コウガイビルが消えた!?
▼無手勝流「科学する」を本望とする私には、「観察」というのは、とても重要な科学の方法である。簡単に言えば「観ている」だけである。「見る」を「観る」にできるだけ近づけようと努力しているだけ。
その私の科学の方法を駆使して「観察」をつつづけているものがある。それが、コウガイビル2匹である。
その観察の軌跡は「コウガイビルを追う」にまとめて行っている。
▼両方とも、ナイロン袋に入れて、餌は与えていない。ときどき水を入れ替えているだけ。よく見えるところにおいて気づいたら、「観察」する。デジカメに姿を撮る。これだけのことだ。
最初に出会ったコウガイビル(一号)は、ついに半年を経過してしまった。まだ、健在である。生きている。
間違いないだろう。(昨日一日見ていないので)
▼問題は、後から出会ったクロイロコウガイビル(二号)だ。今年の3/23の朝、こいつと出会ったのである。
したがって飼い(?)だしてまだ、2ヶ月もたっていない。当然、一号よりも、二号の方が、あとまでつき合うことになると考えていた。生きているあいだに、「ふしぎ!?」をどこまで解けるか。それが勝負だと思っていた。
ところが、なんとこのコウガイビル二号が、ナイロン袋のなかから消えたのである。
気づいたのは一昨日のこと。私は動揺した。(゚o゚)ゲッ!! 確かにこの袋のなかにいたはず、袋の口をくくっている。そこから脱出するわけがない。あるのは、いくつかの黒い破片(体の一部、フン? これは前からあった。一号でもある、これがなにであるのかも解きたい謎だ。)と濁った水だけ。なんど見てもそうだ、それだけだ。
▼そのとき例のあの若きC・ダーウィンの「記録」を思いだしていた。
生活現象が終われば、一般に見る天然の変化の法則がここにも働いて、体は全体に柔らかくなり、液化する。そのはやさは、他に比べるものもないほどである。(「ピーグル号航海記 上」P54より)
もしこれだとしたら、私はこの瞬間の「観察」を逃してしまったことになる。残念である。
何度も濁った水を見ているとなにか「白いモヤモヤ」としたものが見える。これは生命の残骸か。「生命とはなんなの?」
福岡伸一ハカセ!「動的平衡」ってこれなの?
「ふしぎ!?」は深まるばかりだ。
まだ、半年生きのびているコウガイビル一号がいる。
今日の午後は、「観察」にでかけよう。
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コメント
身近なところにも研究対象はいろいろあるものですね。
理科にかかわらず、日常の中でちょっとした発見を感じ取れるようになると、楽しみが増えてきますね。
投稿: 津団 | 2009/05/17 22:20
おはようございます。
おっしゃるように、世の中には「ふしぎ!?」いっぱいですね。また、それらがつながっているのが面白いですね。これからも、いろんなもの追いかけてみたいですね。
投稿: 楠田純一 | 2009/05/18 05:59