエンスコミュニケーターなのだ!!
・3.11とこれから
・理科の授業のこれから
▼結論から頭を整理してみる。
・サイエンスコミュニケーションの最前線は学校の理科の授業である。
・すべての理科教師は、サイエンスコミュニケーターである。
なんとも手前勝手な結論である。私の思い込みであり、思い入れでもある。
「宣言」から半年あまりたっての私の認識である。
この認識を「かたちあるもの」にするのが私の「これから」の仕事である。
▼私は、サイエンスコミュニケーターの元祖はマイケル・ファラデーであると思っている。
そんなに科学史をくわしく知らないので、ファラデーのこと、他の科学者たちのことをよくわかっていてのことではない。私の知る範囲でのことであるが、そう思っている。
なぜそう思うかというと、彼が晩年まで「金曜講演」「クリマス講話」にこだわり続けたからである。
一八二四に初めて王立研究所で講義してから一八六七年に死去するまで、金曜講演七四回、他の講義を二六コース、クリスマス講話を十九シリーズ(各シリーズは六回の講話からなる)をおこなった。(『ファラデー』島尾永康著P169より)数々の「大発見」をし、偉大な業績を遺したファラデーが、一般市民にあるいは未来をになう子たちに生涯にわたって自らの科学を語っていったのはすばらしいことだ。これでこそ偉人「ファラデー」!! という文脈で語られることが多いが、私はそれは逆であると思う。 彼は、「金曜講演」「クリマス講話」にこだわり、それを続けたからこそ、数々の「大発見」をし、偉大なる業績を残したのだと思う。「私の科学」を人に伝えるときの喜び、楽しさ、面白さ。感動を共感・共有することのすばらしさを知ってしまったからこそ「病みつき」になってしまったのではないだろうか。だからこそ科学者「ファラデー」がうまれた。 理科教師なら一度は経験したことがあるだろう。「あれ」だ!!
ここにサイエンスコミュニケーターの原点がある。
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