新・クラウド「整理学」試論(9) 

Dscf3981▼昨日で、大賀ハスは植え替えから36週目である。「もういいかげんにきれいにしたら…」と声が聞こえてくるが、なかなかその気持ちにならない、これで充分に「きれいに」見えたりする。生命の営みに停止はない。「休養」「眠り」はあっても。これは眠っている姿。
▼私も、ちょっと「休養」が欲しいと思う1日だった。ほんとは仕事山積み状態なんだが…。ちょっと一息のつもりでのぞいたTwitterで、「Twitter研究会」をやっていた。それをオンラインで「見た」「聴いた」「読んだ」。
すごい刺激を受けた。それで、これを書く気持ちになった。
▼私のなかでは、この「試論」とTwitterは深い関係がある。
私の文脈を繰り返してみよう。

●「整理」の究極のねらいは「生産」である。
●私にとっての「知的生産」とは「授業づくり」である。

やがて世界の「鼓動」になるTwitter。

●それは単なるツールではない、同時にメッソドであり、コンテンツそのものである。

オンラインで「Twitter研究会」に参加しての感想である。
もうひとつある。
 私がとてもめぐまれた「Twitter入門」をさせてもらったなということの、実感であり、感謝!!
▼「Twitter入門」を語るには、Twitter歴74日の私には不遜なことであるし、力不足である。それは、よくわかっているつもりだ。でも、そんな超初心者にも、それを語らせたくするのが、TwitterがTwitterである所以なのかも知れない。私なりの入門【ステップ】をつぶやいてみた。
【ステップ5】までは、試論(7)紹介したが、【ステップ10】までいったので、あらためて並べてみる。

【ステップ1】blogとつなごう。とりあえずblog更新の度に「つぶやこう」。

【ステップ2】自分のTLをコントロールをしよう。

【ステップ3】「情報は発信するところに集まる」ここでも有効である。

【ステップ4】等身大の「つぶやき」をつづけよう。

【ステップ5】SNSとTwitter「つぶやき」でつなごう。

【ステップ6】三行レポをTwitterしよう。三行レポの内容は授業報告、実験・観察報告等々である。
 これだと「いつでも・どこでも」気軽に書けそうである。それらが集積されれば、かつてなかった実践DBが構築できるかも知れない。

【ステップ7】研究会・イベントを「tsudaる」って、「おすそ分け」をしよう。
 「おすそ分け」は、すればするほど豊かになる。「おすそ分け」のスキル・マナーを向上させよう。

【ステップ8】Twitterでリアルタイム「自然の観察」やろう。
 例【星連】【はしりもの・かわりだね】「前線を追う」「台風を追う」「ヒガンバナを追う」「大地の動き」等々。Twitterが地球の「鼓動」となるとき

【ステップ9】Twitterでリアルタイム教材情報を入手しよう。新鮮!!「今」を教材化しよう!!

【ステップ10】Twitterで「授業研究」をやろう。
 Twitterはツールであると同時にメソッドであり、コンテンツそのものでもある。

▼【ステップ10】をうけて
■Twitter『授業研究会』
を提案しはじめたいと思う。
 新しい提案ではない、それはずっとずっと前からの先輩たちの取り組みである。
もうすでにとっくに始まっていること。
最も新しくて、最も古くからの取り組みである。
それは、「授業復権」への道でもある。

さあ、今日も少しずつ、少しずつ 等身大の世界をつぶやいてみよう。

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新・クラウド「整理学」試論(8)

Dscf3504▼昨日は、大賀ハスの植え替えから、33週目である。と、やっぱり書き始めてしまう。実は、自分のなかでは、「大賀ハス」のことを書くのは先週で終わりにしようと思っていた。しかし、やっぱり書いてしまうのである。もうそれは「習慣」化してしまっているのかも知れない。日曜日の切り出しは「大賀ハス」にふれなければ居心地が悪いのである。枯れた大賀ハスの葉は、どこかしなやかさとしたたかさを合わせ持つ、どこかでこれを保存してあるのを見たことがある。記念にと一枚は果托とともに保存している。こんなものを利用しない手はない、きっと知恵者は、きっとなにかに利用してきただろう。それは、また調べてみよう。
▼「習慣」化と言えば、昨日は来年のシステム手帳のリフィルを買い込んできた。システム手帳なんていうと、「まだそんなもの使っているの」と言われそうだが、私は今だにこれを使い続けてている。
リフィルはBindexの「月間ダイヤリー」「週間ダイヤリー」(バイブルサイズ)である。もう20年以上になるだろうか。
途中で、パソコンでリフィルを創作することや、著名な人の手帳にかえようかと考えたこともあったが、やっぱり使い慣れたものの方がいいだろうとここまできてしまった。
▼ずいぶん以前になるが、このシステム手帳も含めて、「パソコン」「システム手帳」「袋ファイル」を連動させての、私の「整理学」についてまとめたことがある。この三つを私の整理学の「三種の神器」としてしてきた。
新・クラウド「整理学」になっても、それにかわりそうにない。
私の「整理学」のねらいについても同様である。

