【お薦め本】『科学コミュニケーションの再構築 連帯志向の専門知へ』(内田麻理香著 勁草書房)

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▼私が自らを「サイエンスコミュケーター」となのりはじめて15年目である。
 ◆サイエンスコミュニケーター宣言
 実に遅々たる歩みである。
 この間に幾度となく、サイエンスコミュニケーターとしての「現在地」を問い返してきた。この検証のためには6つの「座標軸」を用意していた。
 この問い返しのもっとも根本にはいつも
 「私はほんとうにサイエンスコミュケーターだろうか!?」
 という疑問があった!!
 この疑問に答えてくれているとてもうれしい本にこの春に出会った。

▼それが今回の【お薦め本】だ。

◆【お薦め本】『科学コミュニケーションの再構築 連帯志向の専門知へ』(内田麻理香著 勁草書房 2026.3.20)

 まだまだその「なかみ」をよく理解できたわけではない。
 十分な理解のためにはまだまだ反芻作業が必要だ。
 しかし、「こんな本が欲しかった」という感動がうすれないまにこれを書いておきたかった。自らのための「覚え書き」としても。
 いつものように3つのお薦めポイントをあげておこう。

(1)「望ましい科学コミュニケーション」をわかりやすく具体的に説いてくれていた!!
(2)サイエンスコミュケーターとしての「役割」を示唆してくれていた!!
(3)「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!

いささか興奮している。
 サイエンスコミュニケーターをかくも熱く語ってくれた本に出会ったのはじめてであった。思っていたことをコトバにしていてくれていたのがうれしかった。
 だから、うれしさのあまりお薦めの文も支離滅裂になる可能性がある。
 いやきっとなるだろう。

▼だから、ひとつずつ最初にあげた3つのお薦めポイントにしたがいながらすすめよう。
(1)「望ましい科学コミュニケーション」をわかりやすく具体的に説いてくれていた!!
 著者は、科学コミュニケーションを「科学という液体を、社会に行き渡らせる営み」とイメージすることからはじめていた。
 さらにくわしく続けていた。

 科学という液体は暮らしに欠かせないもので、私たちを潤してくれる。科学は生活を便利にするだけでなく、私たちのものの見方を豊かにする役割を果たす。普段は意識していないけれども、料理をする、コーヒーを淹れる、天気を気にする、風邪気味の体調に対処するといった、どんな日常の場面にもその液体は流れている。
 だがこの液体は、扱いが難しい。科学という液体は、自然に世の中に流れてくれないからだ。原液のままでは濃すぎて、誰にでも受け入れられるものではない。また、社会という地形にも段差がある。路が途切れている、岩や土砂がある、などの理由で流れを滞らせる。科学コミュニケーションとは、この流れにくい科学という液体を、社会の隅々まで行き渡るようにする営みにたとえられそうだ。(同書Pⅰより)

 ナルホドうまい!!
 全面的に賛成だ。
 最初にもう少し引用させてもらっておこう。
 本書の提案は、こうした個別の目標のあいだに架け橋をかけ、より包括的で共有可能な規範を提示することにある。すなわち、科学コミュニケーションは他者を排除し傷つける行為でなく、人びとが連帯を築き、ともに生きる社会の基盤を支える営みとして構想されるべきである。科学がしばしば他者に優越や差別を正当化する手段として用いられてきた歴史を踏まえるならば、科学コミュニケーションはその逆に、他者を尊重し、社会的な連帯を広げるための営みとして規範的に定義される必要がある。(同書Pⅳより)

 この仮説を構築するためとして、本書を次のように構成していた。
第1章 科学コミュニケーションをめぐる前提条件
第2章 科学コミュニケーションにおける望ましい態度
  ――欠如モデル、低関心層諸問題をめぐって
第3章 「真理」の伝達から「物語」を共有するコミュニケーションへ
  ――リチャード・ローティの哲学より
第4章 科学コミュニケーションで何を共有するのか
第5章 誰が科学コミュニケーションを担うのか
第6章 教養としての科学コミュニケーション
  ――連帯をひらく学びへ

 不勉強な私にははじめて出会うコトバ・概念も多かった。だから難解な本かと思ったがそんなこともなかった。
 実に面白かった!!
 
