【授業】天気図をどうする?
▼雲が発生する、雨が降る、こんな「大気の物理実験室」なかで生活する日がつづいて、こんなにもよくわかるものだったとは・・・。これは今にはじまったことでない。きっとずっとずっと繰り返してきたこと、太古の昔から。
なぜ、そう見えなかったのだろう。
「空気を読む」(KY)の前に「空気を見よう」(KM)
▼KMは、原子論的物質観の発展応用だ。見えない大気の流れを、「雲見」でやる。それが主張だ。
もうひとつ、便利なものがある。そして、比較的簡単に利用できる武器をもっている。それが「天気図」だ。
漫然とくらしていてもけっこう、新聞、テレビで目にすることが多い。
人間と天気のつきあいの歴史から言うとごくごく最近だ。たかだか200年にもならない。
この天気情報が、いっぱいつまったもの、よくぞ「発明」したと、喝采したいところだ。
▼期末考査で授業は少しのあいだストップだ。このあいだに、この「天気図」どうするか。考えたいと思っている。教科書で扱いは、以前に比べるとずいぶんと簡単になっている。
今度の改訂ではどうなんだろ。いずれにしても、きっと誰もが、いろんな場面で一生つきあうことになるだろう「天気図」。「雲見」とセットで、使えるようにはしたいな。
そのために、どうすればいいのだろう。しばらくは考えてみよう。
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