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サイエンスコミュニケーター宣言(16)

Dscf9060▼昨日は雨だった。ちょっと降りになって陽がさしたかと思ったら、また降り出した。そのすき間に気になっていた例の大賀ハス観察池を見た。
 驚いた!一昨日まで「みどりの泥沼」していた池の水面が透明になっているのだ。たった一晩に何が起こったのだろう。手の施しようのない状態になっていたのに。
「ふしぎ!?」だ。
▼どうしたと言うのだろう。雨がふったからだろうか。池のにおいをかいでみると、なんかドブのにおいがした。
なにかが腐っているのだろう。ボウフラたちが、元気に上下運動を繰り返す。
大賀ハスの巻葉に元気みどりが、回復しつつある。やった!!
Dscf9066▼掘り出してしまった身欠きニシンのことが気になっていた。「きつすぎる」ということで撤去したが、葉が伸びてくれば、ミネラルも必要になるのでは、顔色を見ながら与えてみることにした。
池の周辺に新しい身欠きニシンをさし込んでみた。
 それにしても「ふしぎ!?」なもんだ。アタリマエだけどやっぱり「ふしぎ!?」
大賀ハスは生きている!!
▼この「ふしぎ!?」を追いかけることを寺田寅彦も応援してくれていた。
◆寺田寅彦「雑感」青空文庫より

 科学の知識はそれを求める熱さえあれば必ずしも講義は聞かなくても書物からも得られる。頭が良くなくても根気さえあれば人が一日に一時間ずつ費やして会得(えとく)しまた仕遂げる事を、二時間三時間ずつかければ会得し遂行されよう。
 科学教育の根本は知識を授けるよりもむしろそういう科学魂の鼓吹にあると思われる。しかしこれを鼓吹するには何よりも教育者自身が科学者である事が必要である。先生自身が自然探究に対する熱愛をもっていれば、それは自然に生徒に伝染しないはずはない。実例の力はあらゆる言詞より強いからである。
 すべての小学校、中学校の先生が皆立派な科学者でなければならないという事を望むのは無理である。実行不可能である。しかしそんな必要は少しもない。ただ先生自身が本当に自然研究に対する熱があって、そうして誤魔化さない正直な態度で、生徒と共に根気よく自然と取込み合うという気があれば十分である。先生の知識は必ずしもそれほど広い必要はない。いわゆる頭の良い必要はない。

そうだ!!
サイエンスコミュニケーターにとっても、もっとも必要なものも
この科学魂
なんだ。
▼まだまだ脆弱な私の「科学魂」を磨こう!!鍛えよう!!
大賀ハスに聴きながら
先達に学びながら
あの「あこがれの4日間」はやってくるだろうか。

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