●「整理」の究極のねらいは「生産」である。
●私にとっての「知的生産」とは「授業づくり」である。

従って、新たに始めたがような「新・クラウド「整理学」」であるがこの究極のねらいも「授業づくり」にある。
▼Twitterにもどろう。
これは、私にとっては、「整理のための道具」である。
「授業づくり」のための情報受発信のための道具のひとつ
筆箱のなかの小さな文具(筆記具)のひとつにすぎないのである。だが、このひとつは…。
Twitter本を三冊読んだ。(三冊目はまだ途中だ。)使い始めてまだ、二ヶ月がたたない。判断するには早すぎるかもしれない。
 しかし、これは大きく私の「整理学」を変えるだろう。その予感がする。

「140文字」と制限のある小さな筆記具
小さいが故に無限の可能性を有する情報受発信装置
ここへ来てパソコンは、また一歩「コンヴィヴィアリティのための道具」(イリイチ)に近づく

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新・クラウド「整理学」試論(7)

▼外は、雨だ。
ここのところ、またしても持病の「ばっかり病」が発症したのか、いろんなことの「整理」ができかねている。混沌とした頭を少し冷やしてみようと、続けている気まぐれ「試論」を書いてみよう。
 三つの試論のうち、やっぱりこんなときは「新・クラウド「整理学」試論」だ。
▼やっぱりここのところ一番気になっているのはTwitterのことだ。
スタートは、今年の9/23である。まだ、二ヶ月がたっていない。でも一応の結論は出していた。
●ecochemさんの「道具箱」
●Twitter本『ツイッター140文字が世界を変える』
できまりだと思っていた。
 あとは、使い慣れていくだけだと思っていた。そのなかで、自分なりの使い方を編み出していけばいいと思っていた。
▼自分なりの使い方のひとつに、これを「整理」のツールとして使いたいと思った。
それこそ、Twitterにこのプロセスを記録してみようと試みた。
その「つぶやいた」ステップならべてみよう。

【ステップ1】blogとつなごう。とりあえずblog更新の度に「つぶやこう」。
あらたな展開が…

【ステップ2】自分のTLをコントロールをしよう。
Twitterを自分の「生産」の道具とするためには、TLを流れるままにしてはならない。それは、単に「消費」しているにすぎない。「消費」を楽しみたいときには、フォローを調節すればよい。

【ステップ3】「情報は発信するところに集まる」ここでも有効である。
ともかく数多くつぶやいてみよう。いつか量は質に転化するだろう。臨界点というのが存在するはずだ。

【ステップ4】等身大の「つぶやき」をつづけよう。
等身大であることにこそ意味を見いだしたい。そこにこそ、Twitterの可能性がある。 未来の自分に向けて、今、つぶやいておこう。小さなこと。

【ステップ5】SNSとTwitter「つぶやき」でつなごう。
私の場合は【理科の部屋4】@folomyだ。ここは私は、フォローしたい人のblogの集合体だと思っている。

ここまで来ている。ここまでは、この5つのステップの「のぼりおり」を繰り返している。

▼次のステップを模索して、私にとってはTwitter本第三弾。
『Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流~』(津田大介著 洋泉社2009.11.21)
を読み始めてみた。
「tudaる」の語源にもなった、その本人の著書である。
さすがである。面白い。書いていることが「等身大」だ。やっぱりホンモノ!!はちがう。
第二章を「活用術」とせずに「筆者の活用術」としているところに、この人のポリシーを感じ共感する。単なる解説本、マニュアル本ではないことの主張がある。
「筆者の」とすることでTwitterの普遍性、可能性を語ろうとしているのだろう。それはみごとに成功している。
だからこそ、読者である私に「私の活用術」を書かせたくさせるのである。
まだ、途中だ。
読み終えたら、私の次の【ステップ】をTwitterしよう。

