私は毎日「山崎断層」を走っていた!!
▼土曜日は、定点観測日だ。まずは、大賀ハスだ、植え替えから48週目だ。あと一ヶ月たてば植え替えをするつもりだ。どんな蓮根が育っているだろう。今年の植え替えでは、蓮根の「おすそ分け」をするつもりだ。希望の方がおられたらの話だが…。観察池の水面がかわってきた。水もぬるみ、アオミドロの緑がめだつようになってきた。
▼定点観測地Aのヒガンバナにも確実に春がやってきた。周りのホシノヒトミが出番交代を告げているようだ、葉の先が黄色くなってきている。
この定点観測地Aのヒガンバナの一年の様子を機会があってまとめてみた。
これもまた後日、紹介をしたいと思う。
▼休日もやっぱり気になるのは授業のことだ。
「地震」
「山崎断層」
「防災・減災のために」
「これからの動く大地の物語」
「近畿トライアングル」
…
徐々に具体的にしながら、資料を見返していた。
▼私自身がとても参考になった『安富町史』をもう一度読み直してみた。
第二章「山崎断層」として、ひとつの章をさかれていた。なぜそうされたわけが書いてある。
学術的な意義付けも、きっちりと述べてある。
読み始めて、あらためて驚いたことがある。
それは、山崎断層系のなかでも、もっとも活動的な「安富断層」!
それを地図上で追っていく。
それは、私の通勤路そのものなのである。
もちろん知っていた。しかし、あらためて確認すると驚きなんである。
このピッタリと重なるのには…
▼しかし、よくよく考えてみると、これはアタリマエのことでもあるのかも知れない。
ここは、中国山脈の東端である。山に降った雨は、川になって瀬戸内海、日本海に流れる。
その川に沿っての段丘、平地が形成される、そこに人々は暮らす。大げさにいえば文化まで…
福崎町ー夢前町ー安富町のラインは本来は山越えのはず。
ところが、たいした山越えせずにのびるライン、それが山崎断層・安富断層なんだ。
第四紀だけではない、ずっとずっと以前から動き続けてきたんだ。
これを道として利用しないはずはない。
「動く大地の物語」と私の「くらし」はここでツナガル!!
今日も私は、20分をかけて「山崎断層」を走ってみよう。
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