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「電池」の科学・技術史に学ぶ

Dscf3355▼立冬から小雪に向かっているわりには比較的あたたかい雨がふっていた。そして、そのあと強い風が吹き出していた。そして、それは今も続いている。その雨の中の紅葉は、透明感をましているように感じた。本格的な紅葉はこれからなんだろうか。同じ紅葉でも、色具合がさらに変化してきたように見える。それは紅葉のなかの「化学変化」がさらに加速化しているということなんだろうか。
▼すこし、「電池」の歴史にこだわり続けてみよう。
電池工業会の「電池の年表」「電池の歴史」を見ていると、とても面白い。
1791年のあのガルバーニの電池の原理の発見(これ昔、カエルの解剖観察やっているときに必ずやっていた覚えがある。)から、約200年の科学・技術史はとっても興味深い、さらに面白いのは、これが現代進行形の物語であることだ。
▼たった200年あまりの歴史であるが、「科学」と「技術」の関係や、なんのための「科学」なのか。
なんのための「技術」なのか。はては「何を教えるべきか」のヒントまで出てきそうな気がした。
このとき、なぜか故高橋金三郎先生のことばを思いだした。

 科学者の方法は,前にも書いたように,多くの時間,労力,費用,技能を必要とするものだ。同時にそれは人間の歴史の長い積みかさねの産物だ。科学は技術から生まれた「なんとかしてもっとよく,もっとたくさん,もっとらくに」の願望の歴史の中から技術が生まれ,科学へ発展したのだ。科学者の直接の祖先は,農民であり職人なのだ。技術の方法と科学の方法に本質的な区別はない。農民や職人の生産の方法には,科学の方法が含まれている。そうでなかったら,一般市民のための理科教育に,科学の方法なんて無用になるだろう。子どもがすべて科学者になるわけではないのだ。
(『科学の方法』高橋金三郎編著新生出版p・14より)

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