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その人の名は「ファラデー」(2)

Dscf2621▼昨日は、「イオン導入」の授業の準備をした。最初に、食塩の液体に電流が流れるのを見せたい。例の「ピッカリテスター」に登場してもらう。この実験装置もほんと長く愛用してきた。長く使っているから、いろんなところに不具合が出てきた。それに、先日は不注意で私が、机の上から落下させてしまった。情けない。
 装置をつくってから、はじめてになるかと思うが電球も変えた。(透明100W球)
高温で使うので、コードのところがショートしかけている。そこのところを修理した。すこし「時間」を忘れて取り組んでしまった。そのときも、この人のことを思い出していた。「イオン」「電気」「実験装置」…連想ゲームのように。
▼その人の名は「ファラデー」をつづける。
『ファラデー 王立研究所と孤独な科学者』(島尾 永康著 岩波書店 2000.3.14)
から、42年間継続しつづけた『ファラデーの日記』にふれて書いた。
 さらに示唆的なのは、次だった。島尾先生は書いている。

  注目に値するのは、研究記録の各パラグラフに通し番号をつけていることである。電磁誘導を発見した年の一八三一年二月二日から始め、…(中略)…。そして一八三二年八月二五日から始めたのは、一八六〇年三月六日まで続き、一~一六〇四一となっている。約三十年間にわたって研究に通し番号をつけた科学者は他にいない。(上記書P125)

 なんということだ。「日記」は「研究記録」になり、それを「研究DB」にしようとしたのだろう。
なんと偉大なる試みだろう。感激するばかりである。
▼まだある。それは「日記」だけにとどまらなかった。自分が発表し「論文」においてもそうだったようだ。
ここでも各パラグラフに、三巻(『電気学実験研究』三巻のこと:私)を通じての通し番号一~三二四二をつけている。目次もパラグラフ番号で探すようにしてある。ファラデーは生涯を通じて記憶力のなさを嘆いていた。自分の研究のパラグラフに通し番号をつけた動機はそのためかも知れない。確かに通し番号は、いつでも自分の研究を参照できる強力な手段となったことだろう。しかし、三十年も、これを通した徹底ぶりには、妄執的なものさえ感じられる。(同書P126)

 これこそが、「検索」の原初なるかたちといえるのではないか。
▼今、あのgoogleとTwitterが「検索」で提携するというニュースが流れている。
「フロー」情報と「ストック」情報が、連動して「検索」可能な時代になったということだろう。
 そんな時代であるからこそこの人が気になるのである。
 私は、「熊楠」についで、「ファラデー」に「これから」を発見するのである。

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その人の名は「ファラデー」

Dscf2559▼大賀ハスの植え替えから、ちょうど昨日で30週が過ぎた。どうみても、今は「生産活動」はしていないように見える。今度は、見えない地下の「蓮根」のことが気になり出した。毎週土曜日のこの報告をいつまでつづけるのか。次に地下から「蓮根」掘り出してみるまでだろうか。一般には、蓮根の収穫っていつなんだろう。
毎土曜日に写真を撮って、その画像を報告するだけ、こんな単純なことも継続してくると、なにか「意味ある」ことのように思えてきてやめれない。
▼続ける。継続するということの意味について最近、急に気になり出した人がいる。
その人の名は「マイケル・ファラデー」。
言わずと知れたあの「ファラデー」である。
何度か、この人に興味をもったことがあった。
名著「ろうそくの科学」を科学部の生徒と一緒に、実験しながら読んだこともある。
中学の理科を教えていれば、この人の名に出会う機会は何度でもある。
「電磁誘導」
「電動機(モーター)」
「電気分解」
「イオン」(イオンの名付け親とも言われている)
「電池」
等々
▼今回気になり出したのは、授業が「イオン」に入ったということもあるが、【理科の部屋4】@folomyで『ファラデーの日記』が話題になっていたからだ。
 話題のこと自分でも確かめたくて、急遽、ネットで『ファラデー 王立研究所と孤独な科学者』(島尾 永康著 岩波書店 2000.3.14) を取り寄せて読んでみた。
 まず、その『日記』ついて書かれているところを読んでみた。すでに教えられていたことであるが圧倒される思いで島尾先生の文章を読んだ。