 私はあえて、この本のここの「文脈」だけに少しだけ異議を唱えておきたいところがあった。

 なお、科学教育は独立性強い領域であり、本書は科学コミュニケーションの定義には教育は含めない立場とした。あえて欠如モデル/非欠如にあてはめて検討するならば、科学教育は子どもたちがまだ身につけていない科学的知識の充足、または子どもたちのもつ素朴自然理論から自然科学の知識への置換を目指す行為であるため、非欠如モデルに該当するといえるだろう。しかしながら、教育の場においては、教師対生徒という「教える者と教わる者」という約束された関係があり、ほかの多くの科学コミュニケーションとは異なる性質がある。(同書P42より)
 
 納得できるところもあるが、やはりちがうと思うところがあった。
 私の「文脈」のなかでは
・理科の授業はサイエンスコミュニケーションの最前線である!!
・理科教師は最前線のサイエンスコミュニケーターである!!
という思いがあった。
 あえて、「理科の授業」を科学コミニケーションの地続きの地平でとらえることにより、より見えてくることもあるのではないかというのが私の考えだった。

 とてもうれしいことがいっぱいあった。
 はずせないところから引用させてもらおう。

 一方で、中谷宇吉郎は「科学を文化に」という言葉を異なる意味で用いた。彼は、自然科学が工業的方面にのみ利用されるのではなく、広い意味で文化の向上に役立つと考え、科学を文化にするための方法、主に科学的読み物のあり方を論じた。中谷は、科学の知識伝達は教科書に譲るべきだとしつつ、科学的な考え方を伝える方法として、(1)寺田寅彦のような随筆を通じて、日常生活における科学的精神の発揚を促す、(2)科学普及の通俗雑誌により多くの人々の興味を科学の方へ惹く、(3)一流の科学者に通俗科学の本を書いてもらう、(4)ある自然についての疑問を提示し、その探求の過程および明らかになった点、ならなかった点を科学者が解説する、の4つを挙げた。(同書P116より)
  
  なかでも(1)が「最も広く間違いなしに普及できる」とし、もっとも有効な方法であると推奨していた。このほかにも随所に我らが寺田寅彦が登場した。
 アリガタイ!!
 これぞ、「我田引水」風に言わせてもらえば
◆オンライン「寅の日」
 の意義を語ってくれているのだった。 

まだまだ「望ましい科学コミュニケーション」を熱く語ってくれていた。

 このような実践の意義は、単に科学への興味を喚起する点にとどまらない。人びとが自ら生活に重ね合わせながら科学に触れることで、科学は知識の体系ではなく、生活に根ざした文化として経験される。科学を「共に楽しみ、分かち合う」営みへと転換することによって、科学コミュニケーションは<人間の連帯の範>を広げる文化的実践として位置づけられるのである。(同書P137より)

 あげればきりがないほどに、このように示唆に富む文章が並ぶのである。
私などにはなかなかうまくまとならないところをコトバにして語ってくれていた。

(2)サイエンスコミュケーターとしての「役割」を示唆してくれていた!!
「私はほんとうにサイエンスコミュケーターだろうか!?」
 という自問を繰り返していた。
 それに答えてくれている箇所をさがしていた。
 5章では「5.3 科学コミュケーターの8分類」として、「政策に関与」「対話的専門知」「欠如モデル的」の3つの指標で科学コミュニケーターを8つに分類していた。
 私はどれがいちばん近いだろう!?
 これがなかなか面白かった。「サイエンスコミュニケーター」と一口に言ってもいろいろあるんだな、とわかって面白かった。
「⑧ 政策に関与しない、対話的専門知なし、非欠如」これが今の私にはいちばん近いかな。

 ここには、科学館職員や広報担当者、科学メディアの制作者など科学コミュニケーションを職能として担う者がふくまれるが、それにとどまらない。生活の中で科学を楽しみ、表現し、日常的実践として科学を文化的に再解釈する人びとも含まれる。彼らは、科学の専門家でも職業的科学コミュニケーターでもないが、科学を他者を圧倒するためでなく、共感と連帯を築くために活用する。職業や年齢といった属性を問わず、科学を文化として享受しようとするすべての人がここに位置づけられる。そして、この層の拡大こそが、科学を通じて連帯を社会に根づかせる科学コミュニケーションを実現させるための鍵である。(同書P167より)
 
