ヒガンバナ誰がそこに運んだのか!? #higanbana
▼昨日の朝、まだ雨は激しくふり、またしても大雨洪水警報まででていた。
そんななか、蓮根の植え替えから22週目の大賀ハスが立っていた。いちど、今なお行方不明の2個の種子を探索するために、水をきってしまったことが影響しているのか、果托、大きな葉も枯れ始めている。いずれも大きな仕事を終えてのことだろが、なんともその姿は愛おしい。
そこから見える川は、濁流であった。
▼あの石垣のヒガンバナが気になっていた。雨が止み、濁流のひいた夕方、石垣のところへ行ってみた。なんと小花3つまでが咲いている。側のもうひとつの花の花茎ものびてきている。流されずそこにいたのだ。
それだけでない。その石垣の別の場所からも花茎がのびてきているのである。この流れと垂直な石垣のすき間には流されてきたヒガンバナが住み着いているのかも知れない。
ついでに、例年の定点観測地Bの場所にも行ってみた。草むらのなかではあるが、いくつもヒガンバナが咲き始めていた。赤く燃える松明の行列が今年もまちがいなくやってきそうだ。
▼今咲き始めたヒガンバナを観察しながら考えた。
そこにヒガンバナを運んだのは誰か!?を
繰り返すが、日本のヒガンバナは種子では殖えない。球根の分球で殖えるといってもその範囲は限られている。
球根にはアルカロイドの毒を有する。動物が食して糞にして出すということも考えにくい。
だとしたら、人里の秋を象徴するようなヒガンバナ。そこへ誰が運んだのか。
昨日の濁流を見ていたら、ひとつはわかる水だ。洪水のたびに遠くへ運ばれることがあったのだろう。
群生している場所をみるとそれはよくわかる。かつての河原や川沿いの土手に多く見られるのである。
そこで、次なる「ふしぎ!?」が生まれる。
川は遡行はしない。川上から川下に運ぶのはわかるが、最初に川上に運んだの誰だ?
それは人以外に考えられないだろう。では、何のために?
「ふしぎ!?」まだまだつづく。
▼そんな「ふしぎ!?」を多くの人で追うひとつの手立てになるだろう『全国彼岸花マップ』の紹介を昨日した。
今朝起きてみると、そのマップに「追記」が二件もでてきたようだ。
これはますます面白くなってきた。
来週末には、ヒガンバナスポット巡りオフの計画もたてつつある。
楽しみである。
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コメント
ヒガンバナの球根は毒がありますが、砕いてよく水に晒せば良質のデンプンが取れるため、昔は救荒作物として田のあぜ等に植えられていたそうです。
その毒や臭いを利用してネズミやモグラの害から田のあぜ道を守るという目的もあったようです。
今ではもう食用とする習慣は消え去っていますが、その頃の名残で今も田のあぜ等に花が咲いているみたいですね。
投稿: SELENA | 2011/09/19 00:14
SELENAさん
コメントありがとうございます。
救荒食としての「歴史」はもうどこにも残っていないでしょうかね。
地域に残る「伝承」としてでもあれば、ぜひ知りたいと思っています。
もしもそんな情報がありましたら、教えてくださるとうれしいです。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 楠田 純一 | 2011/09/19 12:55