 筆まめなファラデーは克明な日記も残している。それは普通の日記でなく、毎日の実験と観察の記録である。さまざまな思考や試みをこれほど詳細に書きのこした科学者はケプラー以外はいない。ファラデーは生前これを六巻に製本していた。その原本は四つ折り版、二冊、二つ折り版、八冊で、合計十冊で、びっしりと書き込まれた四〇〇〇ページにも及ぶ膨大なものである。余白には、無数の実験の図が描かれており、工夫に工夫を凝らしたファラデーの姿をみることができる。四つ折り版は、一八二〇年九月から一八三三年まで、二つ折り版は一八二八年から一八六二年まで、最初の記録からいえば四二年間にわたる。これだけ長期間にわたる、これだけ膨大な研究日記は科学史でも例がない。これらは『ファラデーの日記』七巻(一九三二~三六年)として出版された。(上記書 P125より)

なんと「42年間」である。
なんとすごいことだ、しかしこれだけではない。ここまでだけだと、それは圧倒されるだけだが、その次があるからより気になってしかたないのだ。

<つづく>

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新・クラウド「整理学」試論(6)

Dscf2518▼昨日も、ちょっと「空見」「雲見」の時間が増えた。流星の観測が少し影響しているのだろうか。それにしても、青空のきれいな日が続く、時間帯によって、その青空に絵筆でうすく描くように「雲」が描かれる。
しばし、立ち止まり【「雲見」の連帯】なんて考えてしまったりする。
 そう言えば、夜空を中心とする。【星空の連帯】というのがあった。あれは、ほんと面白かった、呼びかけのあった日時に、いろんなところの人が、同時に星空を見上げて、レポートしあうのである。
 自分が見上げている星空と同じ星空を、遠くはなれた「あの人」も、昼間顔を合わしてしていた友達も、みんなが見ている。その感覚が「連帯」意識を高めた。思い出すだけでも、ワクワクしてくる感覚だ。
▼ちょっと、気まぐれで再開した「試論」をつづける。
Twitter本『ツイッター 140文字が世界を変える』(コグレマサト+いしたにまさき マイコミ新書)のなかに

●情報は発信するところに集まる

をみつけて、
Twitterの盛り上がりは、「パソ通」回帰現象ではというところまで書いた。
この本には、これ以外にも「ネットと情報」「情報と整理」について、なかなか示唆的なことがたくさん書かれている。
 もう少しピックアップしてみる。
▼まずは、情報についてである。

 情報というものの性質を考えるときに「フロー」と「ストック」という考え方をよく使いますが、「フロー」情報とは直近で一過性のもの、「ストック」情報とは過去の情報を整理して使えるように変化させて保存しておくこと、のように考えられています。
 既にブログでは、このフローとストックという視点で、そのログを捉えることが可能です。つまり、日々あまり何も考えずにブログを更新している(この時点では情報はフロー)と、ある日その情報量が質量ともに閾値を超えたところで、急にストック情報に変化するのです。(同書 P176より)

これも、みごとな指摘である。情報発信を続ける人間には、心当たりのあることである。
長く情報発信にこだわり続けてきた人ならでは言い切りである。

● blogのエントリーは、ある日、臨界点を超えたとき、唯一無二のDBになる。

というシナリオである。同感!!
このblogのエントリーの延長線上にTwitterの「つぶやき」があるという。
なるほどと思い、今日も、自分だけのTLをのぞくのである。

<つづく>

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新・クラウド「整理学」試論(5)

Dscf2456▼今朝、起きて見た流星は5個だった。オリオンがきれいだ。それにしても、ちりが燃えるのを予測なんてすごいな。流星そのものよりも、予測する「科学」に感動してしまう。
 空がきれいということでは、昨日の青空はほんとうにきれいだった。ケンケン三兄弟(巻雲・巻積雲・巻層雲)の雲もきれいだった。でも一番は南極の武田さんが教えてくれた「夜明け前の空」だった。
▼三つの「試論」をとぎれとぎれに書いている。いちばん最近はじめたのが第三の試論。「新・クラウド「整理学」試論」である。
どれも、どれも断続的であるから、なにをどこまで書いたのやら忘れてしまいそうである。
だから、繰り返しになってしまうかもしれない。繰り返せば、それだけ意識の度合いが濃いというぐらいにして前へすすめよう。もともと「試論」なんだから…。
▼それにしても、なんでまた「整理ベタ」を自認する私がこんなのはじめたのか。
ひとつは、偶然のアクシデントがきっかけだ。
9月12日の朝のパソコンの初歩的アクシデント。蓄積してきたものが、一瞬にしてなくなってしまったのではないかと思った。幸いにことなきを得たが、そのとき考えた。
「蓄積」はなんのため
「整理」はなんのため
構築したい「DB」ってなんのため
▼その次が、新規ノートパソコン導入とも関係するだろうが、Twitterとの出会いである。
Twitterとの出会いは、明日でちょうど一ヶ月になる。
Twitterが、「整理」はなんため の答えのひとつを教えてくれている。

