【授業】「チューリップの種子」を追って
▼昨日(6/5)で、大賀ハスの植え替えから10週目であった。「大賀ハス観察池」の方は、徐々に浮葉の方が水面を覆っていく。どうしたことかトップバッターは、水面をきっただけでその後成長していない。立ち葉になるか、浮葉になるか、はじめから指令がでているのだろうか。それとも状況に応じて変えていっているのだろうか。昼間になると、水面に小さな泡がたくさん観察できるようになった。これは、地下での生命活動を意味するものだろう。
▼先の疑問に対する解答を、図らずも「あまりもの」の方がもっているようだ。「あまりもの」の方には、先週一週間のうちに一度水を補給してやった。完全に水耕栽培となってしまった。もちろん太陽に向かって葉を広げた立ち葉ばかりである。そのジャングル状態は、容器の姿すら完全に覆い隠してしまった。葉茎は太くたくましくなっている自分で製造した栄養を使っているのだろう。まだ、どちらにも追い肥をあたえていない。このさまを見ていると、ファンヘルモントの誤解もうなずけるというものである。
▼大賀ハスの観察ということでは、もうひとつの観察があった。第二世代の成長である。先発の方の根はどんどのびる。水たっぷりの水中では自由自在なのであろう。でも、重力の方向はしっかり認識しているようである。
後発の方は、種子と根っこの位置関係が逆転するだろうと思っていた。しかし、今のところその変化はおこっていない、それほどフレキシブルな対応ができるのだろうか。それよりも延ばした先の葉が、蛍光灯に反応したのかひらきはじめた。この異常な環境のもとで、自らを「浮き葉」「立ち葉」のいずれに認識しているのだろう。
もう少しのあいだ、この異常な環境のもとで観察させてもらいたい。
▼継続観察ということでは、またちがったものも観察していた。それが授業でも出た「チューリップの種子」である。
出るのではないかと思っていたら、やっぱりいの一番に出た「花は咲くけれども種子をつくらないもの」。
そのときは、結論は出さなかった。事実を見せたかった。「お話」では終わらせたくなかった。目の前で起こる事実として観察させたかった。
授業前から、今年は少し意識してチューリップを観察していた。結実するチューリップはないかと、ふたつみつけた。ひとつは、校庭の花壇に、もうひとつは我が家の植木鉢に。
花の時期は過ぎたけれど、ずっとずっと太っていく子房を観察しつづけてきた。
校庭の方については、来週には、観察の指示をだそうかと思っている。
みどりを失ってきたころには、ここから種子を取り出して、
「種子から、チューリップを育てる!」に挑戦したいと思っている。
何年かけても、「あのときの種子が、こうなったのだ!!」と言いたいのだ。
そのとき、「花から種子へ」のほんとうの納得が、つくれるのかも知れない。
▼同じことを、この植物でもやりたかった。その偶然を待っていた。ジャガイモである、遅くからであるが種イモを畑に植えていた。花が咲く時期になっていた。朝には、多くの花が咲いていた。ところが「花をつまないように」と言うことを頼むのを忘れていた。夕方には、きれいに摘まれていた。
ジャガイモの花が咲いたら、そちら栄養がいかないように摘むのは菜園の常識中の常識なのだろう。
ひとつだけ、摘みのこしがあった。奇跡はおきないだろうが、写真におさめた。
あのトマトのような実が見たい!!
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