【授業】「力はふたりぼっち」の法則
▼我が「大賀池」は、植え替え9週目が過ぎた。多様なる生命の営みの「環境」となった。いつかは、水面を支配していたかに見えたアオミドロは、どこかにいってしまった。あいかわらずにボウフラたちが水面-水中の上下運動を繰り返している。ひときわ目立ちはじめたのは、短期決戦タイプのシバだ。種子が土の中にまじっていたのだろうか。それともどこから飛んできたのだろうか。お互いの生命がお互いの「環境」となる。そして、ひとつの「宇宙」ができている。そのなかに、大賀ハスがいる。さて、次の一週間でどのように成長するのだろうか。
▼授業の方は、「思考実験」をすぎて、作用・反作用に入った。
本来は、「力学の第一歩」でやっておくべき内容だろう。しかし、現行ではそうなっていないのならそれに対応した授業を考えるべきだ。力の概念形成にかかすことのできない法則だ。
▼「アタリマエ」のことが法則になったとき、それはどこかで混乱も引き起こされる。「力のつりあい」と「作用反作用」の混乱は、これまでの実践でもよく指摘されてきたところである。
確かに起こりがちな混乱である。教科書の具体例にそうようなかたちで、いくつも具体例をあげる。
ひとつひとつの具体例では、きわめて「アタリマエ」として理解できるのである。ところが力の矢印を書きながら考えていくといつしか混乱がおきている。
いろんな試みがあった。Fの下にA→B,B→Aを記入させて、「何が何にはたらく力なのか」明確にさせよう、力は「受け身」で考えよう等。
▼いつのころからか、誰かに教えてもらったのか、自分の授業のなかで生徒の言葉として生まれたのか、今となっては定かではないが、私はこの作用・反作用の法則を「力はふたりぼっち」の法則と呼んでいる。法則は使えなければ意味がない。
「上がるとザアザア 下がるとカラカラ」で大気の物理学=天気の変化が見えてくるように、「力はふたりぼっち」の法則を使うことによって、もっとも「アタリマエ」の法則が見えてきて「力」が見えてくるのである。
繰り返し使うことによって、使える法則となるのだ、と思っている。
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