●「整理」の目的のひとつは、情報発信のためである。

では、なんのために情報発信をするのか。
Twitter本『ツイッター 140文字が世界を変える』(コグレマサト+いしたにまさき マイコミ新書)のなかにありました。

情報とお金はさみしがりやなんてことをいいますが、情報は結局それを発信した人のところへ、巡り巡って繰り返し戻っていくのです。しかも大抵の場合、そこには関連する情報が追加されて戻っていきます。
 そう、情報発信と思ってやっていることは、実は自分はほとんど労力をかけずに、しかも最適化された形で情報を収集することになっていたのです。(上記書 P191)

 さすがです。おみごと!!
●情報は発信するところに集まる。
を言っているのです。
道理で、私が、Twitterに「パソ通」回帰を感じるわけです。

<つづく>

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Twitterで「月見」だった!!

Dscf1800▼昨い日で、例の大賀ハスは、植え替えから27週目であった。果托はすっかりと下を向き茎はかれきっている。もうあきらかにその役割を終えたように見える。毎週土曜ごとにこの大賀ハスの様子を撮影して、ここに書いてきた。
なんのためだろう。あらためて考えてみると答えられない。無理矢理言い訳するなら、流れゆく「時間」を大賀ハスの営みではかっているのかも知れない。
Dscf1839▼朝から、歯医者に行った。歯を引っこ抜いた、痛かったはずだったが、麻酔がかかっていたせいか、さほどでもなかった。しかし、その後しばらくは、口のなかに違和感があった。当初の予定を変更して、「DNA抽出実験」の予備実験をし理科室に行くのは、午後となってしまった。ブロッコリーの方が、相当痛んでいた。むしろバナナの方がうまくいった。授業では両方をしようと思った。
▼夕方になった。帰宅するころには、もう月が昇り始めていた。「名月」だった。
今年の「名月」は、自分としては新しいことを試みようとおもった。Twitterを使うのである。
Twitterをはじめて十日目になっていた。なかなか、使い込む時間はなく面白そうな「道具」を手に入れながらも、それを楽しむ時間もなく日々が過ぎていく毎日だった。
「道具」は使わなければ、そのすばらしさがわからない。こんなイベントごとに使ってみようとおもったのだ。
▼予想通り、これは面白かった。
そして役に立つと思った。
・これからの等身大メディアとして有効である。
・リアルタイムであることは、ひとつの価値ある情報である。

たった140文字しか発することができない。この限られた「情報発信」であることが、逆に豊かな情報発信をもたらさす。それはまるで俳句の世界のように。
工夫しだいでは、いろんなことができるようにカスタマイズできるようだ。
そうするには、私には道が遠いが、マイイベントがある度に使ってみようと思う。
▼ふっと、昔書いたことを思い出した。

 私たちは、今こそ自分の学校の理科室を、研究室を、仕事場を、家庭を、フィールドを、……
 そして自分自身を「日本の理科教育情報発信基地」にかえてしまいたいものです。
 「私」発→「地球」行きのメディアを駆使して……。
(『私の【理科の部屋】活用法』より)

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今、Twitterが面白い!!