よし、これだ!!
 これからも、私も末端の「サイエンスコミュニケーター」でありつづけよう。

▼最後のお薦めポイントに行こう。
(3)「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
 どうもここまでで「蛇足」が過ぎてきたようだ。
 過不足なく的確に、お薦めポイントを伝えることは難しい!!
 これは伝えなければという思いが募れば募るほどに…。
 そこで、お薦めポイントの3つ目はこうしよう。
 「科学コミュケーション」に関わるすべての人の必読の書!!
  こうしておけば、私の読み解く力の不足で、汲み取れなかった部分も、「科学コミュニケーション」に関わる別の読者ならば、別の「価値」「意義」を見出されるかも知れないと思うからだ。
 いや、きっと見つけられるだろう。
 最後に著者の決意にも似た文を引用させてもらおう。

 科学者であれ、社会人であれ、学生であれ、知識人であれ、誰もが狭量さに陥る可能性を抱えている。だからこそ、科学コミュニケーション教育は、一定期間学んで終わる知識ではなく、生涯を通じて「わたし」を作り替え、「わたしたち」の範囲を広げていく実践として位置づけられるべきななのである。(同書P186より)

 とはいえ、科学コミュニケーションの実践とは、再帰性をもって自己を点検し続ける営みである。今後も、自分の態度や語彙の使い方をふり返りながら、終わりなき修業の旅としてこのテーマと向き合っていきたい。(同書P203より)

実にいい本です!!
 しばし、反芻作業を繰り返したい。

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【Web更新4/12】26-15 オンライン「寅の日」 等 更新!!

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月の宙へ立ちのぼるや豆の花 26/04/11撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】26ー15
週末定例更新のお知らせ
この時期になると、妙にワクワクドキドキの気分になる。
 「授業びらき」の季節である。
 もうとっくに具体的なアテなどあるわけではない。
 でもやっぱり構想してしまうのである。
 「今年はこんなはじまりにしたいな」
 「そうだ、あれを準備しておかなれば…」
 
 考えはじめると楽しい!!
 これもまた、安上がりの究極の道楽デアル。

◆表紙画像集2026 更新 豆の花 豌豆の花
 豌豆のつるがぐんぐん伸び始めた。
 それにともない花ももどんどん
 つるは月の居る宙(そら)をめざした。
 そこまで伸びたら…
 春の陽気がとんでもない妄想を!?

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 オンライン「寅の日」、15年目の歩みがはじまった。
 5月テーマは「寅彦と物理学」である。
 「物理」大の苦手な私にも「寺田物理学」なら楽しめるかも知れない!?


 大賀ハス観察池。蓮根の植え替えから2週間目である。
 水面から待望の葉芽がかたまりで顔を出してきそうだ。
 さあ、このあとが楽しみである。

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本日(2026/04/10)、第439回オンライン「寅の日」!! #物理圏外の物理的現象 #traday #寺田寅彦

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▼前の竹藪の椿の花が落ちていた!!
 寅彦の真似をして、花の「仰向き」「うつ伏せ」の数を数えてみた。
・全部で206
・「仰向き」200!!
・「うつ伏せ」6 !!
 これって「物理学」!?

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▼本日(2026/04/10)は、第439回オンライン「寅の日」である。
 4月のテーマは、私の大の苦手な「物理学」である。

【4月テーマ】「寅彦と物理学」

 その一回目の本日は「物理学圏外の物理的現象」を読む。
 
◆本日(2026/04/10)、第439回オンライン「寅の日」!!

●「物理学圏外の物理的現象」(青空文庫より)


▼私自身の課題は、「苦手意識」からどこまで抜け出すことができるかである。
 まず、そもそも論からはじまる。

 物理学は元来自然界における物理的現象を取り扱う学問であるが、そうかと言って、あらゆる物理的現象がいつでも物理学者の研究の対象となるとは限らない。本来の意味では立派に物理的現象と見るべき現象でも、時代によって全く物理学の圏外に置かれたかのように見えることがありうるのである。

