【授業】我が家の庭にも「標本箱」が!!
▼連休の真ん中の日、昨日は定点観察の定例の日だ。まずは大賀ハスだ、朝より客があってやっと観察できたのは昼をすぎていた。植え替えから46週目である。先週、観察池の水はいったん干上がってしまっていたので水を補給したらいいのだろうか、と迷っていた。しかし、再びの雪と雨でその必要はなくなったようだ。
次期の植え替えの日が近づいてきた。
▼ヒガンバナも少しだけあたたかさをもった雨にうたれていた。元気だ、こちらも枯れて休眠に入るまでの日が限られてきたようだ。今こそ、蓄えのときとばかりに元気なんだろう。
ずっとずっと毎日、毎週同じように観察する。
なにかが見えてくる。なにかが聞こえてくる。
大賀ハスやヒガンバナが喋ったりはしない。あくまで聞こえてくるのは、自分の声。
観察は科学の方法のなかでも最も原初的なもの。
そして至高のもの。
▼「大賀ハス」と「ヒガンバナ」の位置は距離にして10mとないだろう。いずれも玄関先である、それはふたつの位置の間にあった。
毎日、毎日見ているはず。見ないで生活なんかできない。
大賀ハスとヒガンバナの写真を交互に撮っているときに気づいたのだ。
足元に踏みつけているのが岩石の標本箱だ!!
と。
▼庭先にというより、ふだんの言い方で言うなら『かど』先だ。そこにいつの頃から記憶はさだかではないが、バラスをまいていた。バラスは小石のあつまりである。よく見ると、あの授業中にみた岩石標本箱にあったおなじようなものがいっぱいみつかるのだ。
なんで、いままでこんなことに気づかなかったなのだろう。
そのことが「ふしぎ!?」でならない。
▼「観察」にはじまるとたいそうに言っても、この程度なんだ。私の「観察力」なんて…
熊楠は50歳の時、自宅の柿の木に粘菌の新種「ミナカテラ」を発見した。
あの世界を飛び回った人がである。博覧強記でずば抜けた「観察力」を熊楠が新種を発見したのは、自宅の柿の木であった。というのはきわめて示唆的ではないか。
私のめざす科学も「観察力」もそこにあるのかも知れない。
私は、庭先の標本箱から、何個かお気に入りの「地球のかけら」を拾い上げて玄関に飾ってみた。
でも繰り返す。なぜ気づかなかったのだろう。「ふしぎ!?」
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