新・「自由研究」のすすめ試論(11)
▼夏休みの初日。異様なまで立ち上がってきた16週を経過した大賀ハスを見た。あれから16週も過ぎたので、小さな蓮根から、この大きな葉をつけて立ち上がってきても、さして不思議でないのかも知れない。
でも私には、やっぱり「ふしぎ!?」だ。元をたどれば、昨年の5月17日には、たったひとつの小さな種子ではなかったか。もっと、もっと元をたどっていけば、58年前の3月末までは、あの検見川の泥のなかに眠っていたのでないか。葉は、パラボラアンテナのように凹面をつくっている、受けるのは太陽から恵を逃さ受け取る最高の形なんだろうか。葉の中央の白い部分はなんだろう。空気孔のフタは、マンホールのフタのようなものなんだろうか。
地下の蓮根とどうつながっているんだろう。アタリマエにしてしまわなければいくらでも「ふしぎ!?」が立ち上がってくる。
▼ 夕方からは、昨年から見に行かせてもらっている「関の火祭り」に行った。火の安全、五穀豊穣、無病息災を祈る伝統的だ。松明の火を見ていると、時代がタイムスリップしそうだ。
元々は「虫送りの火」だったのだろうか。「火」「水」「農耕」…、人々の営々とつづく営みのなかにも不思議はいっぱいあっただろう。アタリマエで片付けなければ、ここにもやはり、いっぱいの「ふしぎ!?」は眠っているだろう。
どこにもあってこそ、「等身大の科学」なんだ。
▼「自由研究」のすすめ試論を続ける。
繰り返しになるが、少し頭のなかにあること並べてみよう。
(1) これからの「自由研究」のテーマ選びは等身大で。
「等身大の科学」にこそ、研究に値するものがある。きっとある。
(2) アタリマエが、ほんとうの「ふしぎ!?」を置き去りにする。
カンガエテミルトで等身大の「ふしぎ!?」を「科学」として復権させよう。
(3) 21世紀の「自由研究」とは、21世紀の「学び」そのものを予見するものである。
(4) 小さな「私」の「ふしぎ!?」つなげば必ず世界大・宇宙大の「ふしぎ!?」になる。
それを科学史が教えてくれている。
時間が来た。また続けよう。
| 固定リンク
コメント
はじめまして、
八雲と言います。
通りすがりで、
すいません゚。(p>∧
「宇宙」ですか。いいですね。
「ふしぎ!?」いっぱいで…。
投稿: 楠田純一 | 2009/07/20 21:23