 なんとなくなだめてもらった気分になるから不思議だ。
 さらにこう言ってもらうと、ひよっとしたら私にも…と思ってしまうのだった。
 これだけの例から見ても、その当代の流行問題とはなんの関係もなくて、物理学の圏外にあるように見える事がらの研究でも、将来意外に重要な第一線の問題への最初の歩みとなり得ないとは限らない。それでそういう意味で、現在の物理学ではあまり問題にならないような物理的現象にどんなものがあるかを物色してみるのも、あながち無用のわざではないかもしれない。
 そういう種類の現象で自分が多年心にかけていたものがいろいろあるが、それらの多数はいずれも事がらが偶然的偏差に支配されるために、結果が決定的再起的でないような種類に属するものである。

 そして、あの「金米糖」が登場する。
 金米糖(こんぺいとう)を作るときに何ゆえにあのような角(つの)が出るか。角の数が何で定まるか、これも未知の問題である。すすけた障子紙へ一滴の水をたらすとしみができるが、その輪郭は円にならなくて菊の花形になる。筒井俊正(つついとしまさ)君の実験で液滴が板上に落ちて分裂する場合もこれに似ている事が知られた。葡萄酒(ぶどうしゅ)がコップをはい上がる現象にも類似の事がある。

 自分の不勉強を棚に上げて言わせてもらうなら、こんなのも「物理学だよ」と教えておいてほしかったな。
 「おまえが知らなかっただけだよ」と言われてしまえばそれまでの話だが。
 私の知らない「新物理学」の芽生えを感じる。ひょっとしたらこれならば私にもの期待も生まれてくるのである。
 これらの現象を通じて言われることは、普通の古典的な理論的考察からすれば、およそ一様に均等に連続的にあるいは対称的に起こるであろうと考えらるるものが、実際には不均等に非対称的に不連続的にしかも統計的に起こるのである。このような場合を適当に処理すべき理論はもちろんのこと、その理論の構成に基礎となるべき概念すらもまだ全然発達していないのであるから、今のところでは物理学者はこれらをどうしてよいかわからない。従って問題にしようともしなければ、また見ても見ないつもりで目をつぶって通り過ぎるのが通例である。

ところが、最近に至って物理学の理論の基礎に著しい革命の起こった結果として、物理現象の決定性といったような基礎観念にもまた若干の改革が行なわれるようになった。その結果としておもしろいことには、われわれが従来捨てて顧みなかった上記の種類の不決定な事がらに対して、もはやいつまでもそうそう無関心ではいられなくなって来たと私には思われる。なぜかというと、上記の種類の現象の根本に横たわる形式的要素が、新物理学の基礎に存するそれらとどこか共通なものを備えているからである。

これから想像すると、おそらくその他の類似の問題でも、基礎形式的にこれと類するものがあるであろうと思われるのである。ただこれらの多くの場合はより多く事がらが複雑であって到底簡単な少数有限の方程式などで解決されるべきものではないであろうと予測される。

▼「新物理学」!!
 「ふしぎ!?」はまだまだあるのだ。

新物理学の考え方がいろいろな点で古典的物理学の常識に融合しないように感ずるのは、畢竟(ひっきょう)古典的物理学がただ自然界の半面だけを特殊な視野の限定されためがねで見ていたために過ぎないのであって、そのやぶにらみの一例としては、私がここで特に声を大きくして宣伝したような部類の統計的現象を全然閑却していたことも引証されようかと思う。
 物理学圏外の物理的現象と称すべきものは決して上記の部類に限らない。広大無辺の自然にはなお無限の問題が伏在しているのに、われわれの盲目なためにそれを問題として認め得ない結果、それが存在しないかのように枕(まくら)を高くしているのである。

 期待を持たせられるコトバがつづく。
しかし世界の広い学界の中にはまれに変わり種の人間もいて、流行の問題などには目もくれず、自分の思うままに裸の自然に対面して真なるものの探究に没頭する人もあるから、いつの日にかこれらの物理学圏外の物理現象が一躍して中央壇上に幅をきかすことがないとも限らないであろう。そういう革命的の仕事は、おそらくアカデミックな学者の手によってではなく、意外な方面の人の自由な頭脳によってなし遂げられはしないかという気がする。
 
 物理学圏外の物理現象に関する実験的研究には、多くの場合に必ずしも高価な器械や豊富な設備を要しない。従って中等学校の物理室でも、また素人(しろうと)の家庭でもできうるものがたくさんにあると思われる。しかしいかなる場合にでも、その研究者が物理学現在の全系統について、正しい要約的な理解を持っていることだけは必須(ひっす)な条件である。

 うれしいコトバの後には、浅学無知・無手勝流を流儀とする私にはチクリと痛いところをつかれた!!
 流石デアル。
 最後には、こう呼びかけられていた。
過去百年の間に築き上げられたこの大規模の基礎を離れて空中に楼閣を築く事は到底不可能なことである。しかし物理学の基礎的知識の正当な把握(はあく)は少しの努力によって何人(なんぴと)にでもできることであるから、それを手にした上で篤志の熱心なる研究者が、とらわれざる頭脳をもって上記のごとき現象の研究に従事すれば、必ず興味あり有益なる結果が得られるであろうと考える。

 こう書かれて、94年!!
 現代「物理学」に疎い私にはわからない。
 私たちは「どこに」いるのだろう!?
 

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【Web更新4/5】26-14 【大賀ハス観察日記】 等 更新!!

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雪柳通学の路染めにけり 26/04/03撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】26ー14
週末定例更新のお知らせ
 新学期だ!!
 あたらしい出会いの季節だ!!
 もう直接それを体感する環境にない。
 でもやっぱり気分は新学期モードになっていた。

 あのワクワクドキドキは、すべての“はじまり”だった。

◆表紙画像集2026 更新!! 雪柳
 雪柳の白がまぶしい。
 満開の雪柳が、新学期の通学路にこぼれていた!!
 あたらしい出発の花道をつくるように。

◆【大賀ハス観察日記】 更新!!
 観察池の蓮根の植え替えをすませて、【大賀ハス観察日誌】は19年目がスタートした。
 思えば遠くへきたもんだ!!
 さて、今年はどんな「あこがれの4日間」になるかな!?

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 更新!!
 毎月の「雲見」と俳句「歳時記」である。
 あらたな展開は、唐突にやってくるものだ。
 それまではアタリマエをつづけよう。

 大賀ハス観察池。蓮根の植え替えから1週間がすぎた!!
 池の水面にめだった変化はなかった。
 まだ泥水はにごったままだ。

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2026年4月(卯月)の俳句「歳時記」!! #俳句 #歳時記 #オンライン句会

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▼若き日の寅日子先生も「桜」を詠んでいた。

 めぐりさく運動場の桜哉 (明治三十四年)
 図書館の窓から見ゆる桜哉 (明治三十四年)


▼新年度も名句の鑑賞 より<俳句修業>をはじめたい!!
 名句の参考にさせてもらうのは、いつものように

◆NHK「俳句」 テキスト

である。ここより巻頭の名句10句+表紙の1句を引用させてもらう。 

(1) 咲き初めて花の遅速はもう問はず 稲畑汀子
(2) 可惜夜の桜かくしとなりにけり 齋藤美規
(3) 旅鞄重きは春の深さかな 浅井愼平
(4) さへづりのだんだん吾を容れにけり 石田鄕子
(5) 春宵の花束振らぬよう注意 池田澄子
(6) 戸を閉めることを子猫に教へむと 有馬朗人
(7) オルガンを日向に運ぶ花まつり 井上弘美
(8) いづかたも水行く途中春の暮 永田耕衣
(9) 波が来ていそぎんちゃくのひらくなり 今井杏太郎
(10) 栄螺の殻つまめるやうに出来てゐる 加倉井秋を
(11) 他所ゆきの体通して春の服 中原道夫

▼<俳句修業>の次のステップは<選句>である!!
 <選句>は<俳句修業>の醍醐味である。
 
【私の選んだ名句ベスト3】

(3) 旅鞄重きは春の深さかな 浅井愼平
(1) 咲き初めて花の遅速はもう問はず 稲畑汀子
(11) 他所ゆきの体通して春の服 中原道夫

【次点】

(4) さへづりのだんだん吾を容れにけり 石田鄕子

【選評】
・旅鞄にいっぱいの“希望”詰め込んで
・咲き始めれば遅速は花の多様性か、このおおらかさ!!
・“他所ゆき”になつかしさがあふれ出してきた。

・「吾を容れにけり」に思わずありがとう!!

▼<俳句修業>の究極は、やっぱり<句会>の参加だ!!
 新年度も続けますオンライン句会!!
  
●第68回オンライン句会「寅の日」4月例会案内!!