Dscf1532▼昨日は、大賀ハス植え替え26週目だった。果托は完全におじぎをしてしまった。それは象徴的であった。大賀ハスのシーズンがすぎさりつつあることを教えてくれていた。しかし、それは私が感じるだけであって、当の大賀ハスは「生産」はやめない。まだまだ葉をひろげ栄養を生産し、地下の蓮根に蓄積をつづけている。みごとである。生きている営みにムダなどあるはずがない。
Dscf1549▼ヒガンバナもそうだ。定点観測地Aのヒガンバナもピークはすぎて白みはじめているが、花茎によっては今からというのもある。この花の営みに意味をなくしてしまった今も、ずっとずっとつづけてきたこの「システム」に急激な変化は不可能なのかも知れない。枯れ始めた花が「あわれさ」を誘うのは、そのためだろうか。でも、ヒガンバナのしたたかさは、そんなものではない。この後にこそ、この花の「戦略」のみごとさみせつけられるのだ。観察をつづけよう。
▼「整理学」試論をちょっとおいておこう。
今、どうしても書いておきたいことがある。それは、ここのところ毎日ふれている。
Twitterのことである。私がはじめたのは、この23日のことである。これまでいつもお世話になってきたecochemさんのすすめがあったからだ。それと、パソコンを新しくしたタイミングとが一致したのである。
 最初は、これはなんだろうという興味本位だった。ecochemさんがおっしゃる限りは、きっと面白いものであるにちがいない。しかし、今は「修復」と「整理」でそれどころではない、と正直思っていた。
また、同時に単なる「修復」に終わらせたくないとも思っていた。
▼自分で体験してみてわかった。面白い!!
まさにリアルタイムに、人とつながっていくのが面白い。あの「パソコン通信」(今や完全に死語(^_^;))がはじめてつながったときのあの感覚だ。
 私は、ほんとつくづくとラッキーな人間だと思う。いつもタイミングよく「新しい世界」に連れて行ってくれる人が現れる。「パソコン通信」時代もそうだった。
 インターネット時代に入ってもそうだった。インターネット版【理科の部屋】ができたときもそうだったし、自分で初めてホームページ(Webページ)をつくったときもそうだった。
 また、blogを強くすすめてくれたのも、これまでにお世話になってきた人だった。ありがたい限りだ。深謝。
▼今回もそうだった。ecochemさん(シェーマさん)のお誘いで入っていくと、さっそく『これからホームページをつくる研究者のために』の著者である岡本さんがフォローしてくださった。
次には、インターネットなるものを私にはじめて体験させてくださった渡部さんがフォローしてくださった。
ecochemさんが、私にもわかるようにカスタマイズ情報を発信してくださる。
 なにか「新しい世界」がどんどん見えてくるようだ。それも刻々とリアルタイムに…。
どこまでもいちばん面白いのは、ヒューマンネットワーク!!
▼「おーい どうしている」と思ったら ここをクリックしてみてください。https://twitter.com/junkusuda

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新・クラウド「整理学」試論(4)

Dscf1298_2▼昨日の朝も、ヒガンバナの観察からはじまった。盛りをすぎたものも目立ちはじめた。イルカさんからいただいたシロバナヒガンバナも盛りをむかえたようだ。シロバナヒガンバナの系譜についても、例の『ヒガンバナの博物誌』をみているといろいろおもしろいことがありそうだ。
Dscf1349▼久しぶり、あのコウガイビルのいたナイロン袋をみた。もうあの「緑の水」はなくなる寸前であった。
「あいつ」(=私が、コウガイビルが分裂して増えたものと勘違いした生物)はまだいるのだろうかと顕微鏡でのぞいみた。やっぱりいた。残り少なくなった液の中に密集しているのだろう。何匹もが動き回っている。
では、乾ききったところでは、「あいつら」はミイラとなって死んでしまったのだろうか。
観察の後、水を足してやった。また一ヶ月ほどしたら、観察してみよう。生き残った「あいつら」は、分裂して増えているかも知れない。
ことば▼夕方には、DNA抽出実験のためのバナナとブロッコリーを買いにスーパーに行った。スーパーのいろんなものを「教材」という視点で見ていると、けっこう楽しいものだ。最近の楽しみのひとつである。
▼「整理学」試論をつづける。
要は、「データの保持と管理」をどのように進めるかである。
ここでの「データ」とは記録である。
それをどこに保持しておくのか。
ここは、我田引水で、ひとつの具体例をあげる。
◆「究極のクリップモーター」で考えてみる。
 もう20年以上前に、授業から生まれた「世界一シンプル」なモーター。
「究極のクリップモーター」と名付けた。それをペーパーでは報告していたがそのままにしていた。
Webページをつくるようになってからは、
おすすめ実験のひとつとしてアップして「あちら」で保持するようにした。
今、試しにきGoogleで「究極のクリップモーター」を検索してみる。それがトップにあがってくるはずだ。
それだけではない、他の方がそれをみて、さらに工夫されたバージョンも開発されているのがわかる。
また、いろんな実験教室でそれに取り組まれている様子がわかる。
今や教科書もとりあげている実験になっている。さらに「これぞ!究極!」というものも出てくるかも知れない。
「あちら」に保存する。ということはこんなことを言うのだろう。
 これを射程に入れた「整理学」を試行してみたい。

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