サイエンスコミュニケーター宣言(41)
▼梅雨が明けた!!いよいよ夏本番である。
梅雨明けの炎天下もと、我が大賀ハスも本番に向けて着々と準備していた。エネルギー生産工場の葉の成長も盛んである。とても、たくましいパラボラを太陽に向けている。
花蕾はますますふくらみをもってきている。
▼実は、大賀ハスに集中することで、少し小康状態を保っていた私の「ばっかり病」=「コケ病」であるが、昨日ちょっとした変化があった。我が家の庭のギンゴケの観察と一緒におこなっていた「クマムシさがし」で、ついに発見したのである。クマムシは、これまでも見せてもらってはいたが、自分の家の庭でみつけたのはきのうがはじめただった。
これで言える「クマムシはどこにいる。我が家の庭にも…」と自信をもって。
ますます、「コケ病」は悪化(!?)しそうである。
▼そうだ「私の科学」あぶり出し作業をつづけよう。
「常民の科学」=「私の科学」ではない。ことはそう簡単ではない。
「常民の科学」だけでは授業は成立しない。「私の科学」の中心になる一部であるが、すべてではない。
私には授業があった。
授業こそが、教育実践の最前線である。
という気負いがあった。だから、「授業」「教材」に関する情報交換がしたかった。
授業を成立させるための「私の科学」が欲しかった。
そして、それまで見向きもしなかったパソコンをいじりはじめネットの世界に入っていった。
◆1993.11.23 【理科の部屋】=日本の理科教育情報発信基地 スタート
私は、ここで多く人の「私の科学」に出会うことになる。
このあたりの経緯は次に残っている。
◆【理科の部屋】とは
◆【理科の部屋】の紹介
◆【理科の部屋2】の紹介
◆1997.8.1 【理科の部屋】編集本『私の【理科の部屋】活用法』出版
そして、私は今確信を持って思う。
「科学」は「サイエンスコミュニケーション」のなかから生まれる。
と。
▼残念ながら、例の『日本理科教育史』年表には、このあたりの記録はない。
なければ、自分で書き込むしかない。
まだ作業はつづく。
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