 新年度、あらたなメンバーも加えて新展開が期待される。
 どんな句に出会えるかな。
 楽しみである!!
 

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2026年4月(卯月)の「雲見」は!? #雲見 #もくもくシール

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▼新年度スタートの4月(卯月)だ!!
 4月の「雲見」の予想の前に、2026年3月の「雲見」のまとめをもくもくシールセットによる「雲見」カレンダー(理科ハウス)でふり返っておこう。
 使用した十種雲形シールは次のようになった。

・快晴   5          
・巻雲   2  
・巻積雲  0  
・巻層雲  3      
・高積雲  0 
・高層雲  3    
・層積雲  2   
・積雲  12           
・層雲   0 
・乱層雲  4  
・積乱雲  0 

 3月で目立ったのは「積雲」12「快晴」5。
 これはあくまで原則・朝の9時の観測である。もちろんその後変わってしまうことがごくアタリマエだった。
 ダカラこれはあくまでひとつの目安にすぎない。
 でもやっぱり、これが私の見た3月の空だった!!
 アメダスの「記録」を使って最高気温~最低気温をチェックする作業を3月もつづけた。
 月末にデータをまとめただけだったが
 「冬日」=日最低気温0℃未満の日
 「冬日」は3日に減っていた。
 
 ▼2026年4月(卯月)の「雲見」の予想に入ろう。
 まず前年の2025年4月の天気図を参考にしてみよう。

◆日々の天気図 2025年4月 (気象庁)

・「天気は西から」の季節かな。
・周期的に天気は変化しそうだ。
・「寒の戻り」はいつごろまでありそうだろう。
・はやくも「夏日」などということは!?
・「もくもくシール」何がふえるかな。

▼「雲見」の旅 計画+「ふるさとの低山登山」(ふるさと巡検)は4月も継続しよう!!
【2026年4月 「雲見」の旅・山】
・「ひとり吟行」のコースの開発続行。
・「雲見」の旅は土佐へ?
・「動く大地」を科学する がまだ再開できないでいる、4月には!!。
・「ふるさと巡検」の範囲拡大を目標に

▼【「雲見」の連帯】
 「雲見」と【宇宙見物】セットで楽しもう。

 こんな安上がりで、奥深い自然観察はない!!
 新年度もここからはじめよう。!!

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2026年・大賀ハス蓮根の植え替えをした!!(2)(2026/03/29) #大賀ハス #大賀式栽培法

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▼さて、いよいよ蓮根の植え替えである。
 毎年のように「大賀式の栽培法」を採用する。
 元肥として
 「身欠きニシン」「煮た大豆」を使用した。
 「身欠きニシン」がいつものスーパーになくて、ちょっとあせってしまった。

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▼空っぽにした池(容器)に
・土+身欠きニシン
・土+煮た大豆
 の順番に土と元肥をサンドイッチしながら入れていく。
 失敗するかもしれないが、今年は少し多めに元肥を加えた!!

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▼最後に
・土+「種レンコン」
 とし、土をかぶせて水を張って完了だ!!

 さあ、今年は何度、いつごろ「あこがれの4日間」に出会うだろう!?

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▼残った蓮根たちは、
 「水栽培池」に入れ、栽培してみることにした。
 そこにも身欠きニシン等の元肥を加えた。
 こちらでも「あこがれの4日間」はやってくるだろうか!?
  
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(了)

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2026年・大賀ハス蓮根の植え替えをした!!(1)(2026/03/29) #大賀ハス #大賀式栽培法

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▼今年の蓮根の植え替えを少し躊躇していた。
 観察池(容器)を、そっくりひっくり返すことにやや体力的限界を感じていたからだ。
 昨年のように少しずつ、少しずつ時間をかけてやろうと思っていた。
 はじめたのは、2026/03/27からだった。
 杓で繰り返し、繰り返し泥水をかえだした。
 二日目(2026/03/28)も、それを徹底してやった。

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▼三日目(2026/03/29)も、水を入れ直しては、泥水をかえ出す作業を徹底した。
 そして、ついに蜷局を巻いた巨大蓮根だけを、ひっくり返して池(容器)の外に出した。
 やっぱり圧巻だ!!
 蜷局を巻いた状態で、径は60㎝はありそうだ。
 巨大蓮根は長さ30㎝もありそうなものもある。
 しばし、感心しながらながめていた。

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▼今度は、それを土手に展開してみた。
 土手一面にひろがった!!
 これまた圧巻である。
 長さ2mちかくなるところもある。

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▼このなかから「種レンコン」になりそうなもの3つを選んだ。

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(つづく)

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【Web更新3/29】26-13 オンライン「寅の日」 等 更新!!

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ひらひらと蝶のごと舞う連翹哉 26/03/27撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】26ー13
週末定例更新のお知らせ
 今年度最後の週末定例更新である。
 もう遠く離れてしまったが、かつては「いちばん忙しい一週間」だったのかもしれない。
 今はさほどでもないが、やっぱり節目であることはたしかだ。

 すぎ来しみちはなつかしく
 ひらけくるみちはたのしい。
 みちはこたえない。 (「峠」真壁仁より)

◆表紙画像集2026 更新 連翹
 庭が真っ黄色に染まった!!
 まるで蝶がひらひらと舞い、群がっているようだ!!
 春が来た!!
 ひとつが終わり ひとつがはじまる。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 オンライン「寅の日」14年目の歩みが終わり
 15年目がはじまる!!
 2026年4月のテーマは「寅彦と物理学」デアル。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 【お薦め本】を書くのも、サイエンスコミュニケーターの「仕事」のひとつと決めている。
 【お薦め本】『長岡半太郎』は、あとでじっくり効いてくるなかなかの名著だ。
 長岡を通して、田中館愛橘、石原純、寺田寅彦たちの姿も少しだけ見えてきた。


 大賀ハス観察池。2026年の蓮根の植え替えをした。
 あらたな観察池のスタートである。

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本日(2026/03/29)、第438回オンライン「寅の日」!! #神話と地球物理学 #traday #寺田寅彦

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▼気にはなっているのだが、なかなか遅々としてすすまない取り組みがあった。

◆「動く大地」を科学する

 である。
 周辺までは行きながら、諸事情で次の一歩を躊躇しているのである。
 でもけっしてあきらめるつもりはない。
 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

▼本日(2026/03/29)は、第438回オンライン「寅の日」である。
 3月のテーマはこの寅彦の警鐘ズバリである。

【3月テーマ】「天災は忘れられたる頃来る」

 その三回目の本日は少し視点をかえて「神話と地球物理学」を読む。
 
◆本日(2026/03/29)、第438回オンライン「寅の日」!!

●「神話と地球物理学」(青空文庫より)


▼まず最初にいつ書かれたものか確認しておこう。

(昭和八年八月、文学)

つまり、1933年8月である。
 ズバリ本旨から入って行く。
 われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。

 ただし、大いなる注意点があるという。さすが、寅彦だ!!
 誤解を防ぐために一言しておかなければならないことは、ここで自分の言おうとしていることは以上の神話が全部地球物理学的現象を人格化した記述であるという意味では決してない。神々の間に起こったいろいろな事件や葛藤(かっとう)の描写に最もふさわしいものとしてこれらの自然現象の種々相が採用されたものと解釈するほうが穏当であろうと思われるのである。

▼ここでぜひとも注目しておきたい一文がある。

 ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼(とうしょ)との距離は恒同(こうどう)でなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。それで、この国曳(くにびき)の神話でも、単に無稽(むけい)な神仙譚(しんせんだん)ばかりではなくて、何かしらその中に或(あ)る事実の胚芽(はいが)を含んでいるかもしれないという想像を起こさせるのである。

ウェゲナーが地質学協会の講演ではじめて「大陸移動説」を唱えたのが1912年1月6日である。
 寅彦がこう書いたのは、最初に確認したように1933年8月!!
 これこそ寅彦の先駆性そのものだ!!
 もう一度神話にもどろう。
  神話というものの意義についてはいろいろその道の学者の説があるようであるが、以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。少なくもそういう仮定を置いた上で従来よりももう少し立ち入った神話の研究をしてもよくはないかと思うのである。

 古きこと新しきことでもあるのかも。
 きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう。少なくもわが国民の民族魂といったようなものの由来を研究する資料としては、万葉集などよりもさらにより以上に記紀の神話が重要な地位を占めるものではないかという気がする。

 「寅彦を活用する」という視点でみるなら、興味深い随筆であることは